『祈りシリーズ:祝福してくれるまで離しません』
創世記32:23-32
有名な箇所。ヤコブがイスラエルに名前が変わったとき。
ヤコブは兄のエサウに会うのを恐れていた。全財産を後ろに送っていた。
前にも後ろにも戻れない状態で、暗闇の中格闘した。
この格闘、wrestling、レスリングは祈りを表すと言われている。
わたしは何度も読むと、わからなくなる。
なぜ急に出会って格闘したのか?
神様はもう去らせてくれと頼んだのか?
なぜ腿を打ったのか?
謎が多い。
皆さんは人生で誰かにしがみついたり、組み合ったことはありますか?
わたしはない。
この聖句を深めるために、今回、初めてレスリング体験をした。
中村ようすけくんに頼んだ。
ウォームアップだけでしんどい。
先生はマスターズで世界チャンピオン。
スパークリングさせてもらった。
先生は何もしないので、何をしてもいい。
倒していい、かかってこいと言われた。
自分もダンスをやってきたが、2分がとても長く、うめき声が出た。あきらめたい気持ちも出た。そのために、先生や周りの皆が応援してくれた。
①戦いの相手を祝福する神様
ヤコブではなく、何者かが戦ったとある。
つまり、神様が戦って下さった。
神様が戦ってくださるのが大事。
レスリング経験を通して、組み合うのはとても力が要るとわかった。
先生は、本気ならすぐわたしを倒せる。
しかしそうではなく、わたしに多くを与えようとして、
考えて取り組んでくれたと思う。
神様は祝福を用意していた。
ヤコブはもがいた。
わたしは今までヤコブが好きではなかった。
ずる賢くて弱さがある。
この人がなぜ、イスラエルなんだと思っていた。
しかし、この人は神様が最終的に祝福してくださる方だと信じていた。
神様は熱心にヤコブを愛し、憐れんでいたからこそ、神様は一晩中ヤコブと格闘した。
神様から会いに行った。しがみつくヤコブの信仰を引き出した。
ただ神様にすがるように教えられた。
自分の力ではなく、神様にしがみつくように。
ヤコブの脚を引きずったのは、弱さの象徴ではなく、神様に頼る勝利の象徴。
わたし達はどうか?
人生の1番暗い日は突然来る。
そうでなくとも、毎日さまざまな試練がある。
そこでわたしたちは何と格闘しているのか?
自分なのか?
神様と格闘しているのか?
②神に本気でしがみつく
ホセア書12:4-5
ヤコブは泣きながら神様と争って勝った。
惨めでも泣きながらでも、葛藤して神様にしがみついた。
わたしはこのようにヤコブと神様の関係のようになりたい。
今年祈りで神様に近づいているのを感じる。
その中でもっと、ヤコブにインスパイアされ、神様と親密になりたいと思っている。
レスリング体験を通して、言葉にならない経験だった。
本気でないと本気でできない。
肉体同士のぶつかり合い。
自分でも知らない負けない思い、気力。
次の日筋肉痛。
祈りは、闘いでもあるのだと思った。
そして、祈りでそこまで格闘したことはなかったと気づかされた。
わたしはアボイダー。
問題を避けたり、自分の力でどうにかしようとしてきた。
そこから神様と遠くなる。
これは父との関係に似ている。
父と相撲でも取っておけばよかった。
今度やっててみようと思う。
77歳だから本気ではできないが。
しかし、天の父であるお父さんには本気でぶつかって行ける。
本気でぶつかり、生々しい。リアル。ドロドロの格闘。
それでいいと詩編作者たちや聖書が教えてくれている。
先日、プロフェッショナルミニストリーが幕張でリトリートした。
たくさん祈った。
このリトリートのために何度も祈った。
祈りに頼る特別な時間が欲しかった。
オンライン、オフライン。
どのようになるか不安だった。
戦いもあったが、その度に神様にしがみついた。参加した人たちは、信仰を増し加わったと信じている。
・祝福する神様
・その神様にしがみつくこと
世の中や自分の力で間違った戦いをしたり、
頑張るのではなく、祈りを通して神様と格闘し、あきらめずしがみつきましょう。
しがみつく神様は、あなたを祝福される神様です。