『イエスは希望のパン』
東京オリンピックに出場している兄弟姉妹がいます。
ぜひ応援をお願いいたします。
-アリア・アトキンソン(ジャマイカ) 競泳100M平泳ぎ
-ダニエル・ローデン(イギリス)陸上800M
-シドニー・マクローリン(アメリカ)陸上400M障害
-クリスティナ・ノット(フィリピン)陸上200M
日本人も多くのメダル、希望を与えられている。
質問:ヨハネはキリストを(1)として、(2)に向けて書いた
(1)と(2)に当てはまるのは?
A: (1)ユダヤ人の王 (2)ユダヤ人
B: (1)しもべ (2)ローマ人
C: (1)人の子 (2)ギリシア人
D: (1)神の子 (2)全世界の人
正解:D
神の子、全世界の人に伝えるために書いたと言われている。
日本人も含めて、キリストを正しく見るためになる福音書。
私たちにとってイエスが希望。
イエスの視点で見ましょう。
ヨハネ6:3-11
唯一、全ての福音書に残されているしるし。
5000人にパンを与えること、とても不可能。
弟子の宣教旅行の後、洗礼者ヨハネの死があり、5千人にパンを与える。
今の私たちの状況と似ている。
グッドニュースよりも日々の状況に振り回される。
希望を持ち続けるのは難しい。
どんな状況でも、キリストには希望を見出せる。
ポイント:人が見るようには見ない
どこでパンを買えば良いか?
イエスが弟子に質問した。
弟子は「人々を解散させてください、それぞれ食事を準備させましょう」(マルコ6:36)と答えた。
弟子とイエスの考えに大きな隔たりがある。
弟子たちはイエスの考えにピンと来ていない。
イエスが神の業を行える方と弟子は信じていたはずだが、弟子たちはイエスに期待していないように感じる。
弟子たちは、彼らの見方で思い込んでしまっていた。
日本代表が、フェンシング男子エペ団体で金メダルを獲得した。
想定外。キング・オブ・フェンシングの競技。優勝が最も難しい。
日本は世界8位だが、3連覇中のフランスを破り、その勢いで自国より上位チームに勝って優勝した。
競技で初めて獲得したメダルが金メダル。
誰も予想しない状況。解説も号泣。
2013年、オレクサンドル・ゴルバチュクコーチが就任。
8年間、「君たちは勝てる」と信じ続けて選手を鍛え続けた。
選手も練習に打ち込んだ。
一人の全く見方が違うコーチのおかげで、奇跡が起きた。
パンを与える場面に戻りましょう。
フィリポ「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」
現実的な見方で決めつけて、やる前から諦めた。買いにも行かなかった。
アンデレ「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
奇跡の素材はあるのに、ちっぽけで役に立たないと思って諦めてしまった。
これらは2つとも神様のしるしを様たげる罪によるもの。自己中心。
この場面に至るまで、弟子の宣教旅行があり、そして洗礼者ヨハネの死が会った。
この状況にイエスはどう対処した?
イエスは祈りに行く時間を持った。
マタイ14:13
イエスにとって、バプテスマのヨハネの死、とても悲しく辛い状況だった。
イエスにとって親戚、福音を伝える仲間。
十字架の死を近くに感じたかもしれない。
その時、神様に立ち返る時間を持った。
私たちにも上手く行かない事がたくさん起きると思う。
その場に留まりたいと思ってしまう。当たり前。
そのような時こそ、イエスを見て、神様にもしるしにも目を向けていきたい。
特別に神様と過ごす時間が必要かもしれない。
神様と過ごしたイエスは、再び福音を伝えることにフォーカスした。
私がいるから大丈夫、一緒にやると弟子たちを信じた。
大きなものは必要ない。
イエスには5つのパンと2匹の魚で十分だった。
イエスは人々に奇跡のパンと魚を与えた。
そして、私たちにも奇跡が可能であるとイエスは信じてくださっている。
私たちのパンや魚を待ち望んでいる人々がいるはず。
今日、不信仰を完全に捨て去りましょう。
イエスは私たちが見るようには見ない。
難しい状況は、神様の奇跡のチャンスに変わる。
最近、ユースミニストリーで直接会えないことの難しさに直面している。
毎週一回のオンラインだけではつながることは難しい。
反面、学校の友達には毎日会う。
学校の友達の方が、教会の友達よりいいと考えてしまう。
メンターについて説明しても必要ない、教会に知っている人がほとんどいないと答えが返ってくる。
何をすれば良いかわからなくなった。
八方塞がりの状況。
この夏、恒例の本栖湖に行くことになっている。
不安、恐れがあった。
この状況をひっくり返さないといけないという焦りがあった。
たった三日間で何もできるわけがない、そのような決めつけがあった。
不信仰があった。
7月初めのスタッフリトリート、湖の前で罪を明らかにして祈ることから始まり、同じように湖の前で祈って終わった。
自分がこの状況をどう見ているかではなく、神様がどのように働いてくださるかを覚えて祈った。
10年前のことを考えた。
10年前、私は教会に来ていない。
でも、兄弟姉妹がイエスのパンを与えてくださった。
今から10年間、私たちは誰に希望のパンを与えるか?
神様の見方を思い、心が変えられた。
私の見方などちっぽけなもの。
2年前のユースキャンプのまとめのビデオを見て、心が変えられた。
神様の働きを思い出した。
神様からの希望を持つ事ができた。
不信仰を捨て去ることを決めた
子供たちを見る目も変えられ続けている。
イエスは彼らの罪のためにも十字架にかかってくださった。
イエスは誰よりも今の状況に忍耐している。
私も心を新たにして、キャンプに行こうと思う。
ビデオには当時は救われていない子供たちも映っている。
今は救われていて、イエスの素晴らしさを伝えると張り切っている。
2年前には想像もしていなかったこと。
今後、誰がどうなるだろうと楽しみになっている。
諦めずにトライしてきましょう。
1コリ9:24-25
今日私たちは神様から選ばれた選手。
ゴールまでの道のりは簡単ではなく、遠い。
ゴールまで至る過程で何度も失敗、諦めたくなると思う。
そんな時、私たちはキリストを見上げましょう。
何度でも何度でも見上げましょう。
イエスこそ、自分に定められた人生を歩み、十字架という神様の御心を成し遂げられた方だから。
イエスが十字架にかかってくださったことは、私たちに永遠の命という金メダルを与えるため。
今はまだ私たちには見えないかもしれない。
最後まで走り抜いた時、イエスは最高の賞をくださる。
イエスは「あなたは忠実な僕、よくやった」と言ってくださる。
私たちに朽ちない冠を被せてくださる
だから決して諦めず、希望を持ち続けましょう
一緒に信仰のレースを走り抜きましょう。