マルコによる福音書から一緒に学びましょう。
マルコ2:1-12「中風の人を癒す」
イエスは宣教活動を既にしておられ、群衆が押し寄せていた。
ここでいう中風とは脳疾患により身体が麻痺している人。当時は病気だけで、汚れていると差別されていた。
彼の人生はどのようだったか?
一生治ることがない病気。将来に希望がない。
生きている自分に価値を感じない。生きる目的がない。
そのようなとき、わたしたちはどこへ向かいますか? また友達がそのようなとき、手を取ってどこへ向かいますか?
4人の友達はイエスの元へ向かいました。
今日の説教のポイントは一つ。
「運び抜く信仰」
距離は書いていない。人を一人運ぶのは意外と大変。
わたしは先日、秋山大地くんをハウスホールドから教会へと運んだ。
普段は30秒のところ、1分50秒もかかった。ガタイがいい大地くんを運ぶのは大変だった。
当時は運ぶ台車やトレイラーはない。
彼らは、イエスがいる家の前でスタックしてしまった。
でも彼らは、機転を利かせて屋根に穴を開けた。
当時のパレスティナ地方の屋根は平坦。屋根の上で人々は休息するのに使ったそう。
梁が1m間隔で置かれ、固めてある。復元可能なタイプ。
大事なのは、社会から拒絶されたこの人には4人の友達がいて、彼らは床ごとイエスの元に運んだということ。
人目を気にせずに、誰にどう思われてもこの人を救いたい!運びたい!
イエスはどのように思ったでしょう?
彼は、中風の人を癒しました。彼は床を担いで出て生きました。
180度変わった人生。
なぜ4人はイエスの元に連れていったのか?
彼らはイエスキリストの人生を知っていたから連れて行った。
イエスの元に行くと、希望が、癒しが、愛が、救いがある。 今日わたしたちは、イエスの元に喜んで人を運ぶ信仰を持っているでしょうか?
先ほどの貴大くんの聖餐式は素晴らしかったです。
彼がお母さんと共に洗礼を受ける前に祈ったのを一生忘れないと思う。
貴大は、イエスの元に行き、変えられる人生を歩んで来た。
お父さんとの関係が薄い分、お母さんの影響が大きかった。
お母さんに服従して行きて来た。自分のやりたい思いは置いて従って来た。
自分の人生を選択してこなかった。
クリスチャンになるとき、お母さんは猛反対した。
そのお母さんに、貴大は猛反対した。その後、神様は働いて、お母さんが賛成してくれるようになった。
お母さんがむずかしい状況の時に、彼に感謝している手紙を書いてくれた。
二人で号泣した。素晴らしいのは、あれほど反対していたお母さんが、教会に感謝してくれた。
お父さんとは未だにむずかしい。
がっかりした思いに浸ってもいい、
でも彼はイエスキリストの力強さを知っています。
貴大くんはだからこそ、お父さんに救いが必要と知っています。イエスの元に運びたい。イエスの元へいつも行く弟子。
彼をいつも尊敬している。人をイエスの元に運ぶのは、愛すること。
決して綺麗事ではない。
居心地の悪い話をすることがある。傷つく。
わたしたちはこの中風の人を運んで4人になりたいです。
どうして?恵みに溢れる場所へ連れて行きたい。そして、わたしたちも教会の皆に運ばれている。
律法学者たちは反対していた。不平不満。
イエスを目の前にしているのに、全然違う反応。
目の前にイエスがいても、どういうことかわかっていない。
でもわたしたちも時々そうなる。
曖昧な反応、不平不満、本当の信仰と謙虚さがなかった。
では、中風の人に信仰はあったのか?
5節に複数形で書いてある。11節で起き上がり、すぐに床を担いで出て行った。
イエスの言葉に従順に反応した。
イエスの元に行けばわたしは立ち上がれる。
信仰があったと思う。もしかしたら、4人の友達に自分から頼んだのかもしれない。
唯一の希望は、イエスの元にある、
歩けなかった自分の人生を180度変えてくださる。
冒頭でウェルカムしてくれた山崎穣くんとは中2から関係を与えられている。10歳離れている。
自分は、プロでサッカー選手を目指していた。
中2で挫折した。 身長が高ければもっとやれたのに、とコンプレックスになった。
当時父との関係はむずかしかった。中3の時、父と1対1で食事をした。
「おまえいつサッカーやめるんだ?プロになれないならやめるんだろ。」
本当は思いを聞いて欲しかった。「応援しているよ。おまえは頑張っているよ。」と言って欲しかった。何も言えない関係だった。
穣との関係では、なんでも言えるお兄さんになろうと決めた。
一緒にテニスしたり、ラーメン食べたり、勉強を手伝ったり、公園で祈ったり。。。
真剣に怒る。謝る。 学生の時にある病気によっていじめられたことを話した。
共に涙する。
そんな自分に驚きを感じている。
頑張っても認められない時、人に対して、同じようにして来た。でも、教会に来た後には教会の皆に運んでもらった。
穣と年は離れていても本当の弟のように感じる。彼は、いつもイエスの元に行く人。
希望や目的がない友人をどこへ手を取って運んで行きますか?
イエスの元に運び抜きましょう。
2017年あと1ヶ月を切りました。
イエスの元に行くこと、愛する人たちをイエスの元に運ぶことを一緒にして行きましょう。
心の底から皆さんを愛しています。