『攻められても打ち負かされない』
第2コリントの信徒への手紙から学ぶシリーズ、今日が最後です。
来月からは使徒言行録から学びます。
今まで、第2コリントの信徒への手紙前半部分を学ぶことが多かった。
前半部分では、どのように神様の栄光を表すかについて語られていた。
7章以降は、コリントの教会がどのように悔い改めたかが書かれている。
10章から13章までテンションが変わる。
偽教師、偽使徒の問題についてパウロが再び語る。
彼らが話すのは、パウロが伝えた福音のようだが異なるもの。
「パウロは正しくない、相応しくない、大したことがない。」
そのようなメッセージが語られた。
コリントの教会が混乱し、パウロを信じないようになった。
パウロはコリントの教会を正すため、弁明のために強いテンションで話す。
今日読む箇所、コリントの教会の人々に対して語った言葉。
2000年の時を経て、神様のメッセージになって、パウロの言葉が神様が望んでいることを語っている。
神様のメッセージを受け取りましょう。
コロナウィルスのある中で、私たちがどのようになっていくべきかのメッセージもあると思う。
ポイント1:戦いを戦う
2コリ10:1-11
パウロが、偽教師、偽使徒からどれほど攻められたか分かる。
・手紙と実際の態度が違う
・外見もふさわしくない
→パウロは正当な使徒ではない
パウロが相当嫌な思いを感じていたと思う。
「パウロは手紙では強い言葉を言うが、会うと弱腰」というのを皮肉を込めて言っている。
パウロ自身、傷ついていると思う。
パウロの本音が出ている。
コリントの教会は、偽教師、偽使徒の嘘のメッセージに影響された。
この中でパウロは何を伝えるでしょうか?
“戦争”の比喩。
私たちは人間的なものではなく、霊的な武器を持って戦っている。
パウロは戦争、という表現を使った。
パウロは特定のトピックに対して、信仰は戦いの側面があると語る。
肉的なものが神様の基準を脅かす。
私たちはこのメッセージを受け止めて実戦する必要がある。
パウロはなぜ戦いと言うか?
敵が攻めてきているから。
要塞を倒さなければならないとパウロは伝えた。
神様に対抗する肉的なものが、要塞のように強く、私たちに立ち向かってきている。
要塞の強さを知っていますか?
エルヴァスという要塞がポルトガルにある。世界最大の要塞都市。
ナポレオンでさえ崩せなかった。
日本の要塞、熊本城。
4000人で14000人の薩摩軍を西南戦争の際に止めた。
私たちは直面するものがどれほど強いかを理解しないで戦おうとしてしまう。
人間的な理屈、高慢、あらゆる誘惑、歪んだ見方、捉え方。
私たちは要塞に弾き返される。
なぜでしょうか?
私たちが敵をしっかり見ていないから。
それは、あまりに力強いから準備して戦わないと倒せない。
倒すために何が必要か、どんな準備が必要かをしっかり考える。
何が私たちにとって要塞になっているか見えていますか?
コロナとの戦いも要塞に思える。
わからないことが多すぎる。
何が正しいか、終息の見通しがわからない。
不安や恐れに囚われそうになるとき、現実を見ないといけない。
欧米のリーダーたち、戦時中の覚悟が必要と言っている。
目を覚ますように呼びかけられている。
しっかり準備して戦う必要がある。
敵がいかに強いかを見ることは、不安に支配されることではない。
敵を正しく知り、共に戦いましょう。
霊的なもの、神様の力で戦いましょう。
神様の力なら、要塞を破壊できる。
私たちはそれは神様の力でないとできない。
パウロはあまり細かく説明していない。
神様の力を信頼して、神様の力で戦う。
その時、私たちは神様の素晴らしさをより感じられる。
聖書勉強、神様の力を感じる機会。
どうやったら変われますか、長年の悩みを解決出来ますか、と聞いてくる人が多いが、神様の力なら直してくれる。
この数ヶ月間、一緒に聖書を勉強している人がいる。
自信がない。人と比べて、自分はまだまだと思ってしまう。
ずっと同じことを言っていた。
十字架まで勉強したが、どうしたら人と比べないように助けられるかわからなかった。
私たちは一貫して神様を紹介し続けた。
そんなある日、「エレミヤ17:10でQTを取って、神様は自分を理解してくれる存在なので安心していられる」とシェアしてくれた。
神様の方を向いていれば大丈夫。
霊的な武器は要塞を破壊する。
神様の武器は要塞を破壊する。
肉的なものに惹かれそうなとき、共に戦いましょう。
実践:今週、自分の要塞を1つ書き出して戦っていきましょう
ポイント2:範囲内で誇る
2コリ10:12-18
難しい箇所。
決められた範囲で誇る。
パウロが繰り返し言うのは、「範囲内」という言葉。
偽教師、偽使徒の問題:
・自己推薦
・評価し合い、比較し合い
→パウロは大したことない、パウロは正当な使徒ではない
それに対して、パウロは繰り返し語る。
限度を超えて誇らず、範囲の中で誇る。
コリントの人に知って欲しかった。
パウロは、自分を大きく見せようとはしない、他とは比較しない。
“境界線”
パウロは攻められていた。
自分のしてきたことを弁明しても良かった。
でも、神様の前で自分がどのような存在か語った。
無闇に自分を正当化しなかった。
神様の働きと自分の働きについて、境界線を持っていた。
だから、必要以上に自分を誇ることがなかった。
このパウロの態度をどう思いますか?
私は、パウロが明確な境界線を引いていることを実感した。
新型コロナウィルスの問題が出てから、毎週決断を迫られている。
神様の計画か、4月からリーダーシップが変わる。
毎週神様、周りの人々から知恵をもらい、決断している。
情報を集める中で、様々な意見がある。
コロナについて、国と自治体、国と国など、意見が違う。
責任の押し付け合いも起きている。
パウロは、コリント教会の今の状況をわかっていて、人がコントロールすべきことと神様がコントロールしてくださることの範囲を知っていた。
だからはっきりと境界線を引けた。
今なお確信を持って向き合えた。
難しい状況でもメッセージを伝えることができた。
2コリ10:17「誇るものは主を誇れ」
エレミヤ9:23の引用。
エレミヤの時代も国が混乱していた。
神様こそが公正、正義。
それを理解してこそ、境界線を知ることができる。
正しい境界線が分かっていなければ、自分を正当化できない。
人の意見に流されたり、必要以上に恐れると確信を持って決断出来なくなる。
私たちがこの状況で持つべき態度。
一緒に神様を見ていきましょう。
ポイントは主を誇ること。
栄光を返す。喜ぶ。神様を喜ばせる。そのような態度が必要。
2ヶ月コリントを学び、良い知識を得られた。
複雑な問題、人間関係がコリントの教会にあり、過剰とも思えるパウロの感情が吐き出される。
私たちもパウロの模範に倣うことができる。
自分を攻めるものがあっても、問題から逃げることなく神様を誇ることができる。
健全な境界線を持ちましょう。
実践:今週、神様にフォーカスして、確信を強める時間をもつ。自分が持つべき態度は何か考える。