ヨハネ14:1-7
イエスが十字架にかかる前の日、最後の晩餐の場面。
色んな思いが絡み合う夜。
イエスは、自分が彼らの元からいなくなることを伝えた。
この中でイエスは、神様を信頼する、イエスを信頼することを伝えた。
イエスを信頼してほしい、それがイエスのメッセージ。
イエスを信じることがどのようなことか今日は深めていきたい。
ポイント1:「分からない」から「分かっている」へ
イエスは興味深い話をする。あなたがたのために場所を用意すると。
天国の話。救いの話。
それを聞いたトマスは、イエスの行き先に対し「分かりません」と話す。
英語の聖書では、「I don’t know.I have no idea.」と書いてある。
イエスは「私は道であり真理である」と返す。素晴らしい御言葉。
それでも、トマスはわかっていなかった。
素晴らしいイエスの言葉があるのにモヤモヤする。会話がかみ合っていないから。
トマスは「私にはわかりません。どうやったらわかるのですか?」と答える。。。
この言葉、スティーブ・ジョブズのような特別なプレゼンで出た言葉じゃない。
会話の中で出た言葉。でも、トマスはわからない。
イエスは「あなたは知っている」と言うのであれば、分かっているはず。
でも、この場面はそれだけでは終わらない。
イエスのたとえ話、興味深い。
ユダヤ人に分かりやすい。結婚式にたとえて話された。
当時、結婚する際は男性が家を建てる。そして、家が完成したらそこで結婚式をしてパーティーをする。
そこまで、イエスは思ってくれている。
イエスは私たちとそこまで共にいたいと思ってくれている。
でも、トマスは分かっていなかった。
イエスが思ってくれていて、愛情表現して、「あなたは私の行き先を知っている」と言ってもトマスは分かっていなかった。
分かっているべきものを分かっていない。
これは私たちの言葉でなんと言うか?…心が硬い。
愛情を持って丁寧に伝えているのに分からない。愛情が伝わらない。
自分の見方しか出来ない人を、頑固な人、心が頑な人と言う。
分かっているはずのことを、分かっていない。
私たちはどうなのでしょうか?心が頑なになっていませんか?
私たちは正しいことを本当は分かっている。
毎週教会に来て、聖書を毎日読んでいるから。
でも、それを素直に受け取れていますか?実行出来ていますか?
ほとんどの人、自分は良くなりたいと思っている。
でも、心が頑なになっていることに気づけない人が多い。
この箇所を読んで「トマス、12使徒なのだからしっかりしろ」、などと言っていると自分の心も頑なになってしまう。
イエスの「わたしは真理であり道である」という言葉が受け取れない。
私たちの教会はもっとイエスの愛を表したい。
頑なな心のままでいること、やめませんか?
聖書をよく読むと、心を頑なにしてはいけない、と書いてある。
心が硬いと成長出来ない、と聖書に書いてある。
今日、私たちは柔らかい心を持つ必要がある。
イエスを心から受け入れる。信頼する。それは心の柔らかい人が出来る。
そのとき、「分からない」から「分かっている」に変わる。
ヨハネ14:8-14
ポイント2:「見えていない」から「見えている」へ
この場面、もう一つ会話があった。
イエスが、自分は神様が見えていることを話すとフィリポが「見せてください」と話す。
イエスは、自分と神様との関係、自分に神様からの力が働いていることを伝えた。
皆さん、この会話をどう感じますか?
モヤモヤする。話がかみ合っていないから。。。
イエスは言った。「私を知っているなら、あなたも神様を知っている。見ている。」
フィリポは言う。「私にも見せてください」
イエスからすると、あなたは神様が見えているはず。でも、フィリポには見えていなかった。
ポイントは何でしょうか?
フィリポ、本当にはイエスが見えていなかった。
イエスは父である神様を現している。
それを見ることがフィリポは出来ていなかった。
私たちはイエスが見えていなかったら、本当にイエスを信頼することは出来ない。
多くの人は本当にイエスを見たい。
イエスがいっているのは、「もう見せている。本当に見ようとしていますか?」
口でイエスを信頼していると言いながら、イエスを見ずに生きることは可能。
私たちもフィリポと同じく、本当のイエスを見ていないかもしれない。
- 教会にはこのような問題があるから
- あの人のせいで自分は良くなれない
- スキーマのせいで自分は出来ない
などの言葉の方が強いなら、イエスの方を見ていないかもしれない。
今日、イエスを見ましょう。
イエスを見ないままでいること、変わりませんか。
私たちの人生から神様の業が現れない。
本当にイエスを見ていますか?
この御言葉は、5年前に私の確信を変えた。
キャンパス担当を打診されたが、正直やりたくなかった。自信がなかったから。
大学生をリードして救っていける、という経験も自信もなかった。
だからやりたくなかった。
大学生のミニストリー、一番早く成長出来るから結果を出さないと、というプレッシャーがあった。
神様と自分でプロセスした。
この聖句にあるように、イエスは自分を通して願いを叶える、と言っている。
イエスは「信じれば与える」と他の聖句にも書いてある。
自分は本当にイエスを信じられるか、考えた。
そこでふと気付いた。本当には、自分はイエスを見ていなかった。
ある日、自分はこれを本当に信じていないと認めざるを得なかった。
色々考えたが、ある日やめた。信じて飛び込もうと。
信頼してやってみた。
5年経った。ユース、ティーンミニストリーにも関わっている。
活躍できる弟子をキャンパスから卒業させた。
フルタイムスタッフになりたい、ミッションに行きたいと夢観る兄弟がいる。
神様は大きな業を成し遂げる。
私はこの4月からシャイニングにも関わる。
家には三人の娘、家の中は動物園。
私は自信がない。毎日圧倒されている。
神様はこのような状況でも、大きなことが出来る。
そのためには自分がこの聖句に大きく変えられる必要がある。
今日、私たちはイエスが見えていますか?
イエスは見えているではなく、まっすぐに信頼していきましょう。
聖書勉強している皆さん、イエスを信頼してください。イエスは人生を変えてくれる。
具体的にどうすれば良いか?
- イエスに倣う
「フィリポとトマス」から「イエス」へ
イエスに従って、イエスに倣う。イエスがいるから神様も働く。イエスのような信仰を持つ、コミットする。
そして、あなたの周りにいるイエスのような人を見倣う
ぜひこれを自分のものにしてください。 - 周りの責任を取る
周りの「フィリポとトマス」を助ける。この教会に合うニーズ。
自分が変わりたい人は多い。あなたの周りも助けが必要。
一人一人が変わること、専門的なスキルがある人の責任ではなく互いの責任。
一人一人が変わりたい、互いに助け合うことによってイエスを見ていきましょう。
イエスを信頼していく教会になっていきましょう。