『息子の名は「忘れさせる」』
私の名は宇留島 崇弘
あだ名はうるちゃん
結婚して20年以上の妻からもうるちゃんと呼ばれている。
55歳。
霊的には34歳。
代々木八幡キリストの教会で洗礼を受けた。
今週驚くことがあった。
赤十字社から、年齢的に骨髄バンクのドナー終了のお知らせだった。
もう要らないというお知らせだった。
気持ちは若くいてもそういう年齢なのかと思った。
しかし今日は気持ちは若くやっていきたい。
今日は聖書に出てくる人物で息子にちょっと変わった名前をつけた人物から学びたい。
子供に名前をつけるとき、なんらかの思いが込められていることが多い。
忘れさせるという意味の名前
日本語にすると忘却とか、忘れとなると思う。
忘れるというとどんなイメージでしょうか?
多くの場合、ネガティブではないでしょうか?
創世記40:50
長男、マナセ
神様がわたしの苦労と父の家のことを全て忘れさせて下さった。
ヨセフから学んでいきましょう。
ヨセフはなぜこのように名付けたのか?
ヨセフの人生は創世記40-45章に書かれている。
-自分のビジョンを否定され兄弟から憎まれる(創世記37:1-11)
-実の兄10人に殺されかける(創世記37:12-24)
-奴隷として売られ家族から引き離され、異国の地エジプトに連れていかれる(創世記37:26-28)
-エジプトファラオの宮廷役人・侍従長ポティファルに買われて奴隷になる(創世記39:1-6)
-誠実に奉公したが濡れ着を着せられ投獄される(創世記39:7-19)
-(28-30歳まで)牢屋で一緒だった囚人に2年間忘れられて投獄生活
(創世記40:12-23)
これが彼の前半の人生
しかし、名前を呼ぶたびに苦難を思い出すのでは?
忘れるというよりも上書きしようとしているだけでは?
喜びと感謝にフォーカスしようとしていた?
しかしそうであれば、忘れさせるよりも、
上書きくんとかチャラにするチャラ男のほうがピッタリでは?
ヨセフはこれらの苦しみをほんとうに忘れることができたと皆さんは思いますか?
創世記37:52
次男 エフライム(増やす)
「神は悩みの地で子孫を増やしてくださった。」
もし忘れていたら悩まないのではないか?
創世記40:5-19
-牢獄で王の料理長と給仕役が夢を見て解き明かす
-牢獄で一緒だった給仕役は復職して王に会える立場になった
創世記41-45章
-給仕役が復職してから王が不思議な夢を見て悩み始める
-給仕役がやっとヨセフを思い出し、王に紹介
-見事に王の見た夢を解き明かす
-7年の豊作ののち7年の大飢饉がエジプトにもカナン地方にも来ると告げる
-エジプトは豊作のうちに食糧の備蓄ができた
-カナン地方には食料がなく、エジプトには備蓄があると聞いてヨセフの兄達が食料調達に来る
-ヨセフは自分の兄弟たちであると気づく
-しかもヨセフは成長し、エジプトのヘアスタイルと服装
-エジプト語で話し通訳を介しているので兄達はヨセフに気づかない
創世記45:3-5
苦難は何のためだったのか?
ヨセフは命を救うために神が先にお遣わしになったのだと言った。
恨んだり苦々しい気持ちになったり、怒りがないのはなぜだったか?
確かに自分がされたことは理不尽で、辛いことだった。
自分には非がないのに苦しい人生を歩んだ。
しかし食糧を兄達に与えられることになったとき、彼には理由がわかった。
①家族の命を救うためにエジプトに来る必要があった。奴隷として売られる形で。
②エジプトの権力者になった。
神の裏技で。
入獄→出獄 夢を解き明かすことによって。
若い時から否定され恨まれた。
神様からの祝福によって。
神様が計画を実現させるとき
それはスーパーマンやハルクのように圧倒的な力によってではない。
24年前のわたしは完全に打ちひしがれていた。
目指していた大学に合格できなかった。
思い描いた人生を歩めないと思っていた。
何を目的に生きたらいいのかを見失い、気力も失っていた。
しかしそこで日本に来たばかりの海外の青年に会った。
彼は手書きの紙に書かれた英語のバイブルトークに誘ってくれた。
英語で留学生と話してみたかったので参加した。
今度は綺麗なインビテーションカードをもらった。
わたしは行く気がなかったが、
行かないの?と英語で聞かれてYesと言ってしまった。
英語だと行くという意味になってしまう。
聞いてくれた留学生が武士に、それを伝えた。
彼はすごく喜んでいたので断れなくなった。
ダゴラス・ジャコビーの理にかなった説教だった。
わたしは子供の時から母親に
「神様はいるよ。神様は見ているよ。」と言われて育った。
なんとなくそれを信じていた。
それが大学受験に失敗した時に神様を逆恨みして神様はいないと思っていた。
それが話を聞いて、やっぱり神様はいるのかもしれないと考え始めた。
信じるべきか葛藤があった。
説教が終わり、ドミノピザを思いっきり食べ多くの学生達と深く話した。
素晴らしい場所だと思った。
食べ物があるのが素晴らしかったので次の週も出た。
そこで聖書勉強が始まった。
自分の人生になぜこの理不尽なことが起きたのか?
それはここに至るのに必要なステップだったと気づいた。
何かがかけていたら、今自分はここにいない、神様求める気持ちになっていないと分かった。
希望がなかったのは間違った価値観、罪があったから。
わたしの人生にイエスが必要だとわかった。
そこから神様を真剣に求め、1988年の10月16日、洗礼を受けた。
これがわたしの人生に起こったこと。
とてもカッコいい人が現れて導いた訳ではない。
想像を超えた神様の計画だった。
最後に特別な横浜の兄弟の話をしたい。
昔の写真。小出陽平兄弟。
彼の人生はわたし達の人生のとっても意味を持っている。
この兄弟は残念ながら一昨年の8月16日に天国へ帰って行ってしまった。
40歳の若さだった。
この世を去ったのはあまりに急だったまだまだいきていて欲しかった。
彼は神様と御言葉をこよなく愛し、兄弟姉妹も動物も音楽も、あらゆるものを愛した。励ましの兄弟だった。
彼の早過ぎる死だけみるととても痛々しい。しかし、彼が与えたインパクト、生きていた時の、召されてからの、それを考えると、神様はわたし達を悲しませたくてこの事実を認めたわけではないとわかる。
彼の人生を通してわたし達は横浜で集まった特別な兄弟であることを思い出させてもらった。今はオンラインや東京になったが、
わたし達には横浜の特別な兄弟姉妹の関係があった。
陽平が残したもの、旅行で行った場所に
彼のご両親と兄弟姉妹は一緒に出かけている。
新しい関係が生まれている。
彼が居なくなった後にできた関係。
彼がここに居なくても、彼の残したものがある。
ヨハネ12:24
彼の人生は一粒の麦
多くの実を結んでいる。
これが神様のやり方。
わたし達の人生にも説明のつかない多くのことがある。
しかしヨセフの人生にあったように、いつかこの意味があったと明らかにされる日が来る。
来ないかもしれない。
神様にその苦しみの意味を聞いてみたい。
わたしが確信しているのは、神様が答えを持っておられると思う。
それだけがわたし達の希望。