『共同体は今日どうだい?』
先週は各地でとても素晴らしいアクティビティー礼拝があったときいています。
今日は、礼拝堂の参加者も増え、特にシニアの皆さんが参加されており、嬉しく思います。
エフェソ1:23
エフェソ3:10
神様は教会というものを計画された。
それは驚くべき計画とビジョン
イエスが現れる場所
すべてにおいてすべてを満たしている。
今日、わたしたちの教会にとってこの定義はどうでしょう?
神様はわたしたちを教会を通して、どう変わることを望まれておられるでしょうか?
教会=キリストのひとつの体
一致を深めるためにも、教会とはどんなものであるのか、いっしょに学んでいきたいと思います。
教会は、人々の集まり、ギリシャ語でエクレシア
ここに教えるという意味は入っていない。
同じものを信じている集まり、という意味では共同体、コミュニティーのほうが合っている。
教会という日本語は定着しているので、変わらないけれど。
今日の説教タイトル:「共同体は今日どうだい?」
単数形から複数形
Iコリント6:19-20
わたしたちの体は、神様の聖霊が宿る神殿
ですから、体によくないもの、たばこなどを止める、お酒を節制するなど
皆してきたと思う。
多くの場合、この聖句は自分のことに当てはめると思う。
しかし、前後を読むと、この箇所は全体の神殿のことを指している。
英語のNIVでは、あなた方の体=Your bodies(複数形)
神殿=temple単数形
パウロは、教会を一つの体と捉えていることがわかる。
なぜこのことが大切なのか?
最近は、個人主義が行き過ぎていることに気を付けなければならない。
聖書は共同体について話していることが多いが、
わたしたちが個人として捉えている場合があるので気を付けなければならない。
もちろん、信仰は個人のものでもあるが。
パウロは個人的ではなく、共同体のことを強調している。
違う側面を意識したい。
最近歌う讃美歌やワーシップソング。
一つはMighty to Save
大好きな曲。
英語だとme, I, myばかりが出てくる。
わたしが信じる、わたしの、わたしは…
Christ Is Enough
こちらもすばらしい曲。
同じく、myとIが頻出
つまり、自分が主語
わたしはこれを間違っていると言っているわけではない。
現代の讃美歌が個人的側面にフォーカスを当てているということ。
聖書から来る共同体としてのメッセージを受け取っているのかどうか、吟味し
受け取っていく必要がある。
旧約聖書からイスラエルの民に話された神様
新約聖書の手紙は教会に宛てられた。
「あなたがた」
日本語ではあまり複数形を気にしないが。
I/My/MeよりもWe/Our/Us
単数形よりも複数形
実は欧米の方たちよりもアジアの人たちは共同体になじみがある。
集団でマスク、皆でラジオ体操、全然気にしない。
欧米の人たちは人権問題にする。
聖書はコミュニティー文化。
英語圏のひとたちは、聖書をより親しんでいていいなと思うが、
わたしたちアジア人は共同体を理解しやすい点がある。
個人主義の影響は時代と共に大きくなり続けているので、
わたしたちは適切に「わたしたち」に向き合っていきましょう。
この数年、自分自身の神様との関係を深めたくて、
古代や昔から続く祈りについて研究してきた。
いろいろ試し、ものすごく助けられた。
しかし、興味深いことに、多くの実践は個人的なものだった。
神様の前に静まり、一人で。
今日話すことと矛盾しているかもしれない。
その後、見逃したことに目を留めると、実は一人で実践したあと、コミュニティーで一緒に取り組んできたことも多いとわかった。
自分のプロセスでもっとも助けになったのは、誰かにシェアし、誰かといっしょに取り組んだこと。
知り合いから交わりへ
教会での関係性について深めましょう。
教会での関わりについて、わたしたちは交わり=Fellowshipと呼ぶ。
交わりとは?
Iコリント10:16-17
コミュニティーの一致が少し崩れた状況に対し、パウロが言っている箇所。
祝福の杯=過ぎ越し祭、聖餐式を示す
キリストの血と体の聖餐に預かること=交わり
交わりとはもともと、パートナーシップ、分かち合いのこと
つまり、聖餐式はキリストそのものに預かることでもあり、同時にわたしたちは一つの体に預かっていることにもなるということ。
聖餐式は個人的なものになる。
自分の罪を見てあまり周りを気にしない。
特にコロナで個々のパンとぶどう液が配られる。
しかし、もともとは大きな一つのパンを裂いてあずかる。
2つ目。キリストの十字架とも関わりと同じ関わり
すべてありのままを見せられる、神様との人格的な交流
これもわたしたちの交わりも同じレベルだと言っている。
わたしたちの教会の交わりは素晴らしい。
しかし、コロナで奪われたものもある。
最近よく聞くのが、「対面ってやっぱりいいね。」の言葉。
逆にいえば、関わらなくてもOKな状況がある。
最近、アメリカでも孤独が問題になっているという。
ある調査によると、地球上で最も孤独なのがアメリカ人だという。
ある程度裕福だと人に頼らずなんでもできてしまう。
『Friendless American Male』という本の中でLarry Richardさんが
教会では元気に挨拶するが、個人的な関係がないままの人たち、とくに男性のことを述べている。
アメリカがそうなら、日本はもっとそう。
孤独担当大臣。
世界でイギリスに次いで2番目の日本。
仙台教会10周年礼拝が先日行われた。
東京の教会のサポートもあり、10年経った。
30名ほど、リトリートをかねて集まり、Zoomでもオンラインとつなげた。
リトリートでの交わりをとおして、神様の恵みを味わえる。
心が開き、温まっていく。変えられる。
これこそ霊的な交わりだと思った。
今日、交わりをどのようにしたいですか?
個人的に、自分の交わりをリニューアルしていきたいと考えている。
正直になる。家に招く。祈りを提案する。与える。励まし合う。
そういったことをもっとやっていきたい。
聖句に生きたい。これは行動主義ということではない。
神様は生きておられ、わたしたちも生きている。
神様の栄光の現れる教会になっていきましょう。