今日は、信仰のキセキの旅。
先月オリンピックを見た。リオの次は日本。
世界中の人がオリンピックを見に日本に来たとき、祝福を受けると思う。
日本はハイテク。お手洗いにもハイテクが使われている。通訳機もある。
驚きばかり。日本は偉大な国。
日本料理、シンプルでありながら美しい。
あなた方は、日本人であることを誇りに思って欲しい。
大事なのは神様がどう思ってくださるか。
どんな国に育っても、神様に出会える。
リオで、メダル数は日本史上最多だった。
マレーシア、金メダルはない。3つの銀メダル。
シンガポールは初めて金メダルを取った。国中でパレード。
「あなたはわたしのライバルであるが敵ではない
あなたからの抵抗によってわたしは強くなる
あなたの闘志によって勇気が与えられる
あなたの魂が私の品位を上げる
私はあなたに勝とうとするが、勝ったとしても
決してあなたに恥をかかせはしない
逆にあなたに名誉をおくる
あなたがいるからこそ私の価値が上がる」
闘志を表す素晴らしい言葉。
過去、メダルを貰うべきじゃない人が貰ったこともあった。薬物使用で剥奪。
メダルを貰うことが大切ですか?
会社では、結果が出ないとがんばっても受け入れられない。結果が全て。
でも、私達は結果よりも旅路が大事。
私達も最終的に天国に行きたいが、それが全てではない。
第2コリント5:7
「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。」
私たちはメダルを求めているわけではない。
目に見えるものを追っているわけではない。
旅路が大事。
目隠しして歩くゲームを行うと、他チームからの妨害がある。間違った情報を伝えられる・・・。
信仰の旅もそう。目に頼ると失敗する。
耳を鍛える必要がある。神様からの声がよく聞こえるよう。
悪魔の声もいっぱい聞こえる。
神様の声を聞かなければ、道に迷ってしまう。
ポイント1:塩気があり、価値のある弟子
ルカ14:25-35
「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」
物凄くきびしい言葉。
2000年前にイエスの口から聞いた人にとっても、とても厳しかった。
イエスにみんな付いて来ているのに、イエスはなぜそんなことを言うのか?
イエスが伝えたいのは、イエスの下にいるだけでイエスの弟子にはなれないということこと。
もしついてきたいなら、色々な決断が必要。
ついていっているひとがたまたまイエスであるからと言って、必ずしもイエスの弟子であるとは言えない。
現代でも、イエスについて来たい人には誰でも言うだろう。
イエスは「クリスチャンになり、イエスについていくには自分の家族・命を憎め」と、語っている。
皆さんは目隠しされている。正しい声が頼り。サタンの声も聞こえて来るので、簡単ではない。
間違った声が語りかけてくる。
- 祈ってイエスを心に受け入れたら救われる
- ただ信じれば救われる
- イエスを個人的な救い主として受け入れる
これと、先ほどのイエスの言葉は全く違う。
信仰のキセキの旅を歩むためには、自分に問うてください。
「人々は長年イエスのメッセージを受け入れられやすくしようと努力してきた」
MacArthur著「The Gospel According to Jesus」
オリジナルの言葉は、無礼で尊敬がなく怖い。
イエスの言葉を言い換えた結果、柔らかい言葉になった。
でも、イエスはこそこそと、謝りながらこの言葉を言ったわけではない。
群衆の前で堂々と話した。それによって、つまずいた人もいるが悔い改めた人もいた。
イエスの言い方は、言葉を変えてしまったら理解不能になる。
『近年の福音のメッセージをよく聞いてみてください。
「イエスキリストを個人的な救い主として受け入れましょう」
「イエスを心で受け入れましょう」
「キリストを人生に招待しよう」
「キリストのために決心しよう」
などのメッセージを聞きます。当たり前のように聞いていますが、どの言葉にも聖書的な根拠は一切ありません。』
MacArthur著「The Gospel According to Jesus」
『これは水に薄めた福音である。イエスが語った福音は違う。』
MacArthur著「The Gospel According to Jesus」
間違った言葉を聞いてしまう。
イエスの言葉は闇を切り裂く。
イエスは真理を求める人。
『弟子化の代価:
・自分の罪を憎む
・自分を捨てるキリストの呼びかけ
・彼に従う命令
・特にキリストを主として従う
などのメッセージはクリスチャンが未信者に伝えるメッセージから体系的に消えていた』
MacArthur著「The Gospel According to Jesus」
家族に対して憎しみがある、と思われるぐらい神様を愛することがイエスの期待。
詩編107:2-6
「主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
国々の中から集めてくださった/東から西から、北から南から。
彼らは、荒れ野で迷い/砂漠で人の住む町への道を見失った。
飢え、渇き、魂は衰え果てた。
苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから救ってくださった。」
それはあまりにも神様を愛するあまり。それだけの距離があっても変わらない。 子供は大好きだけど、オムツは汚いから替えない。お風呂に入れるのは大変だからしない。そんな風にはなりたくない。
そんな関係だと、親子関係は失敗する。
親子関係、結婚関係は高いコミットを求めている。大変。
オープンな結婚関係を作ってください。
関係が悪くなったら、他の異性に慰めてもらう。それは良くない。
結婚前に、まずは同棲もよくない。
関係の基準が高いから低くしよう、というのは間違っている。
結婚というのは神聖なもの。
神様が作った神聖なものを汚すべきではない。
結婚の基準は妥協出来ない。
神様との関係は、その結婚より上。
神様との関係はどれほど期待が高いのでしょうか?
ルカ14:34-35
「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」
イエスは塩について語った。
なぜ塩の話をしたか?
当時のパレスチナ、海水から塩をとった。不純物が多い。
買った時には塩気があっても、家に着くころにはなくなる。
私達もそう。弟子になったばかりは力強くても、弟子としての心が、動機が純粋ではなければ、力強さを失う。
人と人との間でも、塩を送るという表現がある。
敵同士で、塩と塩で契約したら二度と攻撃しないという意味がある。
最近、結婚式でも塩を贈り合うところもある。
神様はわれわれを信頼してくれて、純粋な塩を与えてくれている。
救われた時からずっと、私と神様の関係は変わらない。
こんな契約ができるのは恵み。
「何も与えない、代価もない、苦しみもない宗教は価値のないものである」
マルティン・ルター
あなたは神との契約を忠実に守っていますか?
純粋なイエスとの関係を続けていきましょう。
ポイント2:神様はあるもの以上を要求しない
ヨハネ6:5-9
「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、『めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう』と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。』」
イエスはなぜフィリポに聞いた?
彼はベトサイダ出身。5000人を食べさせたのはこの地域だった。
アンドレたちも同じ出身地。では、フィリポの信仰が弱まっていたから試したか?
神様はすでに答えがある。
小さい村ではパン5000人など無理!というのがフィリポの答え。
アンドレは少年を連れて来た。
ヨハネ1:41-42
「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシア――「油を注がれた者」という意味――に出会った』と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする』と言われた。」
アンドレはかつて、ペトロをイエスのもとに連れていった。
解決がないような、5000人に食事を与えることもイエスは出来るという信仰を持っていた。
坊やがフィリポのところに来たら?
アンデレが全員分のパンを見つけたら?
この奇跡の話はなくなる。
わたしたちは信仰の奇跡的な旅を歩みたい。
5000人の人々がわずかな魚、パンで乗り切れるわけがない。
ミッションについて、自信満々の時に送り出されたい。全部整って欲しい。
でも、全部整っていたら神様がやることはない。
自分が持っているものを使うだけでいい。足りないものは神様が見つけてくれる。
一人一人、わずかなものをささげてください。
フィリポという、マレーシアの兄弟がいる。
2年前、倒れて入院しっぱなしだった。神様の恵みで回復した。
そしてスティーブンと時間を過ごして、神様のために用いられようとクアラルンプールにミッションに来た。
神様の計画は偉大。
彼は長年イエスとの約束を忘れていたが、思い起こした。
ヨハネ6:11-13
「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい』と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。」
考えてみてください。
あなたは皆さんが持っているパン5つと魚2匹で今何をしますか?