『イエスに希望を持とう!』
スライドはこちらから→20210725 ヨハネシリーズ イエスに希望を持とう
クイズ:ヨハネの福音書について
ある学者の言葉「ヨハネの福音書はプールのようだ。子供が水浴びするほど浅く、〇〇も泳ぐことができるほど深い」の〇〇に入るのは?
A.鯨
B.象
C.北島康介
D.海猿
答えB。
ヨハネのプールに飛び込んでイエスを正しく知りましょう。
今回学ぶプールは、ヨハネ5章に登場するベトサダの池。憐れみの池、という意味。
2年前、イスラエルで発掘されたベトサダの池があった場所を見学できた。
このプールに、38年病気で動けない男性が横たわっていた。
その男性の前にイエスが現れた。
ヨハネ5:1-3,9
イエスはあえて安息日に説教した。
ユダヤの祭りの中。ヨハネの福音書には、いくつかの祭りが出てくる。
5章 安息日
6章 過越祭
7−9章 仮庵祭
10章 神殿奉献記念祭
安息日、プールが希望の形。
ヨハネはイエスが希望と信じる。
キリストがいれば十分である。
現代を見ても、昨年からコロナで、当たり前にできていたことが崩れ去る。良くない状況が続く。
でも、イエスキリストがいる。
どこにいても、どんな状況でも神様が共にいてくださる。
イエスに希望を持っていきましょう。
イエスはあなたを諦めない。
ヨハネ5:5-6
あなたがイエスなら、どんな言葉をこの男性にかけますか?
良くなりたいか、とは聞かないと思う。
イエスはその男性をよく知っていた。
知っていて、最も心に触れる質問を投げかけた。
ヨハネ5:7-9
私たちは当然、良くなりたいですという答えを期待する。
でも彼は、イエスの問いに直接答えていない。
良くなりたいかわからない。
でも、イエスは良しとした。
あなたが38年、病気の癒しを池で待ち続けていたらどうでしょうか?
それほど苦しみ続けるのはどんな思いだったでしょうか?
願っても失望し続けること、どうだったでしょうか?
いつか自分も、と思いながら半信半疑。
失望、悲しみ、難しいことが続くと私たちは間違った思い込みをしてしまう。
しかし38年彼が待ち続けた間は、誰かが助けてくれていた。運び込み、食事。
間違った思い込みは間違った神様像につながる。神様は助けてくれない、など。
間違った人生(罪)に繋がる。罪のせいで病気になったという思い、自分が罪を犯したという思いなど。
この男性、責任転嫁、不信仰の罪だった?
その男性にイエスは「良くなりたいか?」と問いかけた。
彼を諦めていなかったから。
イエスはあなたのことを諦めない。
助けたいと思ってくださる。
イエスの方から探して助けてくださる。
心の奥の願い、ニーズを聞いて満たしてくださる。
あなたに良くしてあげたいと願ってくださっている。
過去1年以上、がっかりして傷つくことがあった。
心を尽くして愛してきた友人が連絡が取れなくなった。
個人的に、夫婦で祈って努力していたことがうまくいかなかった。
間違った思い込み、神様像を見た。
自分が十分じゃないから、神様がガッカリしていると思った。
「良くなりたいか」イエスの言葉が刺さった。
私たちより葛藤してくださっているのがイエス。
神様がどれほど良くしてくださったか、もう一度覚えましょう。
先日、スタッフで集まって2030年の夢、願いを話し合い、祈った。
過去10年間、神様が私たちを導いてくださったかを思い起こした。
大阪教会をこの10年間神様がどれほど良くしてくださったかを覚えた。
2人の再検診、10人のバプテスマ。
東京などから6人移り住んでくれた。
34人の教会になり、10代、20代の兄弟姉妹もいる。
臆病、不信仰だった自分に神様が勇気をくださって、人を導くものにしてくれた。
大きな祝福を与えてくださった。
神様が良くしたいと信じているものを、信じていきましょう。
あなたは間違った思い込み、神様像を信じていませんか?
イエスが良くしたいことを信じ抜きましょう。
信頼して、周りの兄弟姉妹に心を打ち明けて、良くなれるようにしましょう。
イエスに希望を持ちましょう。
イエスはあなたのために命を捧げてくださった方だから。
ヨハネ5:15-18
ヨハネの福音書で初めて、イエスの命が狙われたことに言及された。
男性一人のために命をかけた。
それほどまでにこの男性を尊い存在と思った。
同じように私たち一人一人を尊い、価値ある存在と思ってくださる。
ヨハネ5:24
イエスは命を捧げ、永遠の命を与えてくださる方。
イエスは男性に「起き上がりなさい」と言った。
これは復活を示している。
イエスは復活の命、永遠の命を与えたい方。
文字通り、起き上がらせてくださった。
その鍵はイエスの言葉を信じること。
イエスの言葉を信じたから、起きて歩くことができた。
私たちはイエスの言葉を信じれば、起き上がることができる。
ヨハネ5:44
信じることを妨げるのは、私たちの高慢、自己中心。
イエスを迫害した人たちは、高慢、自己中心が妨げていた。
自分は東京から大阪に戻る時、自信を無くしていた。
関わる全てがうまく行っていないように感じていた。
私は人に嫌われたくない、と言う利己心に支配されていた。
中途半端な信仰。
自分を一番に愛しているから信仰が中途半端。
自分を捨てた時に、心からイエスを信じて働けるようになった。
その経験から、今でも不安と戦う時、イエスに死んで戦うようになった。
神様の誉れだけを求めて生きる時、ベストを尽くせる。
イエスの言葉に信頼し、復活の人生を歩みましょう。
高慢、自己中心に妨げられていませんか?
中途半端にしているものはありませんか?
イエスに希望を持って歩みましょう。
なぜならイエスはあなたを諦めないから。
イエスはあなたのために命を捨ててくださった。
イエスに希望を持ちましょう。