『信じる』
アブラハムの人生から学びましょう。
ローマ4章では使徒パウロが、アブラハムについてこう言っている。
ローマ4:20-21
疑うことにより揺らぐのではなく、
神様が約束した事を成し遂げてくださることを強く確信していた。
去年は妻が癌と診断され、大変な一年だった。
そこでアブラハムからたくさん学んだ。
質問があります。
アブラハムが受けたような祝福を受けたい人は?
では、アブラハムが通り過ぎたような道のりを歩みたい人はいますか?
わたし達は祝福は受けたいけれど、できれば試練は受けたくない。
でも、試練がやって来る。
わたし達の人生は、何が起こったかで決まるのではなく、どのように反応するかで決まる。
起きる出来事はコントロール出来ない。
しかし、どう反応するかは選ぶことが出来る。
ポイント1:試す
創世記22:1-2
神様は、試された。
試す= Nacah(ナカ)というヘブライ語
試すは「質を決定する」、「証明する」の意味。
例えば、商品を売る際に、質を試す。
日本製品の質は素晴らしい。
スーツケース:
車輪が動くか
重さに耐えられるか
落下して衝撃に耐えられるか
ハンドルを1000回持ち上げられるか
そのようなテストにパスしなければ、商品として販売できない。
試されなければ、質の良い製品かはわからない。
アブラハムも、試されるまでわからなかった。わたし達も同じ。
創世記22:3-5
アブラハムは神様に言われたことにすぐ反応し、山へ歩き始めた。
3日間ずっと歩いていたとき、彼の心には何があったのか?
イサクのことをどのように祈っていたか?
彼の気持ちはどのようだったか?
わたしは彼の人生で最も辛い3日だったと確信している。
簡単ではなかった。言い訳はいっぱいあったと思う。
従うのに、たくさん格闘したはず。心は重かった。
これはダニエルの心と同じ。
ダニエル書6:10-11
ダニエルは試練があったときに、すぐに神様に祈った。難しい状況で。
イエスご自身は?
マタイ26:39
イエスも同じように反応した。
父に祈って近づいた。
もちろん願いがあった。
「この杯を取り去ってください。」
ダニエルは「ライオンに投げ込まないでください。」
アブラハムは「イサクを殺さないでください。わたしを身代わりに。」
疑問を持つことはOK。
「信仰は疑いを消し去ることはできないが、誰に答えを求めるかを定めてくれる。」
エリザベス・エリオット(宣教師の夫を殺した南米エクアドルのジャングルに住むアウカ族に福音を伝え続けた婦人)の言葉。
ヘブライ11:17-19
今日、どのように人生で起きたことに反応していますか?
思い通りにいかない時、人生が難しい時に神様にどのように反応しますか?
神様に怒り、苦々しさ、教会に怒りを持つ人もいる。
逃げる人もいる。落ち込んだり、やる気をなくす人もいる。
それとも、信仰のよって反応しますか?
どんなことがあっても、神様が導いてくださる、神様の素晴らしい計画があると信じますか?
自分が想像しているよりも神様は素晴らしく働かれる。
安心して格闘していきましょう。
創世記22:6-7
イサクは、薪を持っているお父さんの異変に気づいた。捧げる子羊はどこにいるのか?
創世記22:8
アブラハムの答え「神様が備えてくださる」
イサクはお父さんを信頼した。
神様がイサクを焼き尽くす捧げ物として捧げなさいと言われて、アブラハムは従うことができた。
「平凡と非凡の違いは習慣である。」
ウラディミール・ホロヴィッツ(アメリカのピアニスト)の言葉。
アブラハムはそれまでも、神様に何度も捧げる習慣があった。
「人は物事を繰り返す存在である。したがって、卓越とは行い出なく習慣である。」
アリストクラテス(紀元前7世紀のアルカディアの王)の言葉。
わたし達も習慣を持つ必要がある。
ポイント2:ブレずに歩き続ける。
赦しがたい人を赦すには、最初小さいところからスタートして習慣を身につける必要がある。
研究によるとそれは可能。
赦す筋肉を少しずつ付けていく。一歩一歩。
今日、わたし達の赦す筋肉はどうですか?
与える筋肉
自制の筋肉
忍耐の筋肉
謙虚さの筋肉
祈りの筋肉
小グループの中でそのような筋肉を鍛える。
お互いに触れるほど、鍛えられる。
より大きな出来事があったときに、鍛えられているので対応出来る。
ジムに行く人。お金を払って筋肉を鍛える目的で行く。
霊的な筋肉、小グループで鍛えられることを喜んでください。
ときどき人々はこういう。
「クリスチャンになってから、大変なことが起きている。」
それは間違い。クリスチャンにならなくても、大変なことは起きる。
しかし、クリスチャンであれば、霊的に鍛えられて、出来事に対応することが出来る道が備えられている。
アブラハムはいきなりできたわけでない。
小さなことに忠実だったからできた。
ポイント3:献身的に礼拝する
創世記22:9-11
「あなたはわたしを怖れ、愛していることがいまわかった。」
アブラハムも神様ご自身の心をわかっていた。
創世記22:15-18
犠牲して礼拝するとき、神様はわたし達の心に触れてくださるだけでなく、わたし達も神様の心に触れることが出来る。
ウィクソンという兄弟についてシェアしたい。18人兄弟の末っ子。
再婚した奥さんの子供(7人目)。
お父さんは北スマトラのある村の長で経済的にも恵まれていた。
しかし、お父さんが亡くなり、状況は一変。
再婚した奥さんの子供ということで遺産はもらえなかった。
苦々しい思いで、ジャカルタへ一人で移住してきた。
オートバイ運転手になった。
2018年に姉妹に伝道された。
彼は家族を赦すことを決心した。
それは簡単ではなかった。
小グループの兄弟姉妹達が忍耐して愛した。
ジャカルタの渋滞は酷い。
集まるのは簡単ではない。
小グループで集まるほど、稼ぎが少なくなる。
クリスチャンになる前、14時間働いていた。
しかし、彼は神様を信じる決心をした。
礼拝のソングリードや聖書勉強、小グループの時間を優先した。
朝早く起きてQT、働く時間は9時間にした。
しかし、神様は祝福してくださり彼の顧客は増えた。
去年、出身地にお母さんのために家を買った。
断絶してから8年、故郷に戻る決心をした。
人生にどのように反応するかでわたし達の人生は決まる。
最後にある歌を紹介する。
ヨセフのアニメの映画より。
去年、妻とわたしが最も戦っていたときに励まされた曲。
“Better than I ”
ヨセフが牢獄の中で、神様を信じた曲。
兄弟姉妹の皆さん、
安心して闘いましょう(Wrestle securely)。
ブレずに歩き続けましょう(Walk steadfastly)。
献身的に礼拝しましょう(Worship sacrificially)。