『イエスは復活であり、命』
Q.新約聖書の中で、死んだ人が復活したのは何回でしょう?(イエスを除く)
A.2回
B.3回
C.4回
D.5回
正解はDの5回。
1.会堂長の娘(マルコ5:35-43)
2.ナインのやもめの息子(ルカ7:11-17)
3.ラザロ(ヨハネ11:38)
4.アビタ(使徒9:36)
5.パウロの説教を聞いて転落した人(使徒20:7-12)
復活は最も大切なメッセージの一つ。
旧約で預言、イエスが体現。
ヨハネ11:25
この聖句が今日のテーマ。
この表現は、ヨハネだけが残した言葉。
本当に凄い。
この地上で死んで復活することはあり得ないことだった。
どんな時代のどんな人生を歩んだ人も、共通して死は生物が根本的に最も恐れていること。
しかしイエスは違った。
イエスは復活であり、命。
自分が復活できるだけでなく、自身が復活であり、命であると言った。
ヨハネ11:1-16
ラザロの死。
ヨハネによる福音書七つの奇跡のうち、最後の奇跡。
ヨハネによる福音書七つの奇跡:
1.カナの婚礼(2:1-11)
2.役人の息子をいやす(4:46-54)
3.ベドザダの池で病人をいやす(5:1-18)
4.5千人に食べ物を与える(6:1-15)
5.湖の上を歩く(6:16-21)
6.生まれつきの盲人をいやす(9:1-41)
7.ラザロの復活(11:1-12:11)
最後の奇跡、死んだ人の復活。
他とは違う復活。
すぐに復活ではなく、死んでから4日間が経っている。
死の絶望からの復活という、最もドラマティックで希望のあるメッセージ。
マルタとマリアはイエスと近い関係。
聖句の他の箇所でも登場する。
姉妹たちは、ラザロをなんとか治して貰いたかった。
イエスは殺されるリスクもあり、その場に2日間留まった。
その間にラザロは死んでしまう。
マリアやマルタたちに取って絶望的な事実。
今日、私たちに取って絶望を感じる瞬間が弟子生活であると思う。
その中でも希望を捨てず、自分の視点ではなく、神様の視点で見たい。
ポイント1: 復活は栄光
ヨハネ11:4
イエスはこのシーンで、使いの者が来たときに「神の栄光のため」と答えた。
ラザロが死にそうな状況でも、復活を、神様の栄光が現れルことを考えていた。
多くの人が神様の力を目の当たりにするビジョンを持っていた。
ヨハネによる福音書で、よくある流れがある。
イエスが伝えようとしていることと、聞いている人に解釈の違いがある。
弟子たちは違うことを考えている。
ヨハネ11:12-13
弟子たちの見方。ラザロのことについて話しているのではなく、寝ている人について言ったと考えた。
ヨハネ11:21/32
マルタとマリアの見方。
彼女たちの期待は、早くイエスが到着してラザロの病気をいやすこと。
神様は何でもできる方と信じていたが、死んだ人に希望を持てなかった。
イエスだけは違う。
絶望的なことの中でも、神様の栄光と希望を見ている。
ある兄弟、難しい状況が続いていた。
自分には価値がない、何も出来ないという思いと戦っていた。
神様から自信を取り戻して欲しい、と祈っていた。
毎週祈りの時間を持った。
少しずつ霊的な一歩を積み重ねることで、自信を持てた。
神様から愛されていることを感じた。
それによって自信を持ち、別人のようになっている。
これこそが霊的な復活。
本当に彼の霊的な復活、純粋な心を神様は見ていた。
安心感を持って、小グループに友人を誘っている。
自分が変えられたから、友人も変えられると確信している。
マリアとマルタのように、病を治すという範囲でしか信じられなくても、神様はそれを超えて働いてくださる。
その神様は私たちにも働いてくださる。
それを共に信じていきましょう。
復活は栄光だから。
ポイント2:命を与えるイエス
ヨハネ11:38-44
イエスがラザロを復活させる場面。
マルタに取って待ち望んだ状況。
ヨハネ11:22,25-27
彼女から強い神様への確信を感じられる。
ヨハネ11章、「イエスを信じる」ことにフォーカスされている。
25,26,40,42節に信じるという言葉が出てくる。
イエスが伝えていたのは、信じた時に神様の栄光が現れること。
この場面でのマルタは「主よ、四日もたっていますから、もう匂います」と言った。
復活への確信が乱れてしまった。
神様にフォーカスできず、信仰を失った。
私たちの人生にも起こるかもしれない。
私たちは本当にどうしようもない場面に直面したとき、恐れと自己中心から不信仰になるかもしれない。
この聖句に励まされたい。
ヨハネ11:40-42
マルタの信仰は完璧ではなかった。
しかしイエスはマルタの信仰が十分ではないからといって奇跡を起こさない方ではなかった。
イエスは神様を信じさせるために、ラザロの死を用いた。
私たちの信仰が素晴らしいから奇跡が起きるのではない。
神様は信仰を与えようとしてくださる。
命を受けられるように導いてくださる。
聖書勉強をしている友人と、5月にキャンプに行った。
とても素晴らしい時間で、翌日にでもバプテスマを受けたいと言ってくれた。
しかし親が反対し、関係が狭まることを心配した。
彼に考え直して欲しいと伝えた。
彼は「自分はもう、何が正しいのか、何を信じていいのかわからない」と話していた。
神様との関係が揺らいでしまった。
彼も、私自身も信じることが難しい状況になった。
しかし彼は神様との関係を諦めなかった。
2ヶ月間、神様との関係を少しずつ立て直した。
彼が変えられていく姿は想像をはるかに超えていた。
私がどれだけ自分の見方で神様を小さくしているか学ばされた。
彼は感謝し、バプテスマを受けたいと心から思っている。
お祈りをお願いします。
私たちは本当に難しい状況に直面すると、信仰を持つのが難しいと思う状況があるかもしれない。
しかし神様は奇跡を起こし、信仰を与えてくださる方。
具体的な実践:
マルタは最後の最後、現実に直面して信仰が揺らいだ。
しかしイエスがラザロを復活させたのは、彼女が求め続けたから。
私たちも神様が働かれる状況を求め続けましょう。
これから神様に見せて貰いたい奇跡を考えましょう。
具体的に思い浮かべましょう。
そのうち1つか2つ選んで、一週間集中して祈りましょう。
具体的に何か取り組みましょう。
信仰を与えるために神様が準備してくださいます。