『あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分なのです』
1コリント3、12章
この手紙はパウロがコリントの教会へ宛てた手紙。
コリントの教会には分裂と不一致があった。
あなたは神様が作った傑作です。
歳を取ると、体に対する不満が増えるが、霊的な体は朽ちない。
ポイント1:体はあなたを必要としています
必要とされるのは嬉しい。必要とされないのは悲しい。
アメリカでは、体育の授業でチームを選ぶ。
ハワイではジャンケンがある。そこから選ばれていく。
わたしは背が低いのでよく残された。
しばらくすると、足が速いことなどが伝わって、早く選ばれるようになる。
リーダーに「来てくれてありがとう!」と言われる。
そうすると嬉しい。
1コリント12:18
「神様は、御自分の希望のままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」
なぜ神様が部分をそこに置いたかはわからない。
なぜ鼻が足元にないか?
鼻が足元にあれば、1日の終わりにはツライ。
わたし達は、ときどき不平不満を言う。
1コリント12:17
アメリカで目が小さいと言われていた。
ちゃんと目を開けているか?寝てないか?
などと言われていてコンプレックスだった。
しかし、モンスターズインクのマイクのように体の半分以上が目だったら?
誰もそれを望まないと思う。
1コリント12:26
美味しい和牛を食べれば口だけではなく、鼻も胃も全身が喜ぶ。
アキレス腱が切れると全身に迷惑がかかる。
ふくらはぎや反対の足に負担がかかる。
腰が痛くなるし、松葉杖で脇は痛くなる。
手術のときに背中に注射される。
足のせいで、体全体が負担になる。
共に喜ぶ関係。
毎週、誰かの誕生日をお祝いしている。
共に悲しむ関係。
これは、わたし達の教会で弱いと思う。
特にキャンパス、ユースに話したい。
皆が喜ぶときは騒ぐ。
しかし、教会の若者が一緒に悲しんでいるのをあまり見たことがない。
ある意味で表面的。皆も一生懸命よくやっている。
でも、この点でメタノイア必要。
わたしは牧師なので、妻と同様、悲しいことを相談されることが多い。
けれども、その小グループにランチへ行くと、そこで悲しみが共有されていない。
日本は縦社会。年上の人、ポジションのある人に相談するのは悪いことではない。
しかし、近い関係、横の関係では、悲しみは共有されない傾向がある。
ネガティブなものが親子でも共有されていないことが多い。
本当は、共に泣くときのほうが深い関係が出来る。
文化を変えましょう。
あなたが必要です。
日本人的考えは、「わたしは必要ではない」という。
神様は、あなたが必要、特別な部分と言われる。
ポイント2:あなたは体を必要としています
わたしは胆のうを取った。
手術前に、胆のうくんに謝った。
負担をかけて、取らなければならなくなってごめんねと。
胆石は残っている。
体と離れたら、その部分は死ぬ。
指も切られてすぐならくっつく。
しばらく経ったらもうくっつかない。
離れた指の組織は死ぬ。
同じように教会から離れたら、霊的に死ぬ。
1コリント12:23-24
神様の目から見て、格好悪い部分はない。
皆同じ。フラット。罪から救われた聖人。
でも膝や肘を打ち付けても死なないが、肝臓や脳味噌を取り出して打ち付けたら即死する。
弱い部分がある。
同じく平等に扱うことではない。
私は子供をフェアに育てるようにしてきたつもり。
しかし、年齢等で同じに扱われているわけではないし、全く平等に接するのが正解でもない。
例: お年玉やご褒美
神様の考え方も、皆を全く同じに扱ってはいない。
ある子は病弱、ある子はニーズがある。
ある子は問題を起こす。
親は同じように時間を割けないかもしれない。
体の部分で、すべてのことに応じておく必要がある。
健全な関係を蜘蛛の巣のように縦横斜めと張り巡らせている必要がある。
先週の下田さん(亀ちゃんお母さん)のバプテスマ、彼女の相関図にはミニストリーや年齢を超えて多くの関係が示されている。
人によって関係が弱い部分がある。
あなたは小グループとつながっていますか?
弱いところが今年の課題。
体が弱い、仕事が忙しい、ニーズがある人は出かけられないことが多く、特につながろうとする努力が必要。
キリストが頭。
コリントの教会には、分裂、分派の問題があった。
嫉妬: 自己中心、競争心、比較、承認欲求
派閥: 不信、高慢、人間的さ
キリスト以外で土台を作ろうとすると、火に晒させたときに崩れる。
わたし達の教会も何度も違う土台が崩れた。
具体的なチャレンジ:
*キリストに繋がる個人的な責任を取りましょう
(QT、祈り、罪の告白)
*繋がる責任を自分が取りましょう
1コリント3:5-7、9
わたし達は僕、奴隷。何でもする僕。
小グループであなたは役割を持っていますか?
役割のない人はメタノイアしてください。
紙コップを用意するような小さな役割でもいい。
紙コップを買うお金がないなら、早く来て椅子を並べる、ランチの席を取る。
礼拝に来られないなら、皆のために長く祈る、など。
できることはいろいろ。
言われてやることではない。
神様からあなたはユニークな役割が与えられている。
ときには休憩が必要。
でも、5年、10年、長いスパンで考えてほしい。
あなたには、神様から与えられた役割がある。
モーセからヨシュアへ:
ヨシュア1:5-6
国全体のサポート、一致:
ヨシュア1:16-18
ゴール達成した人も戦った:
ヨシュア1:12-13
12部族
One for all, all for one
伝道師としての仕事 2030ビジョン
テトス1:5
娘2人が免許を取った。先日、一人のほうの運転した車に乗った。
運転は上手。でも心配でヘトヘトになった。
自分でやる方がラク。
しかし、神様の時がある。
息子は4月から関西の大学へ行く。
数年で子供達は自立し、山崎夫妻の人生のステージも変わっていく。
わたしは、皆でやりたい。
ジョージさんのしてきたことを思うと、できなかったところを見せられている。
けれども、残された人生で精一杯やっていきたい。
特に若い人、作りあげられた先輩のものに甘んじないでベストを尽くしてください。
十字架の救いの恵みを覚えましょう。
イエスが誰よりもあなたを必要とし、体の部分として選んだことを覚え、聖餐式を取りましょう。