『約束の地に入るまで』
仙台には美味しいものがいっぱい。今ならスキー場にもすぐ行ける。
東京で疲れた者、重荷を負う者は仙台に来なさい。と伝えたい。
仙台教会のためにお祈りとサポートありがとうございます。
ヨシュア記3:1-5
民達はエジプトを出て40年が経っていた。
ようやく約束の地に入るところ。
エジプトを出た代の大人は一度チャレンジしたものの、荒れ野で死んだ。
次の世代が今まさに、約束の地に足を踏み入れようとしている。
この約束の地は霊的にも捉えられる。
神様がともにいらっしゃらなければ足を踏み入れられない場所。
一度挫折したけど、踏み出す必要がある場所。
わたし達一人一人にはそのような場所がある。
神様は場所を示してくださる。
ポイント1:先に進んではいけない
川を渡すときに、ヨシュアは具体的に示した。
契約の箱より前に出てはいけない。
2千アンマ(900m)の距離を取らないといけない。
900m離れると、目を凝らさないと見えない。
民は慎重についていったはず。距離は近すぎてはいけないと命じられた。
どの道を進むべきか、わたし達の悩みは多くこのことに占められている。
わたし達は明日のことすらわからない。
予測は行動はするが、実際に明日にならないとわからない。
わたし達には道標が必要。
ヨシュアは具体的に契約の箱、つまり、神様の存在を道標として示した。
皆さんは神様を道標にしていますか?
それとも自分が道標でしょうか?
ヨシュアは、焦って契約の箱より先に行かないようにと言った。
わたし達は焦ると自分の考えが正しいと思って、自分勝手な行動を取ってしまいやすいのではないでしょうか?
このままいけば川に行ってしまう。橋はない。
民達は、選択を迫られた。
わたし達はどんなに焦っても、 神様の箱を越してはいけない。
ポイント2:自分自身を聖別する
聖別は分離すること。いらないものを取り除いて聖なるものと不純なものを分けること。
信じる思いと疑う思いを混ざったままではいけないと言っている。
わたし達の思いは日々たくさんの思いで入り乱れている。
愛する思いの日々もあれば、怒り、不信、情欲、妬みでいっぱいになる日もある。
不純なものを取りのぞいて、聖別するように言っている。
人の力でなく、神様の前で清くなることを聖書は教えている。
神様から来ていないものがあれば、そこから取り除いて清くすること。
自分自身を聖別しましょう。
ポイント3:足を踏み入れること
ヨシュア3:14-17
春の刈り入れ時で、水が氾濫する時期だった。
わたしの実家はものすごい田舎で川が流れている。大人なら渡れる幅。
しかし、梅雨には濁流が流れる。
橋の上まで水が出てくる時がある。
川幅は100mほど一気に増える。
大人について見物に行ったこともある。
見ていて自分が流されてしまうような眩暈がした。
ものすごい音を立てて濁流が流れていた。
数百メートル先でも音がした。
このときのヨルダン川も堤を超えんばかりに川が流れていた。
神様は意図的にこの時期を選んだと思われる。
人間にはできないことを知らせるために。
レビ人達はどのような心境だったか?
歩いて来た道を引き返したかったかもしれない。
けれども彼らは命じられたとおりに進んだ。
すると、突然水が壁のようになった。
祭司達が水に足を入れなくても、神様にはなんでもできたはず。
でも、神様は人間であるレビ人に水かさの増した川に入らせた。
契約の箱を追い越してはいけないこと、箱と距離を取らないといけないこと、自分を聖別すること、川に最後に足を踏み入れることを命じた。
霊的な新たな道に足を踏み入れるために、神様はこれらのこと、そして奇跡を用意した。
神様は同じように、わたし達にも全員に奇跡を味わうチャンスをくださっている。
神様は、力が必要ではなく、共に御業を成し遂げたいと思ってくださる方。
この川の向こうに約束の地がある。
でも目の前には濁流がある。
わたし達にもそのようなヨルダン川がある。関係や仕事、様々なこと。
わたしは2年前にHOPEを退職して転職した。
仙台に残りたいと思って転職活動していた。
半年ほど応募していても決まらなかった。
最後の最後に、今の職場に決まった。
昔、メールをもらったことを思い出してコンタクトを取り採用された。
半年ごとに決められた目標があって、達成しないと給与が急激に下がる。
その後1ヶ月改善されないと解雇。
神様のためにやって来たのに。もう少し広い道があったはず。
不安になるとわたしはもっと努力しないといけないと頑張った。
だんだん疲れた。恵みにより、解雇されずに3年目を迎えようとしている。
それでもわたしは日々不安がある。
自分の心の深いところにある不信。
解雇されそうな時に大きな契約を取ることができ、奇跡があったのに、未だに神様を信頼出来ていない。
これは、社会人がいい形で仕事をする戦いではない。
今までやっていない形で、神様にただ頼ること、従うことを今教えられている。
自分ではどうしようもない、自分では引き返したい、そこにこそ約束の地があると教えられている。
恐怖のときこそ、神様に信頼してついていくことを覚えましょう。その先に約束の地がある。
この2019年、神様に信頼し、たくさんの奇跡を見ること、神様の約束の地に足を踏み入れることをお祈りします。