先週、投票で決まった今年の教会のテーマ聖句、マルコ9:23。
今年、網を打って漁をする。
信じる者には何でも出来る
聞いただけでやる気が出ませんか?
英語でも日本語でも聞こえがいい。
信じる者には何でも出来る。そのような年にしたい。
私は1月2日が誕生日。
家族にお祝いして貰い、特別な年にしたいと思った。49歳。40代最後。
40代の最後を貴重に生きていきたい。
このテーマ聖句は、みんなに大切にして欲しい。
マルコ9:14-29
マタイ17章にも書かれている。正確にいつ起きたかわからない出来事。
イエスの伝道の初期段階ではないことは確か。
イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登ると、モーセとエリヤがいた。
物凄いジュビリー。どのように感じますか?
想像出来ないほどの、霊的な素晴らしい経験から考える。
1)信仰のない私をお助けください
先ほど話したように、イエスとペトロたちは山に登った最高の経験があった。
山を降りて他の弟子たちと合流すると、議論している。
イエスが現れると興奮している。
正月、いいことありましたか?
年末様々なことがあったと思う。
でも、正月になって落ち着くと問題が全部消えたと感じる。
でも、現実に帰ると辛くなる。。。
良いことがあればあるほど、現実に戻ると辛くなる。メールを開いて辛いものがあるとガクッとなる。。。
信仰があれば何でもできる。
ひっくり返すと、信仰がなければ何も出来ない。
問題がそのままだと、癒されない。
問題が続くと、結果として議論になる。感動もインスピレーションもない。
キリストが現れて、お父さんの信仰にスポットを当てたいと思っている。
私はこの聖句を毎日読んでいる。
ここで登場する父親は、いい父親だと思う。
普通、父親は子育てにあまり関わらず、子供の状況は分からない。
でもここで登場するのは愛深い父親。息子の状況をよく知っている。
病気に付き添っている父親、素晴らしい。
愛深い父親。
困っているから助けを求めている。
正しいことをやっている。しかし、上手くいかずにガッカリしている。
弟子たちが悪霊を追い出してくれる期待があった。
この人は信仰のある人。イエスの弟子たち、お願いしますと。
でも9人の弟子には悪霊を追い出せず、イエスは怒った。ガッカリした。
でもイエスがこの息子から悪霊を追い出す前に、お父さんに声をかける。
イエスがこの悪霊を追い出すにはお父さんの情報は必要ですか?
必要ない。イエスが情報をより得る必要はない。元々知っている。
イエスは、スポットライトを父親の信仰に当てた。
父親は、病気が治らないことを弟子たちのせいにしていた。
マルコ9:22 礼儀正しくイエスにお願いする。
マルコ9:23 父親を怒って叱って、イエスが戒めた。
今年のテーマ聖句、不信仰を悔い改める意味がある。
このメッセージ、スタッフ、メンバーに必要。
私たちには信仰のメタノイアが必要。
イエスはスポットライトを最初弟子たちに当てた。そこから父親に移した。
この話の最大の問題は、父親の信仰。
あなたの個人的な信仰は?
後々、息子と歩んでいくのは父親。父親がまず変わる必要がある。
皆さん、自分の信仰をスポットライトで照らしてみてください。
去年の振り返りをやってみてください。ノートに書き出してください。
私は、昨年良いことがいっぱいあった。
末っ子がバプテスマを受けて、家族みんながクリスチャンになった。キャンペーンも良かった。神様に感謝。
周りの状況ではなく、自分がどれ程成長したかにスポットを当ててまずは考えた。
そして、この教会全体を見た時、奇跡があったのではないか?と思った。
その割にはあまり人が救われなかったのではないでしょうか?
皆さんの個人的な信仰はどうですか?
自分の信仰にスポットを当てる必要がある。
マルコ9:24 父親は、涙をながして叫んだ。(日本語新共同訳では涙について書かれていないが、英語や原語ではそう書かれている)
悪霊が暴れ出している。
保護者の皆さん、子供の非常時に冷静でいられますか?
自分なら冷静ではいられない。
この父親は凄い。息子が泡を吹いていても落ち着いている。
感情的になると、人は冷静な判断が出来なくなる。
父親は感情を押さえていた。
そしてイエスに突っ込まれて、変わった。
父親の信仰のメタノイア
- 自分の不信仰を認めた
- 脆弱になり、気持ちを表現した
- へりくだり、助けを求めた
泣きながらイエスにお願いをした。
私たちは、脆弱に話すことを学んだ。
学び会の中でセッティングがあれば、脆弱に話せると思う。
ユース礼拝などでもやっている。
でも、普段の生活の中で脆弱になることは浸透していないのではないでしょうか?
私は、全てに脆弱に向き合えていないことを知った。
凄く心が取られた問題があった。ある問題に対して、非常にしんどい感じがあった。
そんな中、脆弱になって父親ように心を出していかないと変われない。
あなたの個人的な心にスポットライトが当てられている。
あなたの信仰はどうですか?
他人の信仰にスポットライトを当てていないでしょうか?
私たちも教会として、分析が得意。
でも信仰は違う。
私たちは自分のスキーマの自己認識が足りない。
その力が十分に足りない。
神様は何でも出来る。
究極的な問題は、あなたは信じる者か。
ふと思い出して言っていないことがあれば、脆弱に出してください。
不信仰な私をお助けくださいと。
2)この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ
マルコ9:28 弟子たちの不信仰
なぜ弟子たちは悪霊を追い出せなかった?
マルコ9:29 イエスは理由をちゃんと答えていた。
悪霊には種類がある。今回の悪霊は祈りと断食によってしか、追い出せない種類だと。
マタイ17:20
同じ場面を、違う切り口でイエスが語っている。
あなたがたに出来ないことは何もない。
弟子たち、出来なかったから祈りと断食すれば良かったか?
イエスの生活は祈りと断食。
弟子たちの問題は信仰が足りなかったこと。
弟子たちの普段の信仰、祈り、断食はこの種の悪霊には足りない。
「信仰が薄い」は「信仰が全く無い」とは違う。信仰が足りない
無いわけでは無いが、小さい。
弟子たちの信仰が足りなかった。困っている人を助けるレベルではなかった。
私たちの信仰が薄いから、人を助けられない。
私たちの教会も、信仰が不十分。
9人のように、信仰不足で助けられない人も多い。
神様が力が足りないわけではない。
9人には、悪霊を追い出すことが出来る期待があった。
最初から信じていなければ、出来ない。
結果、出来なかった。
「信じている」ことと「信仰」はイコールではない。
前は出来なかったことも、今は出来ると思っても違う。
弟子たち、自分の不信仰に対してはよこしまで頑な。
マルコ9:19 弟子たちは叱られていた。
お父さんの信仰にメタノイアがあって、作り変えられた。
この前に議論していて、後々には御国で誰が偉いか議論を始める。
我々も同じことをしてしまう。
大切なことは、私たちが本当に神様を信じているかどうか。
間接的に、私たちが神様につながる器になれるかどうかにつながる。
なぜ悪霊を追い出せない?
- 出来るはず
- 過去の経験に頼る
イエスから権能を授かっている。
出来るはずだったが、出来なかった。
信仰が足りなかったから。成功の傲慢。
この数年間、わたしたちは劇的に変わった。
たくさんの喜びがあった。
でも、成功から来る傲慢の罪に陥ってないでしょうか?
そこで我々は勘違いしていないでしょうか?
去年一年、自分はどれだけ学びましたか?
出来るから助けがいらない、出来ないから必要というのは違うのではないでしょうか?
上手く言っているからより謙虚に学ぶのが正しい姿。
成長は喜びましょう。神様を賛美しましょう。
でも、傲慢は恐ろしい。
ガタッと崩れる。
過去、何度もあった。賢くいきたい。
どんな時も、神様にも人にもへりくだるのが正しい弟子の姿。
キャンパス、何でも自分たちでやろうとする傾向がある。
既婚者、GEPを学んでいるが楽観的。自分は出来ている、分かっていると思い過ぎ。
プライドを悔い改めましょう。
新しい革袋が必要。
過去の勝利は素晴らしい。でも、目の前の敵を倒すために強い信仰を持ちましょう。
謙虚に認めて成長しましょう。
神様の前では、私たちは何者でもない。
3)何でもできる・・・信じる者には
神様が働く条件は、我々が信仰を持つ。
もっと奇跡があっても、多くの人たちが救われても良いのではないでしょうか?
マタイ17:17-18
信仰があったからすぐさま追い出された。
暗闇から光に。
イエスに出会う前の人生は、苦しみ・痛み・絶望。
信仰に溢れたイエスの出会いにより、癒されたと思う。
神様は早い。人の心をすぐに変える。
私たちは信じる者ですか?
神様には何でもできる。
脆弱になって、信仰を持って、全てを神様に委ねていきましょう。
私たちは出来ると信じて、2017年神様に期待していきましょう。