ルカ15:12-32
放蕩息子のたとえから学びます。
ポイント1:内なる自分に向き合う
有名なのは息子が神様の元に立ち返る話です。今日は兄に注目して話したいと思います。
自分は、兄に共感できるので読んでいてしっくり来ない。
兄は頑張り屋、ストイック、真面目、長男としての責任感などがある。
弟が帰って来て祝宴が開かれていることで、怒った。怒りと嫉妬で家に入れなかった。
お父さんに英語だと「私は何年でもあなたの奴隷になっている。」と言う。
強い表現。お父さんの言いつけに背いたことはないのに。
彼の怒りの裏には、どんな想いがあるのか?
- お父さんに認めて欲しい
- わかって欲しい
- 誰よりも頑張って来たのに
不健全な声:
- こんなに仕えてきたのにわかってくれない
- お父さんは弟の方を愛しているに違いない
- 自分は愛されていない
- 自分にそこまで価値はない
- 自分は真面目にやっているのに可哀想だ
-そのような声は人間関係と神様との関係を壊す
お父さんは全く違うことを言う:
- いつも一緒にいる
- 自分のものは全てあなたのものだ
聖書は何を伝えているか?
神様が何を伝えてくださっているかを見ようとする姿勢が大事。
自分の心にある思い:
- 正しいから従わないといけない
- 頑張って認められないといけない
兄:
不健全に避けてきていた。
父に従って来て自分のことをいい息子だと思っていたかもしれない。
でも不健全な生活を自由にしてきた弟が歓迎されると、怒りや責任は父の方へ行った。
もっと素直で正直でいたら、お父さんとの関係は違っていたかもしれない。
「お父さん、友達とパーティーしたいから、子ヤギ一匹ちょうだい。」
「この仕事、正直こっちの方がいいと思うのだけど、どうかなあ?」
「お父さん、仕事ばかりしていないで、来週はハイキングへ行かない?」
でも彼は言えなかった。
来る日も来る日も頑張って仕事し続けた。
一度も言いつけに背いたことはなかった。
たとえ苦々しい思いがあろうとも。
お父さんの期待:
お兄さんが脆弱に正直に話すことを期待している。悔い改め。弟のように父の胸
もとに飛び込んでいってもいい。
内なる自分に向き合えないとき、周りや神様のことを傷つけ、実は自分を一番に傷つける
ただ服従していることはありませんか?
この兄に似ているところが多分にある私は、この話がしっくり来ない。
自分は不十分だから頑張らないといけないという不健全な声がある。
ありのままの自分は受け入れてもらえない。出来ないことは恥ずかしい、と。
弱さを見せずに強がることで自分を守ってきた。ある姉妹と話していて、こう言われた。「最初は怖くて話しづらかった。」と言われた。
弱さを隠すために強く見せる。そう言う人がカッコいいと思っていた。リーダーだと思っていた。中学や高校の後輩からの色紙には「怖いけど尊敬しています。」と書いてあった。
今考えると、恥ずかしい。
頑張れば尊敬されると思っていた。
傷付き、がっかりするより、反撃した方がラク。
しかし、ありのままの自分を受け入れたとき初めて神様の安心感を覚えた。
休んでもいい。それよりも自分の弱さを認めよう。
罪人だから間違えていい。
イエスキリストは十字架にかかり、罪を担ってくださった。
お兄さんが自分に向き合い脆弱さを出せていたら、どれほどお父さんから癒しがあったか?
ポイント2:父の愛を信頼し、飛び込む
ルカ15:31-32
お父さんは、兄の苦々しい思いを裁かなかった。
「子よ」ギリシャ語では「テクノ」。
他の言い方もあるが、この愛情を持った呼びかけが使われている。
「私はいつも一緒にいる。」
評価でなく、親密さ。息子2人を分け隔てなく愛している
私のものはあなたのもの。跡取り。
最後に、英語だとwe 私たち、一緒にお祝いしよう。
自分と同じ思い、立場で弟の帰還を喜んで欲しい父。
父は、一緒にいることを望んでいる。
神様の望みはなんでしょうか?
お父さんはわざわざ外に出てきて話してくれた。 お兄さんは信頼できなかった。
信頼:神様はありのままを愛してくださっていると信じること。自分に罪や弱さがあっても。
自己憐憫、低い自己評価と戦う霊的な戦いがここにある。
本当の罪は神様の愛を否定すること、
十字架を無意味にすること。
お父さんは、ありのままの子供を愛する。
ずっと待っていて遠くから抱きしめてくれる。
失敗しても、喜んで迎え入れてくださる。
神様へのその安心感があれば、もっと飛び込める。
ペテロはたくさん失敗した。
いつも飛び込むたびに成長して、信頼していった。
イエスはいつも神様を信頼して飛び込んでいった。
信仰により、信頼して飛び込んだ。
そういう話をいつもしていますか?
そのような文化が教会にあるでしょうか?
ある兄弟が就職して、月曜から土曜まで、毎日日付が変わるまで働いていた。
日曜日、「自分は必要ない。教会で頑張って仕える兄弟姉妹たちに申し訳ない。」と言っていた。
自己否定、自己憐憫に支配されていた。
日曜礼拝前に涙を流しているのを何度も見た。
兄弟姉妹に頼ってプロセスした。
辞めたいと思っているけど、上司や周りの人にどう思われるか?
そこで向き合った。自分は本当には人生で何を成し遂げたいか?
神様のために人生を使いたい。悔い改めて、上司に話したい。
平日の夜、土日、休める仕事を祈り求めた。
私は、その兄弟に就活中でいいから、キャンパスに伝道に行ってくれないか頼んだ。
毎週金曜日に伝道に行った。不安もあったけど、飛び込んだ。後から、「正直、こんな状況で」と戦ったと話してくれた。
けれども、彼には同時に、困難な状況だからこそ、もしかして神様が働かれるのではないかという信仰があった。
2ヶ月後、平日のみの仕事が見つかった。
そして、ある大学生の友達が与えられた。
彼は人生で正しいことをしたいと願っていたので聖書勉強を始めた。
1人の兄弟の信仰と悔い改めを通じて神様の奇跡が行われた。
自己認識を深めるだけでなく、そこから飛び込みましょう。たくさん失敗して悔い改めましょう。その先にかならず、学びと成長があります。
挑戦して、悔い改めた先にかならず神様の思いと一つになる場所があります。
お兄さんのようにお父さんを信頼出来ないのでではなく、神様の愛を信頼して、自分と向き合い、飛び込みましょう。
今日は二つのポイントで話しました。
ポイント1:内なる自分に向き合う
ポイント2:父の愛を信頼し、飛び込む
2017年、神様の奇跡を見ていけることを確信し、楽しみにしています。