『いと高き神の子』
スライドはこちらから→20200621 マルコシリーズ3 いと高き神の子
本日は父の日。
天のお父さんである神様を共に賛美する礼拝を持ちましょう。
マルコによる福音書5:1-10
イエスと弟子たちがゲラサ地方に行った。
墓場に住んでいる汚れた霊に取りつかれた人がやってきた。
悪霊はイエスを『いと高き神の子』と呼んだ。
今日、わたしたちはイエスを『いと高き神の子』と呼んでいるか?
どのようにイエスを捉えているか、一緒に考えたい。
このゲラサの地の人は服を着ていない、墓場に住んでいて、自分自身を傷つけていた。
昼も夜も大声で泣き叫び続けた。社会から隔離されていた。
悪霊に取りつかれていることで、周りの人も誰も助けることができなかった。
わたしたちは、深刻なことがあっても、よくなる希望や、助けてもらう見込みがあれば安心できるが、彼は違った。
足枷や鎖をつけても、引きちぎってしまう。
悪霊は強力だった。人生はぼろぼろ。どれほど苦しみを与えられたか。
でもその中で、悪霊は、『いと高き神の子』と言った。
それは本来、難しいことではないだろうか。
私たちが弟子生活を送る上で、どのように助けられていいか、助ければいいかわからないことがある。
しかし、悪霊が『いと高き神の子』と呼ぶことはどのようなことなのか。
『後生だからかかわらないでくれ。』ここで関わられたら終わり、お願いだからやめて。プリーズ。
悪霊はこれだけ強かったのに、イエスを見て一変した。
自分なら、これだけ強かったら、イエスに戦いを挑んだかもしれない。
しかし、悪霊は『いと高き神の子』と言って懇願する姿勢があった。
『いと高き神』Most High God(英語) hypsisto(ギリシャ語) ‘el elyown(ヘブライ語)
詩編89:28
わたしは彼を長子とし、地の諸王の中で最も高い位につける。
イエスを暗示する聖句に使われている。全知全能の神を表す。
今日、わたしたちと共にいてくださるのはこれほど力強くいと高い神。
これほどのスケールの神様を捉えるのが、わたしたちには難しいかもしれない。
目の前の問題にフォーカスしてしまう。
『いと高き神』は、人間を支配していた悪霊を一瞬でひれ伏せさせ、懇願させる。
次元が全く違う。神様からみたら、悪霊はちっぽけな存在かもしれない。
この圧倒的なスケールの神様を思うと、思い出す過去がある。
わたしは空手を7年間やっていた。全日本大会に一度出た。
日本大会なのに、あきらかに体格が違うロシア人選手が出てきたりする。
1回戦、私は体格が同じような選手と戦って敗れた。
対戦相手は、190㎝のロシア人選手と戦って一瞬で敗れた。
3回戦、日本を背負っていくような選手がロシア人選手に敗れた。
これは全日本といいながら、世界レベルの大会だと思った。
世界レベルは次元が全く違う。
圧倒的な差があるとき、わたしたちはどう捉えていいかすらわからない。
『いと高き神』にとって、人間も悪霊もささいなものなのかもしれない。
『いと高き神』はどれほど偉大で力強く素晴らしい方か。
マルコ4章、5章のイエス:4章で突風をしずめ、5章で悪霊を追い出す、誰にも癒せなかった病をいやす。
一度亡くなった幼い娘を生き返らせる。
自然、悪霊、病、死よりも圧倒的だったイエス。
イエスにひれ伏した悪霊の名前はレギオン、レギオンは当時ローマ帝国の軍隊6000人の隊の名前だった。
当時最強だったローマ軍も、イエスにひれ伏していく。
この力強いイエスがいたら、わたしたちの直面している難しい問題はささいなこと。
わたしたちはこの『いと高き神の子』イエスをみていく必要がある。
どのようにしたら、問題に直面したとき『いと高き神の子』をみていけるか?
わたしたちは神様への態度をこの聖句から学ぶことができる。
わたしたちはゲラサの人のようにイエスの前に走り寄ってひれ伏す必要がある。
大声で懇願していく態度。彼に神様が働いた。
今日、わたしたちにこの態度が必要。
わたしたちは十分に心が整っていないと、完璧な信仰がないと、神様は働かれないと思ってしまっているかもしれない。
そのような思いが神様を見ることを邪魔しているかもしれない。
今日わたしたちは、心が整っていないとしても、『いと高き神の子』であるイエスを見ていきましょう。
いま大学生の子が聖書を勉強している。
彼は人の目を気にしている。
うまくできないのではないかと思うと行動できない。
悪霊に取りつかれているのではと思うほど、自分を責めてしまう。
わたしたちはあらゆることをして助けようとしたが、むずかしかった。
彼はゲラサの人のようだったかもしれない。
しかしそれでも、彼はイエスに近づいていく心があった。
イエスにひれ伏して賛美していく心があった。
彼は少しづつ、『いと高き神の子』をみていった。
不安はあるけど、神様がいてくださるから大丈夫。
飛び込んでいく勇気を持てるようになった。
先日彼は、クリスチャンになりたいことを両親に伝える決心をした。
一番伝えるのが難しい相手。
親は受け入れたわけではなかったが、彼は固い決心をした。
恐れを乗り越えた。それにより、『いと高き神の子』をより賛美している。
今日改めて、『いと高き神』をみることができていますか?
問題があったとしても、神様の圧倒的な存在を賛美していますか?
神様にひれ伏していく態度がありますか?
それとも問題にフォーカスしているでしょうか。
自己憐憫になって、自分を傷つけたり、罪に妥協する必要はない。
今日あなたが大きいと感じてしまう問題、罪は何ですか?
わたしたちはときどき、このゲラサの人のように自分を傷つけ、ぐじゃぐじゃになるときがあります。
今日、『いと高き神』をみていきましょう。
神様は共にあってくださいます。
共に兄弟姉妹で助け合い、『いと高き神』をみていきましょう。
近づいてひれ伏していきましょう。