『威光に満ちたしもべ』
スライドはこちらから→20200705 マルコシリーズ5 威光に満ちたしもべ
マルコによる福音書8-10章
(マルコの福音書の中間点)
マルコの福音書の概要:
Where 地理的な流れ
1)マルコ1-8:主にガリラヤ地区
2)マルコ9:転換点 べレア
3)マルコ10-11:ユダヤ、エルサレム (十字架・復活・昇天)
When期間
1)マルコ1-9:2年半
2)マルコ10:6か月
3)マルコ11-16:1週間
これまで学んだこと:
Who is Jesus? イエスとは何者か:
イエスは王であり、独り子であり、僕である。
王:
1章:イエスのバプテスマ
独り子:
1-2章:病気を癒す(イエスの権威)
3-4章:病気を癒す、嵐を鎮める
5章:悪霊、死者の復活(いと高き神の子)
7章:5千人を食べさせる、耳・舌を開く(驚きで圧倒)
僕:
10章:しもべの教え(身代金)
14-15章:十字架に架かる
16章:昇天
マルコ8:31-32、9:31-32
2回続けて、イエスは弟子たちに自分が十字架にかかることをはっきり教える。
「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。」
マルコ8:31
弟子たちはイエスの言葉が理解できなかったが、怖くて尋ねられなかった。
ペテロはイエスを戒めてしまう。
転換期。人間は全く異なることを受け入れることがとても難しい。
イエスの『威光に満ちたしもべ』である性質を学んでいきましょう。
ポイント:イエスは、威光に満ちた僕、私たちはしもべ
マルコ9:2-4、6-7
ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけが特別な体験をした。
威光に満ちた真っ白なイエスが現れた。モーセとエリヤと話されていた。
弟子たちにとっては、オールスター。すごいメンバー。
ヨハネの黙示録1:14-17を彷彿とさせる。
ヨハネは、圧倒されて死んだようになった。
第二ペテロ1:16-18
ペテロも何十年後に振り返って、「キリストの威光」「壮厳な栄光」「誉れと栄光」について書いた。
彼ら3人は、神様の声を聴いた。「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。」
英語ではMajestyという言葉が使われるMajestyは王様の位の人にしか使わない言葉。
威光:(ギリシャ語)megaleiote
偉大、栄光magnificence, majesty mighty
弟子たちの勘違いがあったのかもしれない。
このすごい出来事のあと、マルコ9:33-34では弟子たちは自分たちで誰が偉いかを議論し合っていた。
マルコ10:35-37,41
ヤコブとヨハネは、お願いをかなえてもらいたい、イエスが王座につくとき、その左右に座りたいと言った。
他の弟子たちは腹を立てた。
イエスの威光は、弟子たちの思うものとは全く異なるもの。
人間である弟子たちには決して及ばないもの。
この場面では弟子たちの自己中心さが出た。
わたしたちは、人に尊敬されたい、認めてもらいたい、偉くなりたい、
そのような思いがありませんか?
自分はできてる、わかってる、自分はすごい、尊敬されるべきというプライド。
このような心、罪は、仲間に不一致、傷を与える。
神様は、威光ではなく、しもべの心をまねてほしい。
マルコ9:35、10:31、10:43
これがイエスの教え・模範。
43:仕える者 =diakonos、給仕する、牧師、執事、僕
44:僕=doulos 、奴隷
ジム・コリンズ
『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』この本はビジネス書だがわたしは愛読している。
5.不屈の精神/人間としての謙虚さ
わたしはこの箇所を読んで、これはイエスの、神様の性質だと感服した。
人間として両方兼ね備えるのは非常にむずかしい。
この本の中にこのような言葉が出てくる。
「成功したら窓の外を見る(人のおかげ。クリスチャンなら神様)
失敗するときには鏡を見る(自分の責任)」
わたしたちはよく逆をしてしまう。
マルコ10:45
これから数週間、イエスが身代金となる箇所を学んでいく。
仕えられるのではなく→仕える
愛されるのではなく→愛する
承認されるのではなく→承認する
理解されるのではなく→理解する
パラダイムシフト:
自己中心をメタノイアしましょう。
威光に満ちたイエスを崇めながら、わたしたちはしもべの心を持っていきましょう。