『一致したコミュニティ』
インドネシアのスタッフリトリートの報告:
SEAリージョンとして3年ぶりの集まり。
7か国200名。
日本から14名の参加。
新井航さんとチョウ・ヨンミンさんはグッドニュースシェア、山崎武士牧師は説教をしてくれた。
素晴らしい時間だったと同時に、改めて別々の場所でも同じ神様を賛美し、わたしたちは神の家族だと確認した。
わたしたちは神様に与えられた家族
エフェソ2:14-22
この聖句は、ユダヤ人と異邦人という相容れないものがキリストによって一つになるという重要な聖句。
ふたつの間にあった壁がキリストにより一つとなる。
今日は特に家族というものにフォーカスしてみていきたい。
エフェソ書における家族:
1:5 キリストによって神の子にしようと
1:11 約束されたものの相続
2:19 神の家族
3:15 御父から天と地にある全ての家族がその名を与えられています
5:1 光の子として歩みなさい
5:2 キリストの名により父である神に感謝しなさい
パウロはキリストにおける家族を強調している。
家族の定義:
親と子という血縁関係、
血縁関係などによって直接、
間接に繋がっている親族関係、
また養子縁組などによって出来た人間関係等々を基礎とした小規模な共同体が、家族である
血がつながっている、
いないに関わらず固い絆で結ばれている
共同体
(家族の機能) → (霊的)
子孫を残していく機能 → 宣べ伝えていく
経済的、生産的機能 → 共に作り上げる
保護機能 → 守り合う
娯楽的機能 → 共に楽しむ
社会的地位付与機能 → 受け継ぐ
この家族の機能が霊的な家族の間で機能するとき、どれほど素晴らしい関係があるか。
家族は互いに愛し合う共同体、コミュニティーであり、固く結ばれた関係。
神様がいなければ、キリストの十字架がなければ、わたしたちは霊の家族に出会えなかった。
神様が与えてくださった特別な関係。
わたしたちは救われ聖なる者とされ、心から信頼関係が与えられているのに、
もしかしたらわたしたちには難しさがあるのかもしれない。
罪、へだたり。
ある兄弟姉妹に愛を持って真理を伝える必要があった。
変わる必要を伝える必要があった。
しかしわたしは遠慮し、遠回しな表現をした。
真理を伝えることで相手を傷つけたくないのではなく、真理を伝えて関係が変わってしまうことや
自分自身が傷つきたくないという恐れと自己中心さがあった。
教会の関係は神様が土台で簡単に壊れるものではないということが信じられないでいた。
十字架を前にしてもできなかった。
神様は十字架のイエスにより、全ての罪を赦してくださった。
全ての人が神様にとって尊い存在。
わたしはほんとうに入り合える関係にこれからなっていきたい。
喜びだけでなく、苦しみも分かち合える関係になりたい。
今日、あなたの教会の家族との関係はどうでしょうか?
恵みのメッセージを伝えていますか?
入ること、入られることをやめてしまってはいませんか?
罪によってへだてられていることはないでしょうか?
神様が十字架によってすべての罪を赦し、一つにされようとしていること。
神の家族は当たり前ではない。
もっともっと神様の愛が現わせる関係になっていけるのではないか。
私自身は特別な神様の家族の関係が与えられていることに感謝している。
彼らのことをわかちあおうと思うと涙が出そうになる。
会うだけでうれしく、話せるだけで楽しい。
ときには言いずらいこともシェアし合う。
このような関係が与えられるとは思ってもみなかった。
わたしは孤独な人生を送ってきた。
いつか人は裏切ると思っていた。
人に認められないと対等にやっていけないので、
学生時代は空手に打ち込んだ。
しかし学生時代からの友人はほとんどいない。
本当は信頼関係がほしかった。
弟子になる前に望んでいたこの関係があることを当たり前にしたくない。
感謝。
神様に与えられている関係。
だからこそ、もっともっと大切にしていける。
どれほど素晴らしいものにしていけるか。
神様に与えられた関係は必ず神様がよい方向に導いてくださると確信している。
共に愛によって歩む
エフェソ5:1-2
ここでも、パウロはわたしたちが神に愛されている子供であることを強調している。
イエスは神様の愛の大きさを十字架にかけられることで示された。
愛することは福音を伝えることとイコールだった。
わたしたちも神様に愛されている子供として、神様に従うことを求められている。
イエスの愛と福音を共に宣べ伝えていきましょう。
一人ではなく共に。一人ではない。
愛によって福音を伝える御国のパートナー。
イエスも複数の弟子たちでいっしょに伝道された。
共に愛を伝え、福音を伝えていくパートナー。
今日は社本拓也さんからシェアをしてもらいます。
(社本拓也さんシェア)
大地さんと共に歩む関係があることを神様に感謝している。
弟子になる前から、そしてミニストリー、家も同じ。
しかし、性格は全然違う。
整理整頓が苦手な大地君と整理整頓に厳しすぎるわたし。
旅行は行き当たりばったりな大地君と
予め調べて計画したいわたし
感情豊かな大地君、表情を表さないわたし。
あまりの性格の違いにより、日々嫌な思いをすることもある。
しかし、霊の一致、ハウスホールドで愛を伝える目標がある。
9月から一致シリーズが始まった。
わたしが何か教えられるわけではなく、学んでいる。
一致はむずかしい。
わたしは席があれば端に座る。写真でも端。
多くの人が右にいけば、自分は右に行きたくないと伝えるタイプ。
イエスに出会う前、一致などできないと思っていた。
わたしは小中高とバスケをやり、キャプテンや副キャプテンをしていた。
そのチームを素晴らしくすることでよりよいチームを作りたかった。
しかし、競争心、自分の理想通りにしたいことなどで、人との距離が離れていった。
孤独や寂しさがあった。
一致を目指しているのに、一致を壊す者になった。
次第に一致すること自体をあきらめた。
しかし恵みによりイエスキリスト、兄弟姉妹に出会い、聖書を土台にした一致を目指せる素晴らしさを知った。
いまは御言葉を宣べ伝え、共に歩めることをうれしく思う。
誰かがキリストを知るために関わるプロセスの中で皆が一致している。
マルコ2:1-5
中風の人をいやす。
4人の人が一致して病人を連れてきた。
イエスキリストがまず見たのは病人ではなくこの4人だった。
イエスのそばに連れていくミッションに対して一致していた。
ここ数人で救われた同世代。
キリストを宣べ伝えたい、しってもらいたいと言う一致があるひとばかり。
スキルがあったわけではない。趣味、バックグラウンド、年齢などもバラバラ。
しかし一致していたのはキリストを宣べ伝えたいという思い。
ミニストリーの一致もあった。
エフェソ2:14-22
共に働くことで神様のコミュニティーとなる。
わたしたちは霊の一致を通して成長していうビジョンがある。
かつでは一致できなかった自分がキリストにより一致できる。
神様を一緒に伝えていく、どれほどエキサイティングで感謝なことか。
新たに救われた人が、今度は伝える番になる。
東京、日本でもっと伝えていけることを楽しみにしている。
先日のバリのカンファレンス。
世界では多くの若者がたくさんの人に宣べ伝えている。
教会のメンバーの皆さん、いつもわたしたち若手を気にかけてくださりありがとうございます。
皆さんの土台の上に立っている。
ミニストリーを超えた関係が必要、関わってもらうことが必要だと思っている。
共に歩みさらに一致していくことを楽しみにしている。
(秋山大地さん)
いまの若い世代の弟子たちと同じ時代に同じ協会に遣わされていることを感謝。
皆たくさんの賜物に溢れている。
だからこそ、一致していきたい。
神様の奇跡をもっと味わっていきたい。
先輩方の多くの信仰、献身、愛があっていまここにいる。
感謝しているからこそ、若い世代と共に自分たちの教会だと確信していきたい。
いまの若い弟子でしかできないことも多くある。
もっと担っていける。インスパイアしていける。
神の子供として愛によって生き、福音を伝えて一致していきましょう。