『わたしたちの住むところ』
今月は第2コリントの手紙から学んでいきたい。
今日は5章から学ぶ。
第2コリントの手紙:
パウロとコリントの教会
・多くの問題(1コリント参照)
・偽教師の問題(反パウロ)
・痛みの訪問
2コリ2:1、12:14
とても厳しいメッセージをパウロは送っている。
・涙の手紙(2コリ2:4)
・コリントの教会の悔い改め
最終的にはコリントの教会は悔い改めた。
パウロとコリントの教会にはいろんな歴史があった。
どの手紙よりもパウロの思いが書かれた手紙、神様の素晴らしさが書かれた手紙と言われている。
2コリ5:1ー10
この箇所、地上の住処、天の住処について書かれている。
ぱっと読んだだけでは理解しづらい。
パウロは何を伝えたかったか?
パウロはテント職人だったから幕屋について話したかった?
私たちは地上で幕屋に住んでいるが、約束された天がある。
私たちは地上で呻いているが、天国がある。
希望の聖句。
4章でもそうだったが、パウロは特に2コリントで対比表現を使う。
対比:
地上の住みか VS 天の住みか
滅びる幕屋(テント) VS 永遠の建物
人の手によって VS 神によって
うめき/重荷 VS 心強い(確信)
主から離れて VS 主の元に住む
これを読んでいて、以前はパウロが比較していると思っていた。
比較と対比は違う。
対比はどちらも強調する。
この箇所を理解するためには、地上と天国の両方を理解しないといけない。
神学者でも難しいと言われる箇所。でも理解したい。
パウロはなぜ、何度も対比表現を使ったか?
ポイント1:地上の住みか、うめくこと
パウロは地上の住みかについて語ってくれた。
テントに住んだことはありますか?
薄い布、滅ぶもの。
うめく:Groan
悲しみを伴って、苦しむ、ため息をつく、恨む
パウロは自分自身の弱さをここで表現している。
なぜパウロはこのような表現を使ったか?
この表現はリスクがある。
パウロとコリントの教会には歴史がある。
コリントの教会、悔い改めてはいたが偽教師がパウロを攻撃している。
パウロは何度も何度もコリントに対して強い言葉を伝えた。
そこで、自分がもがいているという言葉、自分の弱さをさらしてしまうとマズいのは?
神様について、天の素晴らしさについて語る時に地上の苦しさを語るのは必要でしょうか?
なぜパウロは自分の弱さを表現した?
パウロが言ったのは、「重荷を負ってうめいているのは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではない」ということ。
驚く言葉。辛いこと、苦しいことがあった時になぜ自分の弱さを表現する?
地上の住みかを脱ぎ捨てたいから。
地上のテントだと風当たりが強かったりするから、天の国で「ちょっと聞いてください」とやりたいと思ってしまうのが普通。
パウロは、重荷を負ってうめいているのは「天の住みかを上に着たい。死ぬはずのものが命に飲み込まれるため」と言っている。
弱さをさらけ出すことによって、神様の命を味わうことができる。
わたしたちは地上において、死ぬべきものが命に飲み込まれる経験ができる。
弱さをさらけ出すことで、神様を味わうことができる。
考えさせられた。
教会では、自分の弱さ、葛藤を表現することに10年間取り組んできた。
脆弱になること。
それを私たちは地上の住みかを取り去るためだけにやっていませんか?
人と繋がるためになっていませんか?
私は伝えたい。
弱さをさらけ出すことによって、神様を味わえる。
天の住みかを上に着ることが出来る。
リーダーシップの面で、弱さをさらけ出すことが社会でも主流になってきている。
最近のビジネス本などにも書いてある。
非常に大切なこと。
わたしたちは神様に従う者。
弱さをさらして人とだけ繋がるだけではない。
2コリ6:11−13
英語では「Wide Open」。心を広くしてください。
パウロはこれによって神様を感じられるとわかっていた。
皆さん改めて、心を広く開いていきましょう。
先週、美香さんのお父さんが亡くなった。
キリスト教式の葬式だったので、他のスタッフも一緒に行った。
人が亡くなる時、死に直面すると様々な思いが出てくる。
私は昨年父を亡くしたことを思い出した。
葬式ほど、自分にとって何が大切か考えさせられる機会はない。
そこで改めて神様の思い、メッセージについて考えさせられた。
先週の日曜日、感謝というテーマで山崎武士さんが説教してくれた。
お礼状の宿題が出ていた。
私は、お礼状を最も感謝している母親に書いた。
この一年、最も苦しみを共に味わった。
感謝を思い起こす前に、苦しみを出した。
苦しんでいる母を見るのも辛かった。
このように心を表現すればするほど、わたしたちは内面が変えられていく。
これがパウロが話していること。
今日、心を開いてください。
私たちは深い部分で、自分の心を見なくなる。
そのようなクリスチャンを「Detach(切り離しクリスチャン)」という。
間違いではないが、確信ではない。
今日、心を広くしていきましょう。
私たちは、新型コロナの影響で新しい挑戦をしている。
オンライン聖書勉強。思ったよりしっかりできる。
実践:今週誰か一人と心を「広くして」、分かち合いましょう
ポイント2:天のすみか、保証されている
私たちは天の住みかを与えられている。経験している。
保証→手付金、Deposit
まだ自分の元には届いていないが、手付金が支払われているので自分のものになっている。
どういうことか?
先週朝、家のトイレットペーパーが無くなってしまった。
買いに行っても売っていない。
女性が多い我が家では死活問題。
次の日の朝いち、何とか買えた。
こんな時、「竹本家は必ずトイレットペーパーが手に入る」と言われると安心する。。。
それが神様の約束。
私たちには天の住みかが約束されている。
どのようにすればその確信を持てますか?
聖書が言っているのは曖昧なメッセージではない。
保証されている。約束されている。
保証、今は違う意味で使われている。
ギリシャ語で「婚約指輪」。
婚約指輪、まだ結婚していないが契約を前提としている。
神様は私たちに婚約指輪を与えてくださっている。
それは命を味わう恵み。
私たちは地上の住みかを見過ぎている。
自分の心だけ見ることは、不信仰クリスチャンになりやすい。
うめいて重荷を背負っているだけでは確信ではない。
「自分は失敗している、不安だ」という思いより、「神様がこれを約束してくれる」ことを信じましょう。
保証→誓約、契約
一度結ばれたら果たさないといけない。
自分たちの思いでは変わらない。
その変わらなさを覚えないといけない。
それを確信して、前進していきましょう。
天の住みかは、すでに約束されていて、かつ決して変わることがない。
心強い→確信がある→大胆になる
「勇気を実践する」
どういうことでしょうか?
私たちは保証されているから勇気を実践できる、大胆になる。
命を味わっている恵み。
迫害があっても前進を止めることはできない。
その信仰を持っていきましょう。
コロナの脅威がある中、どんな神様をみていますか?
不確実な状況がある中で、いろんな判断。
集まった時にはどのような神様の働きが起きるのか。
毎日心を変えられ続けていきましょう。
天の住みかを見続けていきましょう。
具体的に天の住みかを見て、婚約指輪を確認して勇気を実践しましょう。
大胆な信仰を持ちましょう。
この時こそチャンス。
普段電話しない人に電話してみましょう。
神の住みかに、手付金がすでに払われている。
地上の住みか、天の住みかの両方を見ながら歩みましょう。