ヨハネ11:1ー46
ポイント1:辛いときこそ、イエスに頼る
イエスも弟子たちもピリピリしている状況。
そんな中、ラザロの死の知らせが届く。
イエスたちは殺されそうになって、ヨルダン川の東側に避難した。
でも、死んだラザロに会うためにヨルダン川の西側へ。
緊張感の中で更に悲しみがある。
私たちはこのような悲しい状況のとき、どのように反応しますか?
マルタの信仰:ヨハネ11:21-22
マリアとマルタが語った言葉が全く同じ。
残念、後悔、悲しみの感情が背景にある。
ラザロは死んでしまった。でも、イエスが願うならば何でも叶えてくださる、と承知している。
マルタにネガティヴな印象がある人はいませんか?
ルカ10章のおかげで、マルタにはネガティヴなイメージがある。。。
でも、マルタは素晴らしい信仰者。
マリアもマルタも兄弟が亡くなって悲しみがある。
マリアは、外出出来ずに泣き続けている。周りの人も気にして側に居続ける。
そこでイエスは「わたしは復活であり、命である」と言われた。
ヨハネ11:25-26
自分は死をも乗り越えられる力がある、と断言した。
マルタの信仰:ヨハネ11:27
素晴らしい受け答え。
悲しい時にこそ、イエスに頼った。近づいた。イエスに力を与えて貰った。
わたしたちは人を決めつけてはいけない。
死は、人間にとって最も難しいもの。
人間が全く触れられない死をも、イエスは乗り越える。
マリアよりマルタは霊的な対応をした。
マリアは、イエスを出迎える、挨拶する気力がなかった。
みなさんも振り返ってください。
辛かった時、悲劇的なことがあった時、私たちはどのように反応しますか?
私は辛い時の反応がマルタ的ではない、信仰を持てていないと思った。
マルタと全く反対。
皆さんはどうですか?
私たちが真の信仰者であれば、辛い時こそイエスに頼る。
真の成熟した信仰者を目指しましょう。
そのためには、普段から神様に頼ることが大事。
毎日の生活の中で、悲しいこと、大変なことがある。
そのような時もイエスの言葉に戻る習慣を作る。
マルタの信仰:ヨハネ11:27
バプテスマの信仰告白に似ている。
試練の時、信仰が吹っ飛んでしまうことがある。
ぜひ、日々イエスが主であることを覚えてください。
仕事で辛いことがある時、辛いニュースがあった時も。
信仰があっても完全に問題が解決するわけではない。
辛い中にも希望、慰めがあると感じることが大事。
最終的に大事なことは、主がイエスキリストであること。
トマスの忠実さ:ヨハネ11:16
トマスは疑い深い?
トマスはイエスを疑う人、のイメージ。パーティーピープル(場の雰囲気を壊す人)のレッテルが貼られている。。。
トマスがこの場面で恐れていたことは、少し後に現実になる。イエスが捕らえられ殺される。
この場面、イエスについてラザロに会いにいくことは死の可能性がある。
トマスは勇敢・忠実・正直な弟子。死の危険を理解した上でイエスについて行った。
兄弟姉妹は苦難のある様々な場面で、神様に忠実につながっている。尊いこと。
ぜひ、これを続けていきましょう。
様々なところで良い、悪いことはありますが、辛い時にこそイエスに頼りましょう。
ポイント2:泣いてもよい
ヨハネ11:35
聖書の中で最も短い節、
イエスは泣いた。
イエスは涙を流された。
イエスが泣いたのだから、我々も泣いてもいい。
あなたは泣いてはいけないと思っていませんか?教育されませんでしたか?
日本では泣いてはいけない、と教育される。
アメリカでも、泣いてはいけないと教育されてきた。
「泣かないいい子」、という言葉すらある。
イエスの涙への反応:ヨハネ11:36-37
- イエスの愛に感動した人
- イエスを非難した人
盲人は助けられたのにラザロは助けられないのか、などと不快なコメントをする人もいる。
泣く人は、「ごめんなさい」と言う。泣いたからと言って謝る必要はない。イエスですら泣くのだから。
あなたは感情的な人ですか?
かつて、感情的な人は良くない、と教えられてきた。
でも、イエスは感情的になっている。感情的になって良い。
かつて、海外から来たカップルから、「You are very emotional!」と言われた。
悪口と思って、反論してしまった。。。
でも、「あなたは友達作りは上手いか?なら、感情で繋がっている。あなたは感情的じゃないか」、と反論された。
感情的、ポジティブな表現。
「泣く」についての言葉
- 男は泣くな(特に人前で)
- 泣いては馬謖(ばしょく)を斬る⇒全体の規律を守るためには、たとえ愛する者であっても私情を捨て、涙をのんで処分すること。
私は「泣いてはいけない」、と言われ続けて育った。6歳まで、物心ついてから泣いたことはない。
泣いている9歳の兄を叱ったことすらある。
感情抑制がMAX。
イエスの憤り:ヨハネ33、38
「Embrimaomai」:戒める、責める、怒る
日本人、外国で「人前で泣くのはみっともない」、と言われて泣かない文化が出来たかもしれない。
教会の良い文化の中で、感情抑制してイエスに従うというものがある。
日本全体でも、東日本大震災のときに感情抑制してパニックにならなかった。
感情抑制で良い面に出ることもある。
でも、イエスは感情を持った人間。人の感情に影響される。
イエスは正直だった。しかし、最終的に感情に支配されなかった。
憤っても、泣いても、最終的にプロセスして信仰の道を選んだ。
「情緒的に健康な教会を目指して」(スキャゼロ牧師著)という本、オススメ。
「情緒的な健康と霊的な成熟さを引き離すことはできない」スキャゼロ牧師の本中の言葉。
情緒的に不健康でも、教会が成長することがある。頑張れる。一時的に結果が出せる。
でも、いつかどこかでツケが来る。
感情を押し殺して弟子をすることは不健康。
情緒的な健康がなければ、霊的な健康はない。
情緒的に不健全であり、霊的に成熟でない兆候:
- 神を利用して、神から逃げる
- 怒り、悲しみ、恐れの感情を無視する
- 間違ったことを「捨てる」
- 自分の過去の影響を認めない
- 人生を「霊的」「この世的」に分ける
- 神と一緒よりも、神のために行動する
- 摩擦を解決せず、霊的にごまかす
- 弱さ、失敗、傷を隠す
- 制限なく生活する
- 他人の霊的人生を裁く
怒り、悲しみ、恐れなどの感情を無視する
感情を無視することは情緒的な不健全さにつながる。
感情を抑え込んで、爆発するのは破壊的。
なので、泣いてもいい。感情があっていい。正しくプロセスするすべを学びましょう。
そうでないと、成熟しない。
長い弟子でも成熟しない、繋がらない、コネクトできないのはまずい。
すぐ先生みたいな上から目線になる。わかってくれないことに対して怒る。不健全。高慢になる。
高慢さは神様も人も喜ばない。
誰も近づかない。律法的になりやすい。
良い感情もあれば、悪い感情もある。
情緒的に健康になるためには?:
- 感情について話す(ハイ&ロー)
- 感情を受け入れ合う
- 感情を正確に表す(言葉を増やす)
- 脆弱に話す習慣を身につける
- 感情を書き出す(QTノート)
マレーシアの教会が作成していた情緒カード(Feeling Cards)、年末までに日本語で作る予定。
感情の表現についてネットで調べて、感情のボキャブラリーを増やしましょう。
感情の動き、多くの場合は怒りが最初ではない。
最初に仲間はずれ、認められない、と感じて、最終的に怒りになる。
情緒的に健康な弟子=霊的に成熟な弟子
ポイント3:神様を軸にした揺らがない信仰
マルタの信仰が揺らいだ:ヨハネ11:39-40
イエスの揺らがない信仰:ヨハネ11:41-42
イエスは悲しくて泣いたが、信仰を選んだ。
神様は不変の方。感情に従はない。
揺らがない信仰の鍵、「神様は必ず願いを聞きいれてくださる」
これを信じていますか?
今日の説教、「イエスに従い、泣いて悲しむ」
ポイント1:辛いときこそ、イエスに頼る
ポイント2:泣いてもよい
ポイント3:神様を軸にした揺らがない信仰
信仰のアップダウンはあるが、神様は不動の方。
神様から目を離さず、揺らがない信仰を持ちましょう。