『御心が行われますように』
マルコによる福音書から学んできた。
イエスは王であると同時にしもべ。
これは最も大きな奇跡。
今日はマルコによる福音書の14章から共に学びましょう。
14章は、イエスがしもべてであることの究極が現れている。
マルコによる福音書14:32-42
一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。
「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。
イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。
人の子は罪人たちの手に引き渡される。
立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
イエスは御心を求めた結果、命を捧げるという杯が与えられた。
王の道を選択すれば、退けられた。しかし、御心を取られた。
今日は3つのBから、しもべのイエスの生き方について共に学びましょう。
ポイント1:Belong(つながる)
イエスは、弟子たちとゲッセマネに行かれた。
ヤコブ、ヨハネ、ペテロを伴われた。
ゲッセマネには搾油という意味がある。オリーブ山の中にあった。
オリーブを収穫して、油を搾っていた場所と考えられる。
完全に実を砕いて押しつぶしてできるのがオリーブオイル。
イエスも悲しみに押しつぶされそうだった。
悲しみと苦しみでいっぱいだった。
3人の弟子たちに自分の悲しみを表現し、近くにいてほしいことを頼んだ。(34節)
一緒に目を覚ましていてほしいと。
イエスは十字架の肉体的な苦しみだけではなく、わたしたちの罪をすべて担う苦しみで押しつぶされそうだった。
イエスにしかわからない苦しみ。
弟子たちは理解できず、眠ってしまっていた。
近くにいても、心はつながっていなかった。
わたしたちにも同じようなことが起きる。
イエスの近くにいるつもりが、そうではないことがある。
わたしは最近、ライフチャートを書いてみた。
一番よかったことを +10、一番悪かったことを −10で書くことにした。
しかし、書いてみると、 +10も −10もなかった。
2010年、2011年はたて続けに辛いことがあったが、そこまでのグラフにならない。
わたしは気づいた。わたしにとって、気持ちを表現することはむずかしい。
だから、誰かと感情を共有することはむずかしい。
イエスがここまで表現してくれたことに感謝する。
弟子たちのように霊的に眠っていないのか、自分の心を見つめましょう。
心に難しい感情があるとき、実は神様に、イエスに、兄弟姉妹につながるチャンス。
ポイント2:Believe(信じる)
「あなたは何でもおできになります。」36節
神様にはどのようなことも可能であることをイエスは信じておられた。
その神様に正直な思いを打ち明けられた。
イエスに与えられた杯は、裏切り、拒絶といったもの。
しかも、この杯は神様から与えられたものだった。
自分に与えられた杯が愛するお父さんからきている。
より一層苦い思いになったと思う。
しかし、イエスはその御父を信じ続けられた。
自分の願いがかなうことよりも、御心が行われることだけを信じられた。
あまりに素晴らしい態度。どのような状況でも、信仰から離れない態度。
わたしたちがいつも、御心がかなうことが行われるように祈れたら、どれほど素晴らしいことでしょうか。
ポイント3:Become(変わる)
イエスは、「時が来た。」「立て、行こう。」と言われた。
完全なbecomeが行われた。完全に心が変えられて、十字架に臨まれた。
信じ続け、祈り続ければ、必ず造り変えられる。
イエスはその模範を示された。
思いや感情を抑え込むのではなく、表現すること。
神様は何でもできること、ベストを信じること。
造り変えられること。
38歳のとき、仙台へ移住した。
42歳のとき、転職。教会が思うように成長していかない。
自分の人生がボロボロになっているように感じた。
神様の御心を求めてミッションに生きるのではなく、毎日必死だった。
イエスと比べるのはおこがましいが、自分の杯が置かれているように感じていた。
杯を取り除けてほしいという思い、神様に言葉にならない思いを打ち明けた。
祈りを通じて、願いがかなえられることを祈った。
しかし神様は、自分の願いではなく、御心がかなえられることを願うことが、イエスのような心であると教えてくださった。
ゲッセマネのイエスの心は、当時もいまもわたしの支え。
イエスの模範に倣っていきたい。
仙台には100万人の人が福音を待っている。圧倒される。
数十人の教会で何ができるのか。それでも、あきらめるわけにはいかない。
神様を信じて挑み続けるだけ。
生きている間、どれほどの人に伝えていけるかわからない。
しかし、イエスの祈られたように、御心が行われますようにと祈りたい。
この世代だけではく、次世代。仙台だけでなく、東北全土に。
御心が力強く行われることを祈りたい。
皆様にも、仙台、東北へのお祈りをしていただければ幸いです。
仙台へのミッションで悩んでいたら躊躇なく、わたしに相談ください。
今日のDグループで話してほしいこと:
・つながるためにできること
・信じるためにできること
3つのBを実践し、神様が行ってくださるたくさんの素晴らしいことを楽しみにしましょう。