『神様の奥義』
スライドはこちらから→20210228 エフェソシリーズ3 神様の奥義
皆様にとってエフェソシリーズはいかがでしょうか?
エフェソの信徒への手紙、とても深くて難しい。
神様の恵み、素晴らしさを掴んでいるパウロの信仰に圧倒される。
難しい状況にあるからこそ、神様の強さがわかる。
我々はものすごい恵みを頂いている。
理解できない、表現できない。
6章が二つの部分に分けられている。
1章−3章が前半、福音の素晴らしさ、霊的な賜物。
4章−6章が後半、福音、賜物を受けたものとしてどのように反応してどのように生きるかを細かく書いている。
4:1で話が変わる。接続詞に「そこで(therefor)」が使われている。
1章−3章で霊的な賜物などを身につけて、4章−6章でどのように生きるかを学ぶ。
先週、竹本牧師はエフェソの2章はダイレクトで説教が難しいと言っていた。
違う意味での難しさが3章にある。
3章に紹介される「神様の奥義」について紹介したい。新共同訳だと「神に秘められたメッセージ」。
エフェソ3:2−6
奥義は「秘められた」、「Mystery」の意味。
ギリシャ語で「must e rion」、秘密、謎、沈黙の意味。
神様はタイミングを送らせて伝えることがある。
福音書の中でイエスは奇跡を起こした後、「誰にもこのことは言わないように」と言うことがある。
イエスは神の子である、と弟子たちはみんなわかっていた。
でも奥義、復活について理解できなかった。
3:6で、「福音により異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり」と書かれている。
イエスからの啓示、神様からのメッセージ。
大切なメッセージを啓示によって受けた使徒パウロがみんなにわかるように書いてくれた。
先週の竹本雄大さんの説教で「敵意の」と言う言葉、隔ての壁がある。
異邦人は、壁の隔てにより入れないところが神殿にあった。
隔てに外国人は入れない。
このコンセプトは根強かった。
ユダヤ人は変えられなかった。受け入れられなかった。
異邦人が神様の恵みによって救われること、旧約聖書のイザヤ49:6に書いてある。
救いのメッセージ、異邦人のためのものでもある。
マタイ28:19
使徒1:8
メッセージに異邦人が含まれるのは明白。
ユダヤ人が中々理解できなかったのは、異邦人が救われること。
神様のメッセージには隔てがない。
このメッセージはユダヤ人にも異邦人にも理解できなかった。
先入観がある中で理解できない。受け入れられない。
神様の愛は全ての隔てをなくす。
私たちには当たり前でも、2000年前は理解し難いメッセージ。
ポイント1:神様を正しく見て、自分を正しく知る
1年前、ジャカルタ教会30年記念礼拝に参加した。
励まされ、圧倒された。
彼らはすごく神様を信じて、賛美している。
神様との関係を喜んでいる。
何が私たちと違うのか?と思った。
なぜ彼らは神様をリアルを感じられるのか?
到達した答えは、彼らは神様を正しく見ているからということ。
エフェソ3:8,18-19
神様は偉大、人知を超えている。
全知全能の方。
祈っても神様はできない、と疑ってしまう。
しかしキリストの富は計り難い。
この説教のため、二週間この聖句を読んだ。
キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがいかほどか考えた。
どのようにキリストの愛を感じられるか。
考えれば考えるほど難しい。
無限な、計り知れない恵み。
これがパウロの信仰の秘訣。
これにより自分を正しく見れるようになった。
測り難い富を与えられている。
パウロは生粋のヘブライ人、ファリサイ派、律法による義を持っていた。
パウロ自身は神様との隔ては一切ない。
キリストの福音の目を通して、全てを見る。
全ての福音の謙虚さを持つ。
パウロ、弟子歴が長くなればなるほど謙虚になっている。
正確に神様の偉大さを知るようになっている。
多くの場合、弟子歴が長くなるに従い感謝が薄れる。
バプテスマの時は感動のあまり、感謝に満ち溢れる。
弟子歴が長くなると「私は頑張っているのに」など自己中心になっていくのが自然。
皆さんは今日、どのように自分を見ていますか?
自分を必要以上に低く見る必要はない。
でも、小さな私たちに恵みが与えられたこと、それをおぼえて動機にしたい。
エフェソ3:13
周りの状況を神様を通して見ることができる。
人間の目で見ると、パウロの状況は大変。
使徒パウロが言うのは、それすらも神様の栄光になること。
神様は異邦人の救いのビジョンを持っている。
もう一つ、大きなことはパウロは自身を「福音に仕える僕」と言っている。
パウロはユダヤ人。イエスを忌み嫌う存在だった。
そこから福音によって救われて、神様の、イエスの、福音の僕となった。
福音の僕になること、時に神様・イエスの僕と違う。私たちは福音によって変えられて、救われた。
でも聖書を学んでも多くの場合、福音を受け入れない。
家族関係が難しくなるなどで、福音を捨てる弟子もいる。
そのようなことが起きた時、どのように感じますか?
福音によって難しくなった時、私の中に「もうやりたくない」などの思いが出る。
パウロは福音の僕として、特権を全て捨てた。
牢屋に入っても彼は異邦人に福音を伝えることをやめなかった。
福音を伝えてあげている、とは言わなかった。
異邦人に福音を伝えていく。福音の僕となる。そのような心を持つ。
相手が福音に反応しなくても、喜んでいく。
自分を正しく知りましょう。
ポイント2:正しく祈る
エフェソ3:14−19
使徒パウロ、牢屋の中で祈ることしかできなかった。
パウロはどのように祈っているか?
自分の祈りとの違いを考えた。
私は「教会を変えてください、コロナがなくなりますように、集まれますように」のように最近祈っている。
教会を変えてくださるように、という祈りが多い。
パウロは状況を祈らない。
「神様の力が与えられるように」と祈る。
霊的な力。よく考えられる、何かに勝利出来る力などではない。
神様を理解する力、神様の御心を掴む力。
これらを得るためには神様に祈りが必要。
少しだけ祈りを変えてみませんか?
勉強する友達も神様の力がどれだけ偉大なものか理解出来るように祈るのはいかがでしょうか?
状況がどうあろうとも、このようなものが与えられるように。
感謝に溢れながらキリストを伝えましょう。
皆さんのためにも祈ります。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さが理解できるように。
一人でも多くの人々に神様が伝えられるように。