ヤコブ4:5-10
最近、本当の自分の感情、あえてネガティブな感情に向き合っています。
涙もろい人もいれば、なかなか泣けない人もいる。
自分は、泣きたい時に泣けない。
お別れ会の時には、心が付いて行かず、プロセス出来ない。泣けない。
2週間前、ある人にすごく意地悪なことをしてしまった。その人に謝りながら涙しました。許してもらってまた涙した。
神様は、創世記で神様に形取って作った時に感情も作った。
笑いを悲しみに変える時はどのような時でしょうか?
自分はアボイダー。居心地の悪いことを回避する強い傾向がある。
自分が傷つくのは嫌だし、人も傷つけてはいけないという強い思いがある。
父が高圧的で子供の頃から怖かった。
もちろん優しい時もあるけど、理不尽で怖い印象がある。
夫婦喧嘩、兄たちの争う声、本当に嫌だった。
私の中には、相手を怒らせてはいけない。
衝突は悪いことというのが強い信念のようになっている。衝突は悪いものだ。何も解決にならないと思う。
だから、嫌なことがあっても、目の前の人に怒りや嫌な気持ちが出たとしてもポーカーフェイスで何も言わない。
自分の中で感情を処理する。
この感情を説明しても意味がないと思うし、相手にだって何か事情があるんだろうと察して終わる。これに反応するのは、自分のせいだ。これに反応しても意味がない。。。
皆さんの中でもそういう人がいるかもしれない。
1ヶ月前嫌なことがあった。母が大腸ガンになって、半年。
先月末、全ての抗ガン剤の治療を受けて、検査結果と今後の方針を聞いた。 一番上の兄と自分が仕事を休んで一緒に病院へ行った。 父は仕事と言っていたが、実は家にいた。
以前から私には、 父が母と母の病気に向き合わないことに嫌な気持ちがあった。でも、嫌な思いは無視していた。父はこういう人だからしょうがない。
諦めと、父の状況の難しさに同情していた。しかし、怒りがあった。夫として責任を取らないことへの想いがあった。
竹本牧師や遁所牧師に、父に夫としての無責任さをチャレンジするように言われた。本当はやりたくなかった。彼が怒ったらどうしようという思いがあった。
私自身傷つきたくない。彼もしょうがないのではないか? 父をかばう気持ちもあった。
これ以上母との関係が難しくなったらどうしよう?言いたくない。
最終的には、これは自分での確信ではないのではないか?とやらなくていい理由を探した。
私は父に手紙を書こうとしていたが、手が止まったままでした。自分の心に向き合うことをやめていました。
2週間くらい、悩んでいた。3日毎に遁所牧師がリマインドで「真、お父さんへの手紙は書けましたか?いつお父さんに会うのを決めましたか?」しつこく何度も聞いてくれた。
先週の土日に手紙を書き、突然月曜日に会いに行きました。
喫茶店で席について、すぐ切り出そうと思ったけど、出来なかった。その後食事に言って、切り出せなかった。また別の違う落ち着いた店に行って、ようやく切り出せた。
本当は手紙を読むのでなく、口頭で伝えようと思っていたが、勇気がなく、用意した手紙を読んだ。読みながら、手が震え涙が出ました。声も震えた。自分はこんなに臆病だったのかと愕然とした。
父の反応は予想とは違って、怒らず、最後までちゃんと聞いてくれました。しばらくしてこう言ってくれました。
「誠意が伝わった。ちゃんと考えさせてもらう。ありがとう。」
私が正直に思いを伝えることで、怒るよりむしろ喜んでいる様子が伝わって来ました。癒される思いがありました。
ヤコブの聖句が僕自身を支えてくれた。
霊の家族の励まし、祈りにも助けられた。
DPの遁所牧師のしつこいリマインド。
自分だけでは出来なかった。
気づいたこと。
もし父に言えなかったら、今なら客観的に、それは相手と表面的な関係で終わっていたとわかる。
ネガティブな感情を見ずに、相手にも伝えないことは、必要以上に関係を壊す、壁を作る。表面的な関係しか生まない。
父に大変な状況で、息子の自分がチャレンジすることが、実は、愛することだったとわかる。
激しい衝突や摩擦は、その時は嫌なもの。関係を壊す。
けれども、相手にネガティブな感情を隠すことや表面的な感情を続けることも関係を壊す。
神様に対しても同じではないでしょうか。
私がハッとしたのは、自分が神様に対してもネガティブな感情を避け、表面的だったこと。
神様との深い成長の関係を妨げていた。
私たちが喜ぶのを神様は喜ぶ。けれども、悲しみや嘆きを、喜びでごまかすのを神様は喜ばない。
怒り、悲しみ、嘆き、疲れを持って、神様の元に行きましょう。神様の気持ちを信じられないのなら、それを持って、神様の元へ行きましょう。
疲れて何も出来ないなら、それを持って神様の元へ行きましょう。
信頼する兄弟姉妹にやるべきだと言われたことがあったら、やってみましょう。自分の中だけで処理しないで下さい。
ヤコブ4:5-6
神様はあなたを妬むほどに深く愛しておられます。もっと豊かな恵みをあなたに与えたいと願っておられます。
ネガティブな思いを自分の中で処理して、神様と人に頼らないのが傲慢なのはなぜでしょうか? それは、神様に頼らず、自分が正しいという態度だから。自分で出来るという気持ち。
病気なら、医者にかかるのと同じ。 日本人は、我慢してしまう。見て見ないフリをする人をあなたはどう思いますか?
10節には、「主の前にへりくだりなさい。そうすれば主があなたを高めてくださいます。」とある。
神様に痛みを持って正直に近づくのはわがままではない。聖書ではそれをへりくだることだと言っている。
自己解決して我慢することではなく、自分には助けが必要と認めること。
8節では、神様に近づきなさい。そうすれば、私もあなたに向かっていると言われている。
放蕩息子のお父さんのように、あなたが腕をあげることをためらっていても、神様のほうから抱きしめ接吻し、あなたを選び近づいてくださいます。
あなたは、神様が恵みと祝福を与えてくださることが信じられなくて、私と父との関係のように歪んだ神様像を見ていないでしょうか?
クリスチャンの皆さん、罪の勉強をしてここにいる。罪の勉強こそ、本当の自分に向き合うこと。
そこを通ったからこそ、私たちには神様との本当の関係という経験がある。
最近、いつみなさんはそのような経験をしましたか?
ダビデは、サウルやヨナタンが死んだとき泣いた。イエスはラザロの死で泣いた。マリアも泣いた。
ペテロは自分の罪に砕かれて泣いた。
エフェソの弟子は、2度と会うことのないパウロを思って泣いた。
マリアはイエスの墓の前で泣いた。
罪深い女性は泣いてイエスの足元に香油を注いだ。
人が泣いた時、イエスは一緒に泣いた。
聖書には泣く人々がいっぱい出てくる。
イエスが泣いたのですから、私たちも一緒に泣きましょう。
笑いを涙に、喜びを嘆きに変えましょう。
チャレンジしてほしいこと:
- 自分の中の悲しさ、残念さと向き合う時間を持ってください。そしてそれに正直に神様と、信頼する兄弟姉妹に打ち明けてください。
- あなたの十八番シェアに磨きをかけてください。十八番とは、ここぞという時に出す得意なことです。
ブリッツ作戦が始まって多くの新しい友達にシェアする機会が増えた。
仲良くなった後にどう神様が自分に働いてくださって、それがあなたにも働くんだということをシェアすると思う。
家族や友達に神様を知ってほしい、必要としてほしいときに、神様が愛だと心からわかるため、神様の必要性が伝わるために、何をシェアするでしょう?
頭ではわかるけど、心で神様の必要性がわからない時に、あなたの十八番シェアは何でしょう?それは錆びついていないですか?1つ目と同時にやって見てください。
悲しみ、嘆き、泣きましょう。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えましょう。自分の本当の心と向き合い、そして神様に近づいて行きましょう。