これはアウトドアに一緒に行き、サウンドシステムが良いところで歌いましょうという意味ではない。
人生の暗いところ=洞窟
暗い洞窟の中であっても、歌を歌えますか?
私たちの信仰生活は、その暗い中で神様に喜びの歌を歌えるでしょうか?
今日はそのことを一緒に考えてみたいと思います。
詩編57:1-12
これは詩編。歌です。
言葉の意味も大事ですが、それを歌った人の心の思い、感情が大事です。詩編は、人の心を歌ったものであると同時に、神様の思いがある。
イエスはしばしば、詩編から引用した。特に有名なのは詩編22。十字架の思い。
過去半年以上、詩編を勉強してきた。
この詩編は、ダビデの詩。
ミクタムという形式で書かれている。
ミクタムの意味は謎。
ダビデがサウル王から命を狙われて、洞窟にいる時の詩。 洞窟で書かれた。エン・ゲディという洞穴。
1サムエル24章
サウル王から何年も命を狙われていた
3000人の選抜隊がダビデを追い詰めた
ダビデは息を潜めて洞窟で隠れていた。
エン・ゲディは広くない。見つかるのは時間の問題
ダビデは洞窟で歌を歌った。
私たちの人生は、洞窟の中で歌を歌える人生でしょうか?
ポイント1:自分の洞窟を見る
暗い場所、中に何があるかわからない。
コウモリがいる場合がある。何百万羽の場所も。ダビデは隠れるため灯りを点けられなかった。 暗い。行きたくない場所。葛藤、痛み、ストレスのある場所。でもいないといけない場所。
私たちにとっての洞窟のような場所は?
ダビデは何を思い、この歌を歌ったのでしょうか?
よくこの歌を見ると、彼がどれほど自分の心を見ていたかがわかる。
2節 災いだ。苦しくてたまらない。
5節 飢えた猛獣の中に放り込まれた。槍。苦しみ。
6節 distress 苦の葛藤、思い悩み
自分が何者なのか理解したからこそ、神様に頼って、美しい表現が出来たのかもしれません。賛美している。
リアルなダビデ。何も隠していない。頼りになるのは神様だけ。
私たちは、本当の洞窟を見なければいけない。本当の自分の苦しい心。本当は自分が頼りにしているもの。自分という本当の洞窟を見ることになったダビデ。
今日のあなたの洞窟は何でしょうか?
大変な状況にあるからといって、本当の洞窟、心の恐れや不安を見ているとは限らない。
本当の問題は、状況より、恐れや心に直面しないことかもしれません。
私たちは問題を避けて、違うもので満たそうとする。何も解決できない。
『恐れるな』と神様は聖書で7千回以上言う。
私たちはすぐ恐れてしまう。心を見ない。
洞窟は、向き合わない心、解決されてない過去、傷かもしれない。
本当の自分を認めないことが私たちの問題かもしれない。
1ヶ月ちょっと前に、私は倒れて、救急車で運ばれた。 今は大丈夫と言っているけど、完全に回復していない。疲れが溜まりやすい。
一度倒れると、回復できない。もともと頭痛持ち。6年前からのマラソンで頭痛、肩こりが治ったが、また頭痛がある。
ここ1ヶ月で素晴らしいことが起きている。キャンパスで2人のバプテスマ、感動的な軽井沢。
多くの人が来る。皆学生たちは、燃えている。
皆が良い状態で、自分が動けないのが辛い。
燃え尽きる牧師の本を読んでいる。アメリカには多くの燃え尽き症候群の牧師がいて、そういった本がある。
この聖句を読んだ時、私は反射的に逃げるのでなく、ダビデに見習って、自分という洞窟にとどまることにした。
神様に用いられない恐れ、いろんなところに手を出しすぎていること。
もう一歩奥に行くと、ほんとうの気持ちを問いかけると、本当にダビデのように神様のためにただ生きたいのか?純粋に神様へのこころに触れた。
やるべきことが見えると、あまりエネルギーや時間を使わなくて良くなる。
自分がやるべきであることは、人に宣べ伝えること、管理するのでなく、育てること。
私たちは今日、自分の洞窟を見えていますか?神様を見る妨げになっているものをやめましょう。
ポイント2:洞窟の中で本当の神様を見出す
この歌の後半は様子が違う。ダビデはただ苦しさを表現して終わりではなかった。
8節 心を確かにする 安定、揺るがない確信
9 目覚めよ琴 賛美する、ほめ歌を歌います
6、12 頌栄 doxology 賛美
暗闇の中で神様を賛美。状況的にはおかしい。
でもダビデは、神様からの安心をそこで見出した。 洞窟は、本当の神様を見出す場所。
だから、ダビデは賛美出来た。
自分自身を見つめ、神様を味わえた時に神様に歌うことが出来た。
洞窟でしか見られない美しい光景もある。
ただ痛くて苦しい場所ではない。
本当の神様を見出すことができる。ほんとうの神様への歌を歌うことが出来る。
今年たくさん嫌な思いをしている。
洞窟へ行って、できるだけ皆にシェアしている。皆さんに洞窟からの神様の喜びを味わってほしいから。
先日、感情のプールを泳ぐという話をした。
ある兄弟が、涙を流して話してくれた。
心を見られない。奥さんにも感情がわからないと言われた。心を見て、触れて出し続けていく必要があると伝えた。 先週、またその兄弟が話しかけてくれてこの2ヶ月、忠実に心に取り組んでいる。特に会社。 トイレの中でそれを吐き出す。汚い思い。まだ掴みきれていないけど、今までより心を感じられた、神様に近くなってきていると。感動し、励まされた。彼は変わってきている。
洞窟は、より心を見て、ほんとうの神様に近づけてくれる。だからダビデは、3千年続く美しい歌を作れた。洞窟の中で神様を見出せます。
今日私たちも洞窟の中で、確信を見出しましょう。
どんなに暗い洞窟があっても、難しさにはまったとしても、私たちの教会が洞窟に向き合ってリアルな自分に向き合って、神様に歌うことができれば、どれほど世の中の人にインパクトがあるでしょうか?どれほどの希望があるでしょうか。
だから今日、心にあるネガティヴな思いに蓋をしないでください。私たちの教会はまだまだ足りない。リアルな本物の感情に向き合っていない。今年動きがない。感情に蓋をして逃げずに、心にあるものに向き合い、リアルな神様に近づきましょう。「信じるものには何でも出来る。」という信仰を持つために。
私たちの社会には暗い洞窟がたくさんある。日々の闘い、痛みなどありのままを人々にシェアして、本当の神様を伝えたらどれほどのインパクトがあるでしょうか。
不安、恐れから逃げることは、信じることの妨げになる。
逃げずに本当の自分に向き合って、神様に近づきましょう。
聖書を学んでいる方々、クリスチャンでない方。
今日は、聖書が綺麗事だけではないと知ったと思います。聖書のメッセージはリアルです。生きています。ぜひそのような、生きているリアルなメッセージを味わってみてください。