『神様の方向性を進む』
年始から、一つの大きなテーマである『チャレンジから機会へ』について使徒言行録から学んでいる。
今日も使徒言行録を、神様の視点から学んでいきましょう。
使徒16:10-10 マケドニア人の幻
パウロの2番目の宣教旅行。
この時点で、周辺の少しの異邦人にも福音が伝わり始めていた。
ユダヤの周り。中東のみ。
しかし、この2番目の宣教旅行により、ヨーロッパまで福音が伝えられることになった。
どのように、というのがこの使徒の16章に書かれている。
アジア州(現在のトルコ)に向かい、エフェソを目指していた。
しかし、聖霊に禁じられたとある。西南にいかず、まっすぐに進んだ。
そこから、フルギヤ・ガラテヤを通り、ビテニヤという黒海の近くを目指したが、またイエスの霊がそのまま進むことを禁じた。
彼らはトロアスの港まで来て、マケドニア州に行くよう、幻を見た。
この聖句は皆さんにとってはどのように感じるでしょうか?
わたしにとっては理解しづらい。
あまりにはっきりと神様が行く方向を禁じる。
自分は若い時にはこの聖句を避けてきた。
パウロだから従ったのだろうくらいに思っていた。
なぜ神様が行く先々を禁じたのかは聖書に書いていない。
しかし、事実は、この導きをきっかけに福音はヨーロッパ、全世界へと広まったということ。
それを読み、理解すると
わたしたちは、自分の思いではなく、神様の思いで教会もわたしたちも導かれてほしいと思う。
神様は働き、先導する。
パウロは、福音を伝えたい人だった。神様のために思いは溢れていた。
しかし、そのアクティブなパウロが、聖霊に止められたとして、イエスの霊が禁じたとして従った。
最終的にその道を切り開いたのは人間ではなかった。
パウロは使徒だったので、特別なメッセージを直接受けたことは否定できない。
しかし、現在、神学者たちは、この箇所について神様が
様々は状況を通して、パウロたちを導いた可能性が高いと言っている。
トロアスは港町だったし、様々な情報がルカや他の弟子たちから入ったと思う。
神様を正しく見る View of God
イエスを正しく見る View of Jesus
聖霊を正しく見る View of Holy Spirit
この聖句を見ると、パウロがうらやましくなる。神様に御心をはっきり示されていいなと思ってしまう。
わたしたち、とくに自分は、どこかで、必死に奉仕し、神様を求めないと与えられないものだと思い込んでいる。
神様の御心は、乾いているところを絞ってなんとか出すものなのか?
それとも、神様の恵みは豊かにあふれているものなのか?
わたしたちが一生懸命働きかけて動かないといけないものなのか。
ヨハネ4:14
イエスはこう言われている。
神様の働きは泉となる。別の訳では噴水。
溢れだしている。豊かに流れ出ている。
わたしたちは神様の働き、聖霊の働きをこのように見ているでしょうか?
この箇所で一番働いたのは聖霊。
聖書にはさらっとしか書かれていないが。
新しい視点、ルカや一世紀の弟子たちには、神様の働きは当然と思ったので、
そのようにしか書かれていないかもしれない。
今日、素晴らしいことに、加藤巧くんのバプテスマがあります。
彼の人生に神様が力強く働いている。
同時に皆さん一人ひとりの人生にも。
神様は働き、先導する。
神様の道を吟味する。
実際に神様の働きを見たなら、それを吟味して受け取っていく必要がある。
『神が私たちを招いておられると確信するに至ったからである。』とこの聖句にある。
確信するには、一つ一つの神様の働きを吟味し、すり合わせることが必要だった。
自分たちの目の前で起きていることを一つ一つ丁寧に見定めた。
自分たちが忙しくするのではなく、神様の働きを本質的に見て確認すること。
Discern 見定める、理解する
この英語の言葉がぴったり。
箴言17:24
箴言18:24
箴言では聡明と訳されることが多いが、もともとはdiscernのニュアンスが強い。
わたしたちは見極め、分別していく作業が必要。
冷静に立ち止まって、わたしたちの思いではなく、神様の思いを見定めていく必要がある。
霊的にも、体力的にも、心的にも。
日々、神様の思いを知りたいと思えば思うほど、自分の思いや感情に心が占められていることに気づく。
わたしの場合、心に向き合うよりも自分でコントロールしようと独りよがりになる。
つながりを求めず、愛のない行動になる。
今週もむずかしい話し合いがあった。その人にはこういわれた。
「おそらくあなたは、相手の話をきくよりも、自分のアジェンダをコントロールしようとしている。」
毎日、自分は罪人だと認めて助けを求めないといけない。
そのときにようやく、神様のメッセージに気づく。
霊的に落ち着いて、神様のメッセージをかみ砕き、受け入れられる。
ぜひ皆さん、丁寧に神様の働きを結び合わせていきましょう。
最後に大事な話をします。
なぜわたしたちは今日、自分ではなく、神様の方向を進む必要があるのかということ。
神様の道を吟味すると、いかにわたしたちは他から影響されて、自分の感情や思いに支配されているかを知る。
時に、感情的に思い込み、時に律法的になり、アジア州や他の地域に行って迷い込んでしまう。
だからわたしたちは、神様の方向を見る必要がある。
いま世界で起きていることを見ると明らか。
吟味したとき、自分の方向か、神様の方向かが一つのよい選択肢ではないとわかる。
唯一の正しい道なのだとわかる。
目の前に起きていることと、神様の示す道を一つ一つ丁寧に結び付けて吟味したとき、神様はわたしたちに新しいヨーロッパをみせてくださる。
神様の正しい方向へ共に進み、神様の働きをみていきましょう。