2千年前に生まれたイエス・キリスト。
彼がもたらしたニュースはゴスペル、福音と呼ばれます。キリストが語ったことは良い知らせ。
3週間のシリーズを通して、福音はどういうものなのか深めて行きましょう。
シリーズテーマ聖句: ルカ4:18-19
イエスが初めて会堂で自分自身を語ったメッセージ。
内御堂夫妻のシェアにもありましたが、この言葉を聞いてどう感じますか?
- 捕らわれていた人が自由になる
- 捕らわれていたことから人生が解放される
このコンセプトは、なかなか日本人には理解しにくいかもしれない。 2千年前ユダヤ人にとっては、奴隷や捕虜になることは身近だった。
私が真っ先に思い浮かべる一人の人がいる。ネルソン・マンデラ。
南アフリカの大統領。人種差別解放のために活動。牢屋に入れられた。その後大統領になった。
最初終身刑だった。27年間刑に服していた。
IDカードを燃やしたら国家反逆罪になった。
解放されたときには、どれほどの思いだったのか?
どれほど大きいものだったか?
福音がもたらすものは、捕らわれからの自由、解放・・・。
わたし達は牢屋に入っているわけではない。でもあらゆる依存するものがある社会。
かつてないほど他人の評価を気にする社会。
見えない手枷、足枷がある。
わたし達は本当に解放されているのでしょうか?
ポイント1:自由とは”何に”つながっているのか?
矛盾のよう何かにとらわれているから自由でなく、とらわれていないから自由なのか?
わたしは最近ブレネー・ブラウンさんから感銘を受け深く学んでいる。
彼女によると:
偽りのない生き方、ありのままに生きる人
↓
愛や帰属意識を深く感じている人
↓
勇気思いやり人とのつながりのある人生を生きることが出来る
愛とここにわたしの居所がある
すべての人に削ることのできない欲求
人は人とのつながりを求めるように生まれついている
帰属意識、愛が必要
この切望はあまりに根源的であるために
わたし達は状況に合わせたり、他人の承認を求めたりしてしまう。
帰属の代用となるもので埋めようとしてしまう。空疎。むしろ帰属の障害になる。
本物のつながりとはなんでしょう?
わたし達は何によって本当の自分を表せますか?
帰属とは?「所有、~のもの」
わたし達は”何の”ものか?
福音を知らせるイエスはこう言った。
マタイ11:28-30
「疲れた者、重荷を負う者 休ませてあげよう」
山奥の温泉で何もしないような本物の休息。
わたし達には必要。
しかし、くびき=農耕作業する牛が好きなところに行かないようにするもの。
矛盾に思える。
イエスに捕らえられること。それは、重荷や疲れにならない。
どういうことか?
キリストに囚われることは本物に属すること。
自由になり、解放されること。
神様、イエス・キリストこそ、捕らわれているものから本物の自由に解放してくれるもの。
わたしは18歳の時、1999年に東京で生活を始めた。
去年、今年で東京に出てきて、実家で過ごした歳月を超えた。感慨深い。
いつも戻る場所があった。神様の元。本当に感謝。
父が癌になったと皆さんに話した。
12月に手術出来ることになった。引き続きお祈りお願いいたします。
いつも元気だった父も周りもショックだったが、隣で見守る母がもっとショック。
2週間前、手術できるかもわからなかった。不安で恐れがあった。一緒にいた。
母は今年クリスチャンになった。彼女は病院でお祈りしていた。病院の対応が悪く、わたしはちょっと怒りのメールをした。
母は「大丈夫、神様いるから。」と言ってくれた。
自分が救われ、父が救われ、今年母が救われた。親子関係には、しこりがない。感謝。
神様のつながっても試練はある。むしろ多いかもしれない。
でも本物のつながりは自由を与えてくれる。
今日、ぜひキリストにつながって行きましょう。
ポイント2:自由とは、人生を変える力を持つ
本物のつながりを持つ人生は、それで終わりではない。
他の人を愛して、人の人生を変え、影響することが出来る。
ヨハネ15:5
本当にイエスにつながっていると何が出来るでしょう?
イエスはご自身をぶどうの木に例えた。
ぶどう狩り、桃狩り、梨狩り、いちご狩り。。。
実はわたしはそのような○○狩りが大好き。実が豊かになっている。
聖書で結ぶ実は、人と人とにつながりがある。
キリストにつながる人は豊かな実をつけることが出来る。
今日わたし達の人生でどんな実がなっていますか?
どこで実を結ぶか?
わたし達は枝。わたし達の人生の先に、神様の栄光である実を結びたい。
実とは愛、慈しみ、共感、勇気。
2千年間、キリストにつながった人たちが豊かな実を結んできた
今日わたし達の人生はどうでしょうか?
なぜわたし達は豊かな実を結ぶことができないでしょうか?
ぶどうの木が豊かに実をつけるには、日光、水はけ、栄養が必要。
これらは、木そのものに必要。
枝を切ったら意味がない。枝は木につながって木から栄養を得る。
わたし達は枝のことばかり気にかけていないか?
イエスである木を気にかけていない。自分のことばかり。
そもそもの木は栄養があるのか?
そこに気にかけているのか?
社会は、もっと強い枝にならないといけないと言う。
自己中心にしようとしていなくても、なっていることが多い。
キリストにつながっていれば自己中心にはなり得ない。
キリストにつながっているそれは本来の存在だとイエスは言われた。
本当に豊かな実を結べる。自由になる。
今日自己中心を捨てて、キリスト中心に生きて行きましょう。
マンデラ大統領の言葉: 「自由であるというのは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、他人の自由を尊重し、向上させるような生き方をすることである。」
生まれた時から人種差別され続け、憎しみが生まれた。
27年間の刑。彼には報復も出来た。
しかし「もっとも大切なのは、ゆるし」という道を選んだ。そして他の人にもそれを勧めた。
わたし達は自分の鎖を解くことだけ考えてしまう。
でも他の人の鎖を解くことが出来る。影響出来る。人の人生を変える影響。
本当のつながりを持つことが出来る。
もしあなたがクリスチャンであるなら、キリストにつながって解放され、人々にも解放をもたらす人生を歩んでいるでしょうか?
もしあなたがまだキリストを知らない人であるなら、キリストの福音を知り、本物の人生を歩むことをおすすめします。
一番大切な問いかけ:このグッドニュース、良い知らせにどのように反応しますか?
あなたがもし、弟子であるなら深めてください。
あなたがもしノンクリスチャンなら、良い知らせがどのようなものであるかを知ってください。
キリストにつながり、自由になり、他の人に解放をもたらす人になっていきましょう。