『真実の平和シリーズ』
スライドはこちらから→20201213 真実の平和シリーズ 中嶋朗雄
「1.真実の平和」栗原敏孝
エレミヤ29:11
マタイ7:24-27
クリスチャンであってもそうでなくとも試練はある。
しかし、これらの御言葉には希望がある。
どのような人生にも嵐がある。
昔、妹が自分の目の前で自殺しようとした。
7-8年前は、夫婦関係が離婚寸前になるくらい最悪だった。
会社の社長にお金を盗むと疑われて裁判沙汰になったこともあった。
仕事で不安で眠れず、子供のように妻に手を握ってもらわないと眠れないこともあった。
お前はいなくても同じだ。人は簡単に自分から離れていく。だれも自分の本当の友達にはなってくれない。失敗する。駄目だ。
そんな声が簡単に聞こえてくる。
聖書の土台がなければ、ただ崩れてしまう。
弟子になる1週間前に婚約破棄があった。
対照的な話としては、父親との和解。
11歳で別れてから話していなかった。
穏やかに話せた。
親戚の家で過ごし、惨めさや不安で育った少年時代。
父が謝罪してくれたわけではなかったが、癒された。
その日以降、父から追いかけられる夢は見なくなった。
自分に自信がないが、癒されて助けられる。
その経験をした。
御言葉にしがみついていれば、悔い改め、変わる希望がある。
スキーマから来る罪は、人と自分を破壊する。
会社で半年口をきかなかった人と、脆弱に話せて、いまでは普通に話せる関係になった。
相手も脆弱になった。
すごくやりたくないことだったが、御言葉に留まることで解決した。
イエスは、聖書の言葉が実現するために地上に来られた。
苦難を通して生き、今神様と共におられる。
モーセの40年もそう。
今年は、とても難しい関係のいくつかのカウンセリングに関わった。
変わるのが難しい中で、神様を見て赦し合う関係は、神様の栄光。
その場しのぎではなく、神様に本気で従う。
そのことで、癒しを得て自由になる。
コロサイ3:12-17
赦すこと、赦されることは完全な愛の十字架の証。
自己中心や自分の都合のいい解決ではなく、神様の望む報告が見えたとき、キリストの平和がそこに宿っている。
皆さまの心の平和のためにも祈ります。
「2.偽りの平和を捨てる」中嶋朗雄
マタイ10:34
この聖句は、イエスが弟子たちに伝えたものだった。
この前の場面では、イエスが多くの人たちを癒していた。イエスのミニストリーはうまくいっていた。
しかし、この場面でイエスが多くの群衆をみたときに、まだ癒されていない人々がいた。
弟子たちを派遣するようにした。
なぜイエスは、平和ではなく、剣をと言われたのか?
これは混乱しないでしょうか?
一見平和を否定しているように見えるが、実は平和は、剣を強調した表現だった。
剣は、ヘブライ語で、へレグ。
創世記でアダムを追放し、そこに剣の炎を置かれた。
これは、楽園に行くには、剣の炎を通る必要があることを意味する。
なぜ神様は、楽園の前に剣を置いたのか?
心が作り変えられる→本当の平和を味わえる
当時のユダヤは、ローマ帝国に支配されていた。弟子たちは間違った平和(ローマ軍からの解放)
を求めていた。しかし、イエスは、本当の平和を伝えたかったのではないか?
神様は、わたしたちにも同様に、本当の平和を味わってほしいと願われていると思う。
このメッセージは厳しいでしょうか?それとも愛でしょうか?
皆さんは、目の前の人に剣を選ぶことができるでしょうか?
わたしは今年、見せられた。
目の前の人に剣を選べない傾向が強い。愛せてない。
剣を見せて、その人が本当に必要があることを伝えられない。
父はわたしには才能がないと思っていた。
母は感情的になると手を付けられなくなった。
両親はわたしのことをきちんと育ててくれたが、わたしが幼少期望んでいたものは与えられずに育った。
ティーンと関わる中で、本当に相手が必要なことを伝えられない。
わたしのせいで、子供たちに御言葉が伝わらない。
ある人があなたは去年からずっと変わっていないと言ってくれた。
そのとおりだった。
わたしが伝えないことで、変われない子がいて、周りも傷ついていた。
見えない真実を伝えること、寄り添うのは何も言わないのではなく、勇気をもって伝える必要がある。
自分の両親から受けた影響と形は違うが、わたしも同じことをしてしまっていたとわかった。
その伝えてくれた二人の兄弟に感謝している。
子供たちが自信が持てるように、真実を伝えたい。
その男の子に真実を伝えてこなかったことを謝罪した。
彼は自分の弱さ、罪と向き合えるようになった。
ファーストペンギン、中学2年生のグループ。
彼らはできると信じて、新しいことにチャレンジしている。
彼らは自分たちでバイブルトークやレッスンを用意してやっている。
素晴らしいのは、話すのが得意でない子も、率先してやっている。
これは自分が、御言葉に従わなかったら起きていなかったことでもある。
ヘブライ4:12
刺し貫らぬかれることは痛い。
しかし、どこかで自分の思いだけを選んでいないか。
今日、兄弟姉妹たちに真実の言葉で語っていますか?
これはただチャレンジすればいいというものではない。
剣を通るのは、真実の平和を得るため。
神様が変われる希望を与えたい方。
それを覚え、共に聖餐にあずかりましょう。