ポイント1:熱心さの上に教会が建てられている
使徒2:43-47
「熱心さ」について: 改訳=固く守り、共同=ひたすら
英語ではdevoted(献げる)、継続する、熱心の意味
サンデークリスチャンではない。私たちはいつも弟子。
使徒言行録の時代の弟子たちは、使徒の教え(聖書の言葉)に熱心だった。
皆さんは、どれほど熱心に聖書の言葉を読んでいますか?
「私たちはQTを取っている」という次元ではない。
devotedというのは、献げるという意味。
今告白すると、ニューヨークヤンキースの試合が気になってしょうがない。
母が亡くなった後、ニューヨークでヤンキースの試合に2回スタジアムに行った。
時差ボケになるくらい熱心に試合を応援している。
- 使徒の教え
- 使徒の交わり
- パンを裂く(聖餐式)
- 祈り
使徒たちは毎日心を一つにして集まった。
私たちは熱心にイエスの弟子として行きていますか?
私はもう30年の弟子。15年、10年、1年、2年の弟子たちもいると思う。
皆さんは、弟子になるときあるいはなったばかりの時、熱心に神様を求めて、喫茶店代出して、寝不足になって、神様を求めたと思う。
母が亡くなって、身辺整理していたら88年に下手な日本語で、母へ書いた手紙が出て来た。
- 自分の人生に良い友達がたくさん出来たこと。
- 人生が変えられたこと
など、拙い言葉で伝えていた。
クリスチャンになって日本へ来たとき、父に激怒され、勘当だと言われた。
帰国したとき、母がスーツと眼鏡を買ってくれた。
100ドル札を手に握らせてくれて、バス停まで送ってくれた。
もう母に会えないと思って覚悟した。
状況は変わったが、イエスに従って、家族と遠くなった。
熱心さは騒ぐことではない。献身的な熱心。
先日、スタッフで集まったときにここに熱心さはないと感じた。
いいジュビリーがあった。皆元気で明るい。前向き。
でも、この使徒の2章の教えの熱心さが薄れている。
昨日は土曜日礼拝があった。プリティーン以上の大人に説教した。真剣に叱った。
ジュビリーでの食事の食べ残しもそう。子供でなく親が生ぬるい。
サンフランシスコの教会は、700人で1億円の献金をアジアのミッションのために知らない日本の教会のために献げた。
ある人は、結婚指輪を、ある人は裕福だったが、2つあるうちの1つの家を売った。そこまでしないと1億円にならない。
これから時間を取るので、くじ引きで決まった相手と3分間でお互い話し合って、10分でお祈りしてください。
ポイント2:教会は熱心な弟子の犠牲によって建てられる
使徒4:32-37
1世紀の教会にはたくさんのニーズがあった。
お祭りがあってエルサレムに移った人達が弟子になった。
仕事や家もなかった。エルサレムの弟子たちの犠牲により、貧しい人達は1人もいなかった。
イエスキリストにより、神の家族だった。
一部の人だけが、熱心だったわけではなかった。 全ての人がそうだった。
サンフランシスコの教会。キャンパスでお金がなかったので、売るものがない。
カーウォッシュした。食べないで、お昼代を貯めた。引越しのバイトもした。
でも犠牲とは思っていない。本当の犠牲はイエスが払った。
ヨセフは、畑を売って教会の献金にした。ニックネームはバルナバ。
世界会議で写した写真。トム・ブラウン アトランタの長老。わたしが初めて教会を訪れた時のバークレー教会のリーダーだった。
説教が面白くて、ぶっとばされた。すごく上手い説教。
大学のレクチャーもスタンディングオベーションが出るくらい素晴らしい。
当時教会のメンバーは、600人くらいいた。
トムとトイレでばったりあった時に自分の名前を知っていてくれた。
“Takeshi!”と声を掛けてくれ、バプテスマの日も知ってくれていた。
「ずっと祈っていたから知っているんだよ。」と。
アンソニーと妻。大学の先輩カップル。
今は、ホノルルの教会。以前はマニラの教会、セブの教会を牧会していた。
2人とも優秀で、学位やスポーツの名誉を捨てて、ミッションに行った。
それは、自分にインパクトだった。
教会の文化。人生を捨てて、捧げる弟子たちがいた。
今年献金が下がっている。これは、深刻な問題。この3年間で18人の弟子を地方に送った。
もしかしたら、この教会にもバルナバのような人がいるかもしれない。社会人になったり、昇進したり。
喜んでやることであり、義務ではない。
でも、辛くなくてポイとできたら、犠牲ではない。
将来や安定を捨てて、捧げる。
昔犠牲を払っていたかもしれない。でも今も弟子であることは変わりがない。
若い弟子は、考えて欲しい。
この教会は、先輩たちの犠牲の上に素晴らしい教会としてなっている。そこにただ甘えていていいのか。
使徒12:1-5
教会の指導者が殺された。ペテロが牢に入れられていた。絶望的な状況。
彼らはパニックになるのでなく、集まって熱心に祈っていた。
いつものこと。 必死だった。奇跡があった。ペテロが天使に助けられた。
ペテロは「信じる者にはなんでも出来る。」と神様を賛美した。
私たちは弱い。でも疑いと戦いながら祈りましょう。
今回の会議では祈る時間があった。知らない人と祈った。
世界中の違う人が祈った。スペイン語で祈る人がいた。
神様は、どんな言葉で祈ってもわかってくださる。
お祈り:
- 地方教会のため
- シニアの方(体調)
- 身体、経済的、親のことニーズがある人たちのため
- シングル(シングル男性の救い、シングル韓国人男性)
- キャンパス
- 指導者
- 献金
使徒2:47
毎日のように人が救われていた。
多くの人がコミュニティーに来ていた。ある人はすぐ、ある人は時間がかかったかもしれない。
バークレーの教会では、説教も素晴らしかったが、交わりがとても素晴らしかった。
弟子たちが名前を覚えていて、励ましてくれた。
1世紀の教会は、弟子だから弟子じゃないからとあまり区別をしなかった。
当時は、貧しい人は死んだらそのままにされた。
クリスチャンはそういった人達を葬っていた。
神様に愛された人として扱った。
ビジター、勉強している人、友達、友人、親友、みんな神様に愛されている人。
母が亡くなった2週間くらい、兄たちとしか過ごさなかった。
久しぶりに教会に行くのは不安。ニューヨークには知り合いがほとんどいない。
マンハッタン教会でもジョン・マーカウスキー以外は殆ど知らない。
篠田武則くんの兄の和則さんがニューヨークにいるのを思い出した。
彼に「礼拝に行きませんか?」と聞いたら「はい。」と即答だった。
彼が励ましてくれて、スターバックスで良い時間だった。
ジョン・マウカウスキーに紹介した。
「彼は、うちの教会の一員。誰よりもHOPEに熱心。唯一あと残っているのは、バプテスマだけです。」
英語だと日本語よりカジュアル。
母の死で、精神的に参っていた。弟子と交わるのも困難。でも、そこで友達がいるのは励まされた。
その数週間後、マンハッタン教会でも説教させてもらった。
排他的にならず、心を開いて行きましょう。
近所の人、職場の人をコミュニティーにいれて行きましょう。
ほとんどの人は最初は信じていなくて、コミュニティーの力によって救われたと思います。
立派な教会の建物に隠れるのではなくて、広く人々を受け入れて愛し、住んでいる場所にコミュ二ティーを広げて行きましょう。