『神様の心を見つめる』
詩編から共に学びましょう。
-詩編は歌であり、祈り
-詩編は心や思いを表現したもの
聖書の最も個人的な書物。
詩編の主な種類;賛美、嘆き、感謝
最も多いものは嘆き。
今日は嘆きの詩編から説教します。
人間は嘆く生き物。
詩編22:1-22
ポイント1:嘆きの中の神様
これを読むと圧倒される。
わたしはアボイダー。あまりネガティブになりたくない。
しかし、この詩編は最も深く人間の心理を描写していると言われている。
また、イエスが十字架上で引用された。
ダビデの詩編。
ダビデの人生においてこのような経験は無かったという学者がいる。
しかし、この人はもっとも深く嘆く経験をしている。
詩編22:1-6
見捨てられている
「呻きに答えてくださらないのか」
もっとも頼るべき神様が答えてくださらない。
詩編22:7-12
「わたしは虫けら、人間の屑、恥」
わたしは最低だ。
詩編22:13-16
肉食の動物に取り囲まれている。
精神的にも肉体的にも追い込まれている。
詩編22:17-22
「獅子のように手足が砕かれる、ぼろぼろ」
わたし達はこれらから何を感じるか?
とても残酷な描写。
この表現からどんな神様のメッセージがあるのか?
もしかしたら共感できる人がいるかもしれない
それは素晴らしい。
でも、今日、神様の思いをもっと知りたいと思います。
もし、あなたに近い人、家族がこのような祈りをしたらどう思いますか?
わたしだったら、お祈りに集中できない、どうしようと考えると思う。
まず落ち着こう、どんなスキーマがあるの?と聞くかもしれない。
「そんなことを神様に言うのは良くない」と怒るかもしれない。
もう一つ、質問があります。
自分だったら、このようにお祈りできますか?
わたしはこのようには祈れない。ここまでの心は出せない。
罪悪感、神様に失礼と思ってしまう。
この祈りはどれほどのものか?
聖書は何を伝えているか?
神様のメッセージは何か?
人間の深い思いが、神様の言葉になった。
このような思いを受け止められる神様、
言い表していいと言ってくださる方。
表現してほしいと思ってくださっている。
呻きの中におられる方、イエスが十字架で引用した。
つまり、神様の思い、嘆きでもあるということ。
イエスはこの苦しみを私たちと分かち合いたいと、聖書に残した。
わたし達はそれほどの関係を今日、神様と持っていますか?
基本、アジア人は感情抑制がある。日本人はそのチャンピオン。
しかし、これはアジアだけではない。現代社会の課題。
私たちも、見捨てられた、孤独、虫けらのように感じる時がある。
どのようにその感情を出していますか?
わたしはこれを親として受け止められるか、考えてみた。
もし子供がこのようなことを言ったら?
わたしは圧倒される。
わたしはこのレベルでもっと心に触れる必要性を感じた。
わたしの決心は、このレベルで神様との関係を築くこと。
人ともそのような関係を築きたい。
助けを求める、「できない」と正直に言う。
多くの人に「最近どう?」と聞きたい。
わたし達は、もっとリアルな関係になりましょう。
もっと真実な関係になりましょう。
これは神様への祈り。神様に正直にぶつけている。
上司や同僚に直接言うのはおすすめしません。
ポイント2:神様の心を求め続ける
詩編22:23-32
後半部分は全く違う。別人かと思うほど。
いままで打ちひしがれて孤独と神に訴えていた人が、兄弟達の集会で賛美し、神様が聞いてくださったと褒め称えている。
どういうことでしょうか?
この深い心を理解したい。
22節までと23節の間に何があったのか?
原文を読むとわかる。
22 完了形で「答えてくださった」
32 完了形で「成し遂げてくださった」
どこかの地点で、神様が答えてくださったということ。
この詩の作者には、22節と23節の間で、そのような経験があった。
神様の心を求める者に、神様は答えてくださった。
人間ではできないことも、できる神様だということ。
自分は虫けらと言っている人を私たちはどのように助けられますか?
神様なら感謝と賛美に変えられる。
それは個人的なこと、味わえること。
この詩編作者に、苦々しさや復讐心はない。
全ての人の幸福を祈っている。
神様を知れるように祈っている。
わたしなら、自分を責めた人には苦々しさが残る。
詩編作者にそれがないのは、神様に向かって呻いたから。
最後まで神様への思いに妥協がなかった。
どこまでも神様を求める態度があった。
嘆きから感謝の詩になった。
次の点で妥協しなかったからできた。
-神様の心を求め続ける
-そのために具体的に行動する
-神様の心を成し遂げる態度を持つ
今日、わたしたちも、決心しましょう。
ジュビリーで学んだことから、決心して、具体的に行動しましょう。
一つの行動で、人の人生を変えることができます。
ある兄弟のことを思い出します。
その兄弟は、皮膚の病気がひどくなり、自尊心が低くなった。
彼は入院した。そこで、同じ病気なのに全然違う態度のクリスチャンの姉妹に会った。
そして、彼はインパクトを受けて、クリスチャンになった。
その姉妹は、葛藤があった。自分は皮膚病になってしまった。教会にも行けていない。
でも神様の栄光のために声をかけた。
一つの会話、呼びかけ、お祈り、それによってどれほど多くの人が神様を知れるでしょうか?
そして最終的に、この詩編作者のように神様を皆が賛美する思いになる。
神様の心を知りましょう。