『星のように輝く』
スライドはこちら→20210124 フィリピシリーズ2 星のように輝く
フィリピの2章から学びましょう。
背景:
フィリピ1:29-30
キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも恵みとして与えられている。同じ戦いを戦っている。
牢獄にいるパウロと同じ戦いを弟子たちもしていた。
*迫害
*人間関係の摩擦
*批判・中傷
ローマの強い影響
*42BC ローマの植民地
*人口:1万5千人 40%ローマ人
*JUS ITALICUM「イタリアと同じ」ラテン語が話されている
*元軍人が多い、免税制度
ユダヤ人は少なかった。
ローマ人が圧倒的に優遇されていた。
弟子が10人いたら会堂ができたが、最初はそれすらできず、川沿いで女性たちが祈っていた。
日本においてのクリスチャンもマイノリティーだが、それ以上に戦いがあった。
しかし、フィリピの弟子たちは励まし合い、援助した。
日本でも、コロナ禍にあって、戦いがある。
しかし、その中で弟子たちは普段以上に献金し、いろいろなイベントをし、オンラインで励まし合い、人々に福音を伝えてきた。
-苦難の時にどうすればいいでしょうか?
フィリピ2:14-15
不平:GOGGUSMOS 文句、ぶつぶつ言う
理屈:DIALOGISMOS 口論、言い合い
『不平や理屈を言わずに行いなさい。』
わたしたちは簡単に不平を言ってしまう。
メタノイアが必要。なのでフィリピ書に助けられる。
『星のように輝く』とは?
イエスこそ、不平不満の世の中において、星のように輝いている。
星は遠いので、目に届く光は何万年、何億光年かかっている。
星の輝きが影響を及ぼすには、時には時間が必要。
でも、確実に光は届く。
教会では、光になることを話される。
自分がいい影響を与えられないと、福音を伝えることに躊躇する思いがある。
しかし、メタノイアしていきましょう。
光になるとは目立って結果を出すことなのか?
人より優れた人格、人間関係をもって、信仰に満ち溢れているべきか?
わたしは長年このように考えてきた。
よいものが整っていないと、自分は光になれないのだと。
しかし、星のように輝いていたイエスは、奴隷になり、十字架にかかった方。
いい結果や模範ではなく、力に満ち溢れていた姿ではなかった。
謙虚な思いで、難しい中でもやさしさや愛を実践したとき、それは光になる。
フィリピ2:20-22
テモテとエパフロディトはその模範だった。
テモテは、自分のことよりも他人のことを心にかけ、イエスキリストを一番に追い求めていた。
エパフロディトは、パウロの兄弟、協力者、戦友、奉仕者だった。
パウロが最も苦しいとき、フィリピの教会を代表して、命をかけて仕えてくれた。
彼自身も苦しいときに、尽くしてくれた。
病気になり死にそうにもなった。
光になろうと思っていた時に、戦力になれなかった。
でも、パウロにとっては暖かい愛だった。
しかし、最も模範なのはパウロ、テモテ、エパフロディトでもなく、イエスキリスト。
フィリピ2:1-5
苦しい状況の中で、がんばっている与えているフィリピの教会に更なる高い期待があった。
いいことをやっていても虚栄心でがんばっていることや、大変な中で頑張っていることにより自己中心になってしまうことがある。
相手を自分よりも優れた者と考えること。
それこそが星のように輝くこと。
フィリピ2:6-11
創世記1-3、イザヤ47,55、ヨハネ1章を思い起こさせる。
イエスキリストは完全に神でありながら、人になられた。
自らその栄光を捨てた。Empty、空になった。アダムとは対照的。
アダムは完ぺきになろうと禁断の実に手を出した。
イエスは人間になるだけではなく、奴隷のような、最も苦しい十字架刑を受けた。
それによって、わたしたちは救われた。
わたしたちは彼の栄光に天国で預かることができる。
これは信じられない恵み。
キリストのようになりたいと思い、実践すればするほど、このイエスのようになれないと実感する。
わたしたちはこのような栄光を求めていないながらも、承認を求めてしまう。
それが絶対にいけないのではなく、動機がずれると自分になってしまう。
キリストを伝えるのではなく、人間的な努力を伝えてしまうことになる。
イザヤ45:23-24
全ての栄光に満ちた主は、実は十字架ではみじめな姿になっていた。
太陽のように輝いているのではなく、星のように輝いている。
本日は研修会。
-星のように輝く小グループ
昨年、小グループはよく機能して素晴らしかった。
一つのチャレンジを与えたい。更なる期待がある。
世の中は暗い時代にあって、小グループが星のように輝くグループになること。
魅力的な、多くの人が救われるグループを目指してください。
太陽のような輝きがいつもなくても、謙虚で素晴らしい星の輝きを持ったグループになれる。
皆さん、2021年、フィリピの2章のキリストを目指し、感謝の心で星のように輝きましょう。