『イースター礼拝:イエス・キリストの復活』
スライドはこちらから→20210404 イースター礼拝 イエス・キリストの復活
Easterはクリスマスほど馴染みはないかもしれませんが、
キリスト教の世界にとって、クリスマスとEasterが2つの最も大きなお祭りごとです。
日本ではテーマパークなどが特別な企画を行っていて、
少しずつ知られるようになってきています。
まずイースタークイズから始めます。
次のうち、正しいものはどれでしょうか?
1) イースターの行事:
A)プレゼント交換
B)卵に色を塗る
C)仮装する
D)花火大会
答B 今は子供達が色々な色で卵を塗ったり、染めます。
卵は古代から死と生まれ変わりの意味があり、初代教会は卵を赤く染めてキリストの流した血を思い出していました。
2)イースタのお花:
A)ゆり
B)カーネーション
C)薔薇
D)ひまわり
答A ゆりの意味は二通りです。まずは花の白色はキリストの純潔さを表しています。
ゆりの花の形は、トランペットのようで、キリストの復活のメッセージを広く伝えるものを意味しています。
3)イースターの色:
A)赤・白
B)紫・黄色
C)青・緑
D)黒・銀
答B 紫はマルコ15章に書いてあるように、キリストは十字架に架かる前に紫の服を着せられました。
黄色:本当は金ですが、栄光と勝利の色で死に勝利した神様の栄光を意味します。
何問正解でしたか?これだけでも、皆様はかなりイースターのことを知ることになったと思います。
しかし、これら全てはほとんど聖書とは無関係なことばかりなので、本日は聖書から改めてイースターの本当の意味に迫っていきたいです。
イースターの本当の意味はなんですか?
イースターのメッセージは復活であり、この素晴らしい出来事をお祝いします。
1コリ15:2-4<新共同訳>
どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、
あなたがたはこの福音によって救われます。
さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、
また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと
福音とは英語で「ゴスペル(良いお知らせ)」
福音のメッセージはイエスが死んで、葬られて、復活したことです。
十字架はイエスキリストが愛してくださって、身代わりになって死んでくださったことを意味します。
復活したことはイエス・キリストが神の子で、神様には死を乗り越える力があることを意味します。
復活がなければ、キリストの福音のメッセージは不完全です。
クリスマスではイエス・キリストの誕生を祝います。
イースターではイエス・キリストの復活を祝います。
ポイント1:もしイエス・キリストが復活していなければ・・・
イエス・キリストは生きている時、はっきりと殺された三日後に復活すると断言した。
これはまずキリストの弟子の証言です。
マタイ16:15-16<新共同訳>
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
それを証明するイエスの証言です。
マタイ16:21<新共同訳>
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
もしイエス・キリストが復活していなければ、彼は嘘つきになります。
彼は物事をはっきりしてくださった。曖昧さを残さなかった。
日本人は宗教的なものに関して曖昧さを好む傾向があります。
これによって摩擦を回避するかもしれません。
しかし、はっきりとしたことは分かりません。
このように語る方が時々います:
「イエス・キリストは優れた人格者。彼の教えと生き方は素晴らしい。
しかし、彼は神の子ではない。」
しかし、イエスは自分が復活すると言っただけではなく、唯一の神の子、唯一の救いの道と語りました 。
ヨハネ14:6<新共同訳>
イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
この言葉を色々な形で捉えることができます。
イエスは排他的、高慢、曖昧ではない。
イエス・キリストは復活したか?大嘘つきなのか?
1コリント15:14-15<新共同訳>
そして、キリストが復活しなかったのなら、
わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。
更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。
もしイエス・キリストが復活していなければ、キリスト教は嘘であり、
クリスチャンの信仰は無駄、とまで言っています。
さらに聖書はここまで言います:
1コリント15:17-19<新共同訳>
そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
イエス・キリストが復活していなければ、私たちの罪はゆるされていません。
天国に行けません。
復活を信じるクリスチャンは最も惨めな者です。
イエス・キリストが復活したか、していないか?
していないと思っている方にお尋ねします。
直感的にそう思っているかきちんと調べた上でその結論に至っていますか?
盲目に信じてくださいとは言いません。
復活を信じなかったとしてもイエス・キリストの人類への大きな影響は否定できません。
米国のジェームズ・ケネディ氏の本「もしキリストが誕生していなければ」。
キリストの人類への影響を語りました:
・現代の病院制度 中世時代
・現在の大学 中世時代
・奴隷制度の廃止
・チャリティ・ボランティアの制度 (赤十字・ボランティア精神)
・女性の人権
キリストは復活し、人類の歴史に大きなインパクトを与えました。
キリストの復活は世界を変えたと言っても過言ではないでしょう。
ポイント2:もしイエス・キリストが復活したのであれば・・・
・イエスが語ったように、神の子である
・イエス・キリストは真実な方で約束を守る
・私たちには罪の赦し、魂の復活の希望がある
1コリント15:5-8<新共同訳>
ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。
そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
イエス・キリストは歴史的に事実だと証明されています。
人は科学的な証明をよく求めますが、過去の出来事に対して多くの場合、科学的または実験で証明することはできません。
新約聖書の書物が広がっていたこの時代に500人以上の生きた証人がいます。
しかし、クリスチャンは歴史的な事実であるから信じているわけではありません。
神様は何でもお出来になる力であると信じているから復活を信じているのです。
もしイエス・キリストが復活したのであれば今の私たちにどんな意味をもたらしますか?
1コリント15:9-10<新共同訳>
わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。
そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。
しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
著者パウロにとって復活は神の恵みのメッセージでした。
その恵みとはまず自分の罪が赦されるということです。
もう一つは自分が生まれ変わることができるということです。
かつて教会を迫害した、高慢で乱暴な人殺しであったパウロが復活によって生まれ変わるチャンスを頂きました。
生まれ変わったパウロは謙虚な柔和で愛に満ちた、イエス・キリストのような人物になりました。
神の恵みの定義:Dallas Willard 牧師
「神の恵みとは自分では全くできないことを神様が私たちを通して、又は私たちのために行ってくださることです。」
1コリント15:55-58<新共同訳>
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
人は死んだら復活できません。
人は罪を乗り越えられません。
人は罪を赦す力がありません。
イエス・キリストの復活によって神様は死に勝ちました。罪に勝ちました。
復活の恵みによって私たちは生まれ変わって、勝利者になりました。
この恵みを受けた上でのクリスチャンの労苦は決して無駄ではなく、無意味でもありません。
イエス・キリストが復活したのであれば、
・イエスは神の子である
・イエスは約束を守る方である
・私たちの罪は許され、天国の希望がありなす
このコロナ禍で暗くなっている世の中に対して最も希望に溢れたメッセージです。
キリストの復活を信じてみませんか?
ヨハネ20:29-31<新共同訳>
イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、
それはこの書物に書かれていない。
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
トマスという弟子はなかなかイエスの復活を信じられませんでした。
最終的にイエスの手とわき腹を触り傷口を見なければ信じられないと言いました。
イエス様は信じることに苦労するトマスを叱りませんでした。
忍耐しました。
奇跡を信じることは簡単ではないです。
だからこそ奇跡なのではないかと思います。
神様を信じて見ませんか?復活を信じてみませんか?
見ないのに信じる人は幸いです。
復活を信じる兄弟姉妹たち、自分は変われない、復活は難しいと思うことはありませんか?
夫婦関係・習慣・仕事ですか?
今日このイースターで復活のことをもう一度深く考えて信じて取り組んでください。
その他多くのしるし・これはつまり奇跡がありました。
神様が行った奇跡、特にイエス・キリストの復活の目的は皆様がイエス・キリストが神の子、救い主だと信じるためです。
しかし、信じるだけではなく、信じることによって命を受けてもらいたいです。
イエス・キリストは復活しました。あなたの人生には希望があります。
Easterは神様の恵みのメッセージです。
ぜひ皆様もこのメッセージを信じることによって神様からの命を受けていただきたいです。
Happy Easter、ありがとうございます。