『神様は偉大な憐れみによって、祈りを聞いてくださる』
今日、ダニエル書から学びましょう。
ダニエル書9:18
ダニエルが生きていたのはバビロン捕囚の時代。
・紀元前606-539年
・バビロン捕囚
・異国の地に住み、とても苦しい環境下にいた
・9章はバビロン捕囚から68年過ぎたころ
ダニエルは困難な時代においても自分ができることをし、毎日エルサレムの方角を向き祈っていた。
今日のポイントは一つ:
嘆願の祈り
個人的な祈り、苦しいときに聞いてくださる神様。
神様はなぜ祈りに答えられるのか?
ある学者は、それは神が変わらない方だからだと答えた。
神様のとき、タイミングがある。
すべてがかなうわけではない。
しかし、神様が働いてくださることを信じる信仰がわたしたちには必要。
バビロン捕囚は60年続いた。
そのような中で、虐げらているなかで、
ダニエルはどのように信仰を持ち続けたのか?
ダニエルの祈り:
「わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、
伏して嘆願の祈りを捧げます。」
We do not request of you because we are righteous, but because of your mercy.
(直訳)わたしたちがあなたにお願いするのは、わたしたちが正しいからではなく、
あなたの偉大な憐れみがあるからです。
正しい→ヘブライ語でツェダーカー tsedaqah
慈善(charity)
主観的にみても、他人から見ても正しい行いをする人の意味。
わたしたちは時々ずれてしまうことはないでしょうか?
教会に仕えながら、なぜ叶えられない?と思ってしまうことは?
わたしにはこうあるべきという考えが強い。
がんばりすぎてしまう。
今年から恵みにより教会スタッフになった。
この傾向に気を付けていきたいと思っている。
去年、このこうあるべきという思いが強くなった。
ベストを尽くしてティーンに仕えたのに、思うような結果が出ず、
がっかりした。なぜこんなにがんばっているのに、神様はかなえてくださらないかと思った。
ある兄弟が、それは間違っていると教えてくれた。
わたしたちがどれだけ正しい行いをしたからといって、神様の与えられる結果をコントロールすることはできないのだと。
状況や人のせいにすると徐々に高慢になり、間違った神様を見てしまう。
ダニエルの嘆願の祈り。
エレミヤ書29:10-14
エレミヤ書29:10で神様は70年の時を経て、民たちを解放されると約束された。
ダニエルはこれを信じた。インスパイアされて嘆願の祈りをした。
この預言はすごい。
日本人は真面目で責任感があるので、なにか問題を起こすと、
「責任を取ってやめます。」といって辞任する。
しかし、ここでは罪を犯しているのは民たち。
それを神様が責任を取って解放すると約束されている。
このような神様の憐れみは、わたしたちのエネルギーとなる。
もしダニエルがわたしのように正しさに固執していたら、68年間もその信仰を持てなかったに違いない。
ダニエルは憐れみの神様を見ていた。そこに触れ続けていた。
神様の憐れみに触れ、大胆に祈っていきましょう。
先日、ティーン男子たちとのブートキャンプへ行った。
この状況化、希望者全員を連れていけなかった。
ワーカーの人数も制限された。
必死に祈って臨んだ。
なんとか自分がよい働きをできるように、信頼できるひとたちとベストを尽くしたいと思っていた。
結果からいうと、自分の不信仰さを見せられた。
ブートキャンプは想像をはるかに超えて素晴らしかった。
地方から参加する子もいた。
皆のほとんどの願いは関係を深め、もっとつながりたいというものだった。
コロナ禍でオンライン中心になり、むずかしい状況があった。
わたしはずっとティーンミニストリーでなんとかつながりを重視しやってきたが、こどもたちが自らそれを願っていたことがわかった。
また彼らはクリスチャンになりたいと言っていた。
神様の働きは、神様の憐れみによって示された。
これらを目にして、刺さった。
自分に必要だったのは、神様の憐れみを信じて大胆に嘆願の祈りをすることだったと気づいた。
どんなにむずかしい状況だったとしても、そのような祈りをしていきたい。
神様は必ずあなたの本当の祈りを聞いてくださる方だという信仰をもって
嘆願の祈りをしていきましょう。