『ダビデシリーズ:主は羊飼い』
スライドはこちらから→20210509 ダビデシリーズ1 主は羊飼い①
本日からダビデシリーズが始まります。ダビデの人生から学びましょう。
旧約聖書のダビデ王は、優れた指導者、才能に満ちた王、アーティスト、何よりも神様を愛した人。
来週はインドネシアのブディ牧師が説教してくれます。
シリーズのテーマ聖句:Iサムエル記13:14
新共同訳:主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として建てられる。
新改訳:主はご自分の心にかなう人を求め
NIV:A man after God’s own heart
ダビデの神様の見方、神様との関係を共に学びましょう。
神様を正しく見る View of God
自分を正しく見る View of Self
他人を正しく見る Views of Others
神様は完ぺきで間違いのない方。
しかしわたしたちはゆがんだレンズで間違った神様の見方をしているかもしれない。
『羊飼いが見た詩篇23編』 フィリップ・ケラー著より:
「わたしたちのキリストの見方はしばしばあまりに小さく-あまりに狭く-あまりに片寄り、あまりにも人中心である。
もし私たちがとどまってキリストがどのようなお方かについて思いめぐらすなら、わたしたちもダビデのように喜んで、誇らしげに「主こそ私の羊飼いだ」ということになろう。」
1サムエル16:7
人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。
神様は心で見る方。
主はわたしの羊飼い
Iサムエル16:11
このとき彼は羊飼いだった。末っ子として最も大変で地味な仕事をしていた。
羊飼いは危険であり、それでも栄光はなかった。兄たちは戦争に出ていた。
この孤独な日々、ダビデは主とともにあり、主を賛美していた。
神様から、よい羊飼いになるにはどのようにしたらよいかを学んだ。
わたしたちは、羊のよう。お互いをケアする羊飼いになる必要がある。
①主はわたしの羊飼い
羊のアイデンティティーは、誰によって飼われているかにある。
羊たちは耳に印が刻み付けてある。
そのユニークな印によって、誰のものなのかがわかる。
一匹ずつ異なるが、すべて同じ印を持っている。
2千年前なら、ナイフで耳に傷つけてアイデンティティーがつけられたことだろう。
コロナ禍にあって、あなたは孤独ですか?
主にあって、羊飼いにあって安心していますか?
エフェソ1:13
神様はわたしたちの自分の目では見えない印をつけてくださった。
霊的なものとしてつけられている。
バプテスマをうけたとき、わたしたちは大切な信仰告白をした。
そのときから、わたしたちは「主のもの」となった。
役割、役職、収入、賜物、SNSのフォロワー数はわたしたちのアイデンティティーではない。
主のものであることがわたしたちのアイデンティティー。
詩編23:2
羊が横たわることはめずらしいとケラーさんは書いている。
羊は4つの条件が満たされないと安心して横たわらない。
1.安心している
2.群れの中で摩擦がない
3.蠅や寄生虫の苦しみがない
4.飢えていない(おなかがいっぱい)
現代人のわたしたちも忙しい。
なかなか安心できていないかもしれない。
わたしたちは今日、神様をどのように見ていますか?
ときどき、神様が結果を求める方で、罪にがっかりしてイライラしていると勘違いしてしまう。
それは聖書的な神様ではない。
羊飼いの神様。ケアして栄養と安心を与えてくださる方。
詩編23:4
羊は弱い。足も遅い。
谷には水がある。
しかし動物に襲われる危険がある。
神様である羊飼いがいれば安心。
神様は遠くから見下ろすのではなく、共に歩んでくださる。
杖の役割として、羊を数えるというものがある。
また危険な動物を追い払ってくれる。
1サムエル17:34-35
しかしダビデはサウルに言った。「あなたの僕は父の羊を飼う者です。ライオンや熊が出て来て、群れの中から羊を奪うこともあります。
その時は追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。
僕はライオンも熊も打ち殺してきました。ですから、あの無割礼のペリシテ人もあの獣のようにしてみせます。生ける神の戦列を嘲笑ったのですから。」
ダビデは優れた牧者だった。
詩編23:5
当時の中東の文化では頭に油を注がれた方にはなにがあっても守られた。
たとえ敵が来ても。
わたしたちにも聖霊が注がれている。
神様が危険なものから守られている。安心して食事ができるようになっている。
溢れる杯。宴会では主人がゲストにあふれるように葡萄酒を注ぐ。
もしそうでなければ、宴会が解散という意味。
溢れる杯を用意してくださるほど、神様はあなたといっしょにいることが大好き。
詩編23:6
神様は慈しみと恵みに溢れる方。
神様に見倣うとき、わたしたちは神様のように慈しみある人に変わるメタノイアがある。
多くの場合、自分フォーカスすると、自分の弱さや過去をみてしまう。
しかし、真のメタノイアは、神様の素晴らしさをみて変わること。
②主は良い羊飼い
ヨハネによる福音書10:11-14
ダビデはイエス・キリストの先祖。
ダビデがイエスの予知(Foreshadow)、影。
前もってイエスを暗示している存在。
雇人の羊飼いはめんどうなことはやらない。
危なくなったら逃げる。
傷つくのはいや。
しかしそれは神様の心ではない。
羊飼いは命を捨てるほど羊を愛している。
イエス・キリストは十字架にかかるほど、命を捨てるほど、わたしたちを愛した。
ヨハネによる福音書10:15-16
イエスは囲いに入っていない羊をも愛している。
わたしたちは自分がみるように隣人をみる。
好きな人、苦手な人など。
しかしイエスの愛し方はどうか?
周りを見た時に、わたしたちも神様が見るように隣人を愛しましょう。憐れみの心で。
なぜなら、わたしたちは羊飼いに大切に愛されている羊だから。
もしかしたら、あなたは守ってほしいときに守れずに生きてきたかもしれない。
でも神様は決してあなたを見捨てることはない。
共に歩んで守って愛してくださる方。
不安が続く中で、このことを覚えていきましょう。
詩編23:6
命あるかぎり、恵みと慈しみはわたしを追う。
主はわたしたちの羊飼い。