「最高の道」
7月8日、沖縄で特別礼拝がありました。
三好夫妻と3泊4日してきました。
沖縄に教会が出来てから初めての訪問。
川崎夫妻が家を建てて始めた民泊に泊まりました。
特別なイベントとしてGEPに3人の姉妹で5人のママ友が来てくれました。
皆さん正直に話してくれました。
キャンパスの男の子も親との関係を話してくれました。
シングルマザーの女性が聖書を学んでいます。
兄弟達が息子を可愛がってくれていてインパクト。
教会のある中部へ引っ越して来ました。
お母さんとの深い話し合いが出来たことで
お母さんも礼拝に来て聖書を学び始めています。
沖縄の教会のためにお祈りください。
夏休みに訪れたい日本の土地ランキング1位は沖縄県。
1コリント13:31
「わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」
神様が教えてくださるランキング1位。
1コリント13:1-13
最高の道は愛の道。
この聖句は多くの場合、結婚式で読まれる。
愛のギリシャ語は複数ある。
・フィレオ: 兄弟愛
・アガペ: 無条件の愛
・ストルゲ: 家族愛(親子)
・エロス: 性的愛
1コリント13章は、全て「アガペ」が使われている。
英語の古い聖書では「love」でなく「charity(慈善)が使われていた。
「アガペ」、十字架の愛がなければ存在しない語。
1コリント13章の背景を改めて新しい目で考えましょう。
当時、コリントの教会は分裂していた。
「パウロにつく」「アポロにつく」互いに訴訟をするほど。
姦淫の罪がある。お互いを聞かない。パウロについて批判的。
「面と向かっては何も言えない。弱い。来ると言って来ない。」
彼らに宛てて書いた手紙。
皆さんは関係が良くない相手に手紙やLINEのメッセージをどう書きますか?
パウロは1コリント13章を含む手紙を書いた。
このような内容は書けますか?
パウロはいろんな感情、悲しみ、怒り、ムカつきがあったと思う。
その状況の中で、罪だらけの中で、パウロを通して神様は最も美しい言葉を書かれた。
わたしは、若い弟子の時にこの聖句に打ちのめされた。
ある時、父に「俺の会社の社長に会いに行ってこい!」と言われた。説明はなし。大企業の社長。
その方は信仰がある方だった。
「へぇ、牧師しているのだってね。おもしろい。信仰、希望、愛、君はどれが一番大事だと思う?」
答えられなかった。
今だったら、1コリント13:13から愛だと答えられるのだが。
アガペの愛:
A) 永遠であり廃れない
1コリント13:8
愛は無くならない。滅びない。
B)神様の性質
C)愛は罪より大きい
1ペテロ4:8
愛を感じることで罪を悔い改められる
ポイント1:自己中心は愛の妨げになる
アガペの愛を持つには、自己中心は妨げになる。
1コリント13:1
やかましいドラム。たとえすごいものを持っていても無に等しい。
我が身を死に引き離す(元々の意味は燃えた炎に入り死ぬ)としても無に等しい?!
誰のため、何のためにするのか?
動機の深い部分は神様しか見えない。
多くの場合、わたし達の愛はアガペではない。
自分がある。自分の望みがある。
キリストの十字架には自分がない。
1コリント9:20-22
パウロはアガペの愛に近いように生きた。
「すべての人のためにすべてのものになる。」
キリストを伝えるため、ユダヤ人がユダヤ人でないようになる。これはすごい決心。
当時のユダヤ人は、ユダヤ人以外人間ではないというくらいユダヤ人以外を見下していた。
わたし達は、良く自分が愛されたいように愛する。
アガペの愛は相手が愛されたいように愛する。
自分を無にする。 自分を捨てる。
わたし達は自己中心。自己中心がアガペを妨げる。
親の皆さん、子供を愛する時どうですか?
「子供を愛している。こんなにやってあげている。」
実は子供の頑張りは自分の栄光のためだったりする。
アガペの愛:
-相手が愛されたように愛する
-「相手だったら…。」と考えながら愛する
-相手の目線、立場に合わせる
-自分が相手に合わせる
-無にする
親のエゴがある。
そして子供たちは「やってもらって当然」という態度がある。
「成長したい」、その動機は?
自分のため?神様のため?考えていきたいです。
神様が、こんなにあなたを愛している自負はありますか?
ポイント2:十字架上のイエスの愛はアガペの愛
1コリント13:4-7
この箇所に、自分の名前を入れてみたことがありますか?
わたしなら、「忍耐強い」の一発目でアウト。
この聖句のように出来たら素晴らしい。でも到達出来ない。
夫が妻へ愛する期待ではない。人間には出来ない。
キリストが主語。それを知れる聖句。
わたし達は全く違う。
自分がどれ程神様に愛されているか。
美しい詩ではなく、リアル。
十字架で示された真実により、私たちの人生が変わった。
説明や理屈ではない。わたし達は信じている。
2コリント5:21
罪のあるわたし達は地獄へ行くしかない。
それを罪自身になることでイエスが贖ってくださった。
十字架上の愛はアガペの愛。
ポイント3:子供っぽさは、アガペの愛の妨げになる
1コリント13:11-12
コリントは鏡を生産していた
1世紀の鏡のクオリティーは低かった。
ちゃんと映らなかった。
イメージが不完全。
神様の愛は完全だけど、わたし達の神様への愛の理解、感じ方は不完全。
天国では完全。
わたし達は不完全。
わたし達の愛は不完全。
神様の愛を知り尽くしていない。
多くの場合、これだけ愛したという自己犠牲、人と比べる愛がある。
幼子のような考え方、話し方、態度。大人気ない。
試合がうまくいかなくてテニスラケットを投げる、野球のベースを投げるプロ選手(監督)もいる。
-自分が中心
-自分の思い通りにしたがる
-相手に要求する
-責任を取らない、他人のせいにする
-考えずに語る、行動する
-怒る、癇癪、不平不満
子供っぽい親に育てられた子供はさらに子供っぽい。
わたしはずっと子供っぽいと言われていた。
18歳から30歳くらいまで。
今でもそういう部分がある。
30過ぎて、その時々で決心して捨ててきた。
リーダーとして神様が置いた立場。
特に年上の人たちから励まされたい、感謝されたいと思う傾向がある。
でも、励ます、感謝するほうを選ぶ。
年上の妻、自分が兄弟だから甘えるのではなくリードすること。
最近は妻を可愛がるということをしようと思った。
上から目線のように聞こえるかもしれないけれど、夫として。
自分が何をされたからではなく愛する決心。
兄達に対して認めてもらいたかった気持ちがずっとあった。
母の死を通して兄達と関わる中で、リスペクト、愛することを決心して行動している。
「成人した今、幼子のことを捨てた。」
アガペの妨げになる子供っぽさを捨てましょう。
1コリント13:13
この数年教会として信仰にフォーカスしてきた。
ある兄弟が信仰を失い、やる気を失っているように見えた。
長い間牧師をしていると、傷つき、ガッカリすることが多いと伝えてくれた。
神様に愛されていることを思い出す。
そこから誰かを愛する。
愛されて愛して、それが信仰になる。
最高の道=アガペ。それは十字架の愛。
最高の道を歩んで行きましょう。