『わたしの心は恐れません』
今日は引き続き詩編から説教します。
詩編57
ポイント1:いと高き神を畏れる
ダビデが王サウルから逃れて洞窟にいたとき
1サムエル24:1-8
サウルはダビデの才能を妬み、命を狙っていた。
ダビデはサウルを見つけ、殺すこともできたが、上着の端を切り取ったことをかえって後悔した。
神様が選ばれた方を自分は殺そうとした、と。
上着の裾は信頼、契約、権威の象徴だった。
ダビデがそれを切り取ろうとしたということは、権威への反逆だった。
死と隣り合わせで、なぜダビデはそのようなことを考えることが出来たか?
・滅び、踏みつける、獅子の中にいる、人の子らをむさぶり食う者の中
・歯は槍と矢
・舌は鋭い剣
神様により頼み、神様を畏れなければできなかった。
1サムエル15:27-28
かつてサウルはサムエルの裾を掴んだことがあった。
自分の力でそれをし、神様は主権をサウルから取り上げることを決められた。
ダビデはなぜ後悔したか?
自分の自己中心とプライドに気づいたから。
主権は神様にあると気づいた。ダビデには神様を畏れる心があった。
今日わたしたちは状況や神様のせいにしていませんか?
神様の前で自分の罪に向き合う心がありますか?
今年、ユースミニストリーで確信していることがある。
それは神様の主権に従えば大丈夫だということ。
以前はもっとグラグラ揺れていた。自分の評価を気にしていた。
今年、ティーンの2人のバプテスマという感動的な場面があった。
しかし同じ週にティーンの明らかな罪が見せられた。
自分にもイエスのように仕える心がないと見せられた。
そしてジュビリーの出発の朝、QTをとって祈っていたとき、心の底から嘆きが出た。
なんでこのような状況があるのですか?
状況は最悪です。今年はティーンに希望の年になると思ったのに。
この出来事は神様を畏れない、自己中心の思いへの神様の勧告だと思った。
聖書に出てくる神様を畏れる人々のこと、DPをしてくれている兄弟から真似ている。
状況はそれほど変わっていない。
しかし心が揺るぎないのを感じる。
ティーンも少しずつ神様を畏れる心に変わってきている。
神様は避けどころ、翼の陰、いと高き方。
今日ダビデのように神様を畏れて共に近づきましょう。
ポイント2:いと高き神を賛美する
わたしたちが神様を賛美するなら、わたし達の心は定まる。
なぜこのような絶望的な状況でダビデは賛美できたか?
賛美の意味は「価値がある、認める、褒める」。
感謝と賛美は異なる。
賛美は神様がどのような方かわたし達が覚えること
詩編57:10
ダビデはすべてを嘆いた後に、神様を賛美した。
あなたは忠実、すべてを守ってくださる
褒められると嬉しい?
神様は賛美されたら、どのような表情でそれを受け取るでしょうか?
神様はいつもなにか求められてばかりで、与えてばかりで、たまには賛美されたいかもしれない。
わたし達は罪人。賛美はふさわしくない。
でも、ふさわしくないわたし達が神様を賛美できる。
ダビデはサウルを殺して当然という状況下において、自分のしたことが正しくなかったと認め、悔い改めることができた。
彼が神様を畏れ、神様の素晴らしさを知っていたから。
ーもっとイエスのようになりたい。
ーもっと神様に近づきたい。
そこには喜びと希望があった。
ただ苦しいこと、悔いることではなかった。
1サムエル24:16
神様は弁護者、裁き手、救い主。
ダビデの状況は変わらなかったが、内側は作りかえられていた。
ダビデにとってサウルは敵ではなく、神様を覚える存在だった。
最近純粋な思いで神様を賛美したのはいつですか?
心にあるのは、神様への賛美?問題やニーズ?
最近の教会は賛美より問題フォーカスに感じる。
賛美がないから、神様ではなく自分の心に向いている。
霊的に助け合うことをやっていない。
わたし達はベストを尽くしているか。
祈ること、助け合うこと、QT、礼拝後あまり交わっていない人との交わり。
やれることはいろいろある。
一人一人が仕え合える教会になっていきたい。
あるティーンワーカーは会社でむずかしい状況がある。
会社の業績不振を彼のせいにされ、毎日罵倒され続けている。
わたしは彼を心配して、ティーンミニストリーでの責任よりも、会社を優先したらどうかと思い時間を過ごした。
しかし彼は、「今は苦しい。でも、会社で何を言われようと、自分の人生を変え続けてくださった神様は変わらない。
だから、自分は子供達に神様の素晴らしさを伝えたい。もっと責任をとっていきたい。」と言った。
問題がいろいろある。
彼は一切の言い訳をせずに愛のために労苦している。
彼の心は揺るぎない。
神様を覚えて、神様を賛美し続けている人生は美しい。
彼といるのが大好き。
ダビデのようにわたし達も神様を賛美しましょう。
賛美は敵を滅ぼす。絶対揺るぎない。
自分の思いを捨てて、神様を畏れましょう。
神様を賛美しましょう。
そこに喜びが溢れる。
賛美と感謝で揺るぎない教会を建てていきましょう。