『神様は想像を越える』
スライドはこちらから→20200524 使徒シリーズ6 神様は想像を超える
使徒言行録のQTシリーズと並行して、今日はパウロの第三回宣教旅行に入っていきます。
しかし三回目の宣教旅行の詳細はそこまで描かれていません。
使徒19:10-11
今回改めてこの聖句は本当にすごい話だなと思った。
私は心を新たにされ、希望を持っている。
パウロが関わっていないのに、エフェソという異教徒の地でありえない奇跡があった。
使徒19:13-20
私はこの聖句を初めはこのように解釈していました。
この事件を知って、信仰に入った人たちが悪行、つまり魔術やオカルトの罪を告白したのでは?
しかし、解説書を多く読むと、これは新しい弟子ではなく、実はパウロがいた間に既に救われていた弟子たちの中にも魔術などをしていた人が大勢いた、ということだそう。
弟子たちですら魔術の類をやめることができていなかった。
生活に困っていた?
周りがやっていた?
習慣になっていた?
正確にはわからない。
ポイント:神様の働きを制限しない
でも、あまりにも根深いから、取り除けなくなっている。
あまりにも慣れているから、罪とすら思わなくなっていた。
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今日、私たちもエフェソの人のようかもしれません。
慣れ親しんで、根付いていて、なかなか取り去れない問題があるのではないでしょうか?
最近、ストライダーというものを街中でよく見かけます。
これは従来の自転車に乗るための常識を覆しました。
今までは子供が自転車に乗れるようになるために補助輪をつけていました。
多くの人はこれでお父さんと練習したんじゃないでしょうか。
押して押して押して、離して、途中で転んで、「さっきより長かった、もう一回」と。
私もそうやって擦り傷とアザを作りながら乗れるようになりました。
ストライダーは、人類に深く根付いている補助輪に疑問を投げかけました。
実は、補助輪があることで、子供が自転車に乗るのに必要なバランス感覚などを身につけ るのを妨げているのではないか?
ストライダーは、自分の足で地面を蹴りながらバランスをとって行きます。
そのバランス感覚を身につけ、あとは自転車に乗ったときに、足をペダルに乗せるだけ。
なんと、ストライダーのおかげで3歳4歳の子が普通に自転車に乗れるようになります。
自転車に乗れるための補助輪なのに、実際は乗るための妨げになっていた。
補助輪=自転車に乗れるようになるための道具、という誰もが知っている考えがストライ ダーによって崩された。
親視点のデメリットは持ち運びが面倒臭いのと、値段が高いこと。
エフェソにとって、魔術は補助輪みたいなものだったのかもしれない。
彼らはギリシア文化に慣れていたので、 実際には神様を主とする生き方から遠ざかることになっていた。
パウロはおそらくこのエフェソの根深い問題に気づいていたのでしょう。
エフェソの手紙を読むと、以前は、今や、古い、新しい、捨て、という対比表現が多い。
エフェソ2:1-3
パウロはエフェソを離れて何年も経ってからも、続けて彼らに警告する必要がありました。
神様は、どのようにして、誰を用いて、この問題を解決したのでしょうか?
パウロを通して大きな奇跡があったのでしょうか?
パウロが彼らの罪をチャレンジしたのでしょうか?
NOでした。
スケワの七人の息子、彼らは、弟子ではない、信仰のない人、むしろ、イエスの名を冒涜する人、敵だった。
悪霊が彼らにいきなり襲いかかってきた。
彼らは裸にされて、傷つけられて、英語だと血まみれになったという表現(bleeding)。
こんな敵のような人たちを通して、悪霊すらも通して、神様は働いた。
あまりにも衝撃的で私は信じられない!
エフェソの人たちはこの事件にどのように反応したのか?
使徒19:17-20
これを目撃した人たちは、皆、恐れを抱き、イエスの名をあがめた。
心の目が開かれ、罪を告白して、メタノイアした。
魔術の根源だった書物を焼き捨てることで、根深かった問題を一気に解決した。
そして、ますます御言葉が広まっていった。
私はこの聖句に心を大きく動かされている。
私自身がいかに神様の働きを制限してしまっているか。
いかに神様を制限することに慣れ親しんでしまっているか。
自分の働きによって、神様が働くかが決まるという思いが強い。
しかし、今日私は純粋にこのように働く神様を見たい、味わいたい。
聖書の正しい神様は、敵でも、悪霊でも、何でも通して働く方なので、希望を持てる。
信仰を私の働きではなくて、神様に置くことができる。
エフェソの聖句は本当に力強い
エフェソ4:6
私たちはこのような大きな神様を見られていますか?
自分の間違った見方で神様を制限していませんか?
どんなに難しい問題があっても、神様は働来ます。
私たちは目を開いて、本当の神様を見ましょう。
神様を制限するのをやめましょう。
INSPIRATION:ヤングティーン
最初は、純粋に「ヤングティーンクラス、大丈夫かな」と気にかける思いがあった。
思春期真っ只中で、ビデオ通話だし、受験が終わって久しぶりに入る人もいるし、
「なんとかなるようにしないと」
「ティーンのディボにもきている人をもっと育てないと」
そのように私は力んでいました。
しかし、彼らは確実に成長していて、一人一人がクラスを作り上げています。
今はヤングティーンの弟子がヤングティーンの人と聖書勉強をして神様を伝えています。
大人がいない方が緊張せずに正直に話せ、共感できることもあります。
聖書勉強中の子が勉強をしていない子を inspire して、聖書勉強に誘ったりします。
ある子は、大人から誘うと嫌がるけど、子供同士ならいいよ、と聖書勉強セットアップしました。
彼の感想は、想像と違った、イエスに共感できた、これなら自分も勉強できるかもしれないという反応だった。
彼らは教えるスキルもない、経験もない。
まして、まだ弟子ではない。
彼らの人生に入って行くと、学校、家族、キャラクターの面で課題もまだまだある。
しかし、彼らは、彼らのベストで神様に用いられている ワーカーが子供を一番助けられる、助けるべき、と思い込んでいた。
自分の見方が大きくて、神様を制限してしまっていました。どうすれば私たちは神様の働きを制限しなくなるのか?
使徒19:17
恐れ・畏れ
この衝撃的な事件を目撃して、彼らの一番の反応は、恐れを抱きました。
エフェソはここから心を変えられて、神様をみて恐れる文化ができました。
神様を恐れたから、告白して、今まで取りされなかった問題を完全に捨てられました。
私たちは彼らのような健全な恐れを神様に持っているのでしょうか?
健全な権威には健全な恐れを持つ必要がある。
エフェソの手紙にはキリストの権威と恐れによって従うことについて多く書かれています。
エフェソ1:20-22
イエスが全てを治めているということ。
キリストが私たちに従うのではなくて、私たちがキリストに従います。
もし私たちが神様とその権威を勝手に制限するなら、それは神様を恐れていません。
物事の判断や決定において、神様より自分の方が大きかったら、神様を恐れていません。
是非、小グループで、職場で、学校で、家庭で、神様を畏れる生活を送りましょう。
エフェソの教会のように、神様を畏れる者として、知られる人、教会になりましょう。
健全な恐れを持つ時に、全てを支配しておられる神様が働きます。
私たちは想像を超える神様の働きに加わることができる。
神様を恐れ、神様の働きを制限するのをやめましょう。
そうすれば、日本でも人々は恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられます。
タイトル:神様は想像を越える
ポイント:神様の働きを制限しない
でした。