ジュビリーで使用させて頂いた施設からのフィードバックを貰っている。
- これだけ多くの人の団体でスムーズに動いていてよく統率されていました。
- 食べ残しが多すぎる。 前半のグループが取りすぎて、後半のグループについて食べ物が足りなかった。
真剣に受け取ることをしてほしいです。特に子供たちが多く残している。感謝の無い心の表れ。忘れ物も多かった。
教会でもゴミ問題がある。親の期待が低い。子供たちがしたことが、世の人をつまずかせる。
わたしたちがまず悔い改める必要がある。一度下げた基準を上げるのはむずかしい。でも取り返しがつかなくなる前に変わらないといけない。
自分の子供にも厳しく話した。各家庭でも真剣に話し合ってほしい。
ジュビリーではたくさんのことを学んだ。
神様が次の期待で信仰を求めておられるのを感じます。
マタイ14:22-33
湖の上を歩く。わたしたちが大好きな奇跡の話。
イエスは弟子を強いて向こう岸に行かせた。
わたしたちが信仰の向こう岸に行けるように神様は期待してくださっていると感じる。
ポイント1:神様の力強さ
弟子たちは4-5km離れた場所で、イエスが居ないところで、逆風に悩まされていた。
イエスはあえて、自分たちだけで舟に乗って行かせたと思う。
イエスは夜明けに戻って来た。弟子たちは、7-8時間は必死になっていた。
イエスの登場は遅すぎる!でも、それはわざとではないか?
イエスの目的はなんだったか?最終的にイエスは、風と嵐を沈めた。
「安心しなさい。わたしだ。」
弟子たちは、イエスを神の子だと拝んだ。
わたしたちは、まず、神様の力強さを知る必要がある。
向こう岸に行くために神様のご性質を理解する必要がある。なぜなら、イエスの
力がないと向こう岸に行けないから。
今日あなたは逆風に悩まされていませんか?
「そばを通り過ぎる」=
申命記にも出てくる、旧約からの神様の表れを示す表現。意地悪でわざと通り過ぎたのではない。
神様は、わたしたちが思う以上に力強い方。その神様を今日、わたしたちは見ていますか?
マルコ6:51-52
弟子たちは心の中で非常に驚いた。心が鈍くなっていた。
聖書が言っているのは、彼らが本当に神様を信じていたら驚くことではなかった。
わたしだったら、普通に驚くと思う。嵐を静め、湖の上を歩いて来たら、幽霊だと思うのは当然。
でも聖書は、神様を見えているのなら、驚かない、と言っている。
神様の働きを人生に見ていると言っている。聖書は、驚いた弟子たちは心が鈍くなっていると言っている。
イエスは、ずっと漕ぎ続けて上手くいかなくても、逆風でも神様の力強さを感じられるようにした。
ジュビリーは本当に素晴らしかった。
特にわたしは、ハーレムさんの説教とSGLのレッスンで圧倒されて泣いた。
半分は悔しくて泣いた。この日本でも、神様は力強いということが見えていなかった。
インドネシアの力強い神様は、日本の神様と違うんですか?
向こう岸に行きたいです。
でも正直に、逆風に悩まされている。
ミニストリーはうまくいっていない。
何ヶ月もかけて愛して来た人が最終的に神様を愛する道を選ばなかった。
ジュビリーに参加できず、信仰が弱まっている兄弟がいる。
兄弟同士のけんかがあり、和解のために遠くへ行く必要があった。
昨日も、説教の準備をしなければならなかったのに、別件で呼ばれる、など。
でも今神様が、心が鈍いと教えてくれている。
神様が素晴らしいというのは不充分。
弟子たちもそれは知っていた。
神様の本当の性質を味わう、神様の力強さをわかっている必要があります。
ポイント2:最後まで成し遂げること
ペトロは湖を歩いた。でも途中で怖くなって、イエスに怒られた。
ボートからの一歩。わたしはこの聖句にずっと励まされて来た。
確かに失敗したペテロ。でも、少なくとも彼は舟から出たじゃないですか?一歩踏み出した。
イエスと湖を歩いたじゃないですか?イエスに叱られたけど、助けてもらった。
それは素晴らしいし、間違っていない。
今回、違う見方をした。長年引っかかってきた場所に目を向けないと行けない。
日本語だと「信仰が薄い」は英語や原語だと「信仰がほとんどない」と書いてある。
「あなたには信仰がない。」強い表現でイエスはペテロを戒めている。
なぜイエスに認められないか?なぜイエスはここまで強く言ったのか?
「安心しなさい。」
元々は「勇気を出しなさい。」とイエスはペトロに言われた。
ペトロはそれに答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を
歩いてそちらに行かせてください。」
ある意味勇気があった。素直だった。
でも本当の意味でイエスの元に行くことがわかっていなかった。途中で沈んでしまう信仰しかなかった。
「それは信仰ではない。」とイエスは言った。
イエスの元に行けば安心。助けてもらえるとわかっていた。でも風が吹いて波があると沈んでしまった。
それは信仰ではないとわたしたちにも言われている。
わたしたちも、一歩踏み出したかもしれない。でも途中で諦めていませんか?
成し遂げるところまで行っていなければ信仰ではない。
あなたの周りで、最近人は救われていますか?
あなたは変えられていますか?
教会は成長し続けていますか?
それとも、強い風に向かうこと、恐ればかり見て、自分の力で漕いでいませんか?
イエスを見ていなければ、神様の力強さを見ていない。
本当に神様の力強さを味わいたかったら、最後まで水の上を歩いてイエスの元に
行かないと行けない。
最後まで成し遂げる信仰を持って行きましょう。
励まされるシェア。
4年前教会で、ある大学生の男性がバプテスマを受けた。
しかし、彼の母親は強烈に反対していた。
父親は、彼が小学生の時に家を出て行った。
母は競技を教えていて、彼と二人三脚で歩んで来た。
彼は母に背いたことは一度もなかった。
彼は弟子になる前に、何度も母と話して喧嘩もしたが上手く行かなかった。
しかし、その時はなぜかニューヨークにいる兄が助けてくれた。
バプテスマを受けた後も難しかった。
何度も彼は沈みそうになった。
社会人になり、弟子としても人間としても成長して行った。
だんだんとお母さんは、彼を信頼し始めた。
最近、彼のお母さんは初めてこれまで話して来なかったことを話してくれた。
彼はお母さんを戒めて、支えた。
母から彼に最近、5枚くらいの長文の手紙が来た。
あなたが立派に成長していることを感謝している。(出会った教会全ての人に感謝)神様に感謝します。」と。
彼は諦めずに続けた。
最後まで成し遂げること。
絶対途中、風や波がある。
浮き沈みがある。
最後までイエスを見続けて成し遂げましょう
特に人を愛して導く時に、最後まで諦めないでください。
神様を見続けて愛しましょう。
わたしたちがそうした時に、人々は神様の元に行けます。
その時向こう岸に行く信仰を手にすることができます。
今日ぜひ神様の力強さを見て、向こう岸まで行きましょう。