タイトル:『復活への招待状』
ヨハネ11:1−6,17(新共同訳)
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉
妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
マルタとマリアの中の思い〜怒り、疑い、混乱、失望〜
・神はどこにいるのか?
・なんでイエスは何かしてくれないのか?
・神様をどれほど必要としているのかわからないのか?
イエスの見方
「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。」
The tomb is where resurrection happens ― in fact the tomb is the only place resurrection happens.
墓は復活が起きる場所です-実際には墓こそが復活の起きる場所なのです。
今日私たちが墓に直面させられる時、そここそ私たちが造り変えられる場所です。
ポイント1:マルタ〜信仰の復活
ヨハネ11:20−27(新共同訳)
マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
マルタはイエスが何者で、何ができるかを頭では理解していた。
ヨハネ11:38-40(新共同訳)
イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
マルタは「もうこんなになっているんだから too late」と言いました。
マルタの不信仰と疑いをイエスは叱責されます。
信じるなら神様の栄光が見られる。
このことを信じるか。
イエスはマルタに不信仰、疑いに死に、信仰によって生きることを呼びかけられました。
私たちにもイエスは呼びかけられています。
信じるか?Do you believe?
私たちができるか、ではなく、神様ならできると信じましょう。
ポイント2:マリア〜つながりの復活
ヨハネ11:28-29,32-35(新共同訳)
マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。
マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは涙を流された。
マリアは悲しみと失望で、現実を受け入れられずにいた。
イエスは泣いているマリアの悲しみに共感してくれた。
イエスは神の子でありながら、共に泣き崩れる脆さと人間らしさの持ち主です。
マリアはイエスに心触れてもらい、霊的にも情緒的にもつながりが強くなりました。
今日、イエスとのつながりは親密でしょうか?
プロセスできていない怒り、悲しみ、混乱、痛み、失望があれば、つながりの復活の妨げになります。
マリアとイエスのつながりのきっかけは、イエスが自分のもとにくるように伝えたからです。
イエスの方から私たちに近づいてきてくれます。
私たちはイエスからの個人的な呼びかけに反応するだけです。
イエスとの個人的な関係のつながりを近いものにつくり変えられましょう。
ポイント3:ラザロ〜命の復活
ヨハネ11:43−44(新共同訳)
こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
イエスはラザロの名前をby nameで呼びました。
個人的な呼びかけに、ラザロは反応しました。
神様の声はとても力強いです。
イエスの声に反応する時、私たちは神様が望む人生を送れるようになります。
イエスの声を聞けないのは、私たちの恐れ、傷、自分の思いに留まっているからです。
イエスの声を聞かずに墓にい続けると、信仰が弱まる、心が固くなる、熱心でなくなる、神の存在を感じず、感謝がなくなる、神が望む生き方ができなくなります。
今日、私たちの人生のどの面で、イエスはあなたの名前を呼んで「出てきなさい」と大声で呼びかけていますか?
ソリディード〜神様の声を聞くために1人になること
・霊的に振り返る(人生を見つめ直す)
・自分の本当の状態に目をむける
・神様、自分、過去、現在、未来について直面する
意図的に心を静めて、神様の声に耳を傾けて行きましょう。
そこから私たちのうちに神様の復活の力が働き始めます。
ヨハネ11:45(新共同訳)
マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。
イエスがラザロになさったことが、神の栄光になりました。
周りの人がイエスを信じるようになりました。
つくり変えられている、復活した人は周りの人にインパクトを与えられます。
あなたの中に働いているイエスをみるからです。
あなたの中に生きているイエスの命をみるからです。
今日共に復活の招待状を受け取りましょう。