『祈りに導かれる教会』
スライドはこちらから→20200419 使徒シリーズ1 祈りに導かれる教会
ルカ24:48
先週の大阪教会の説教でも出てきた聖句。
この聖句でルカによる福音書は終わる。
使徒2:32
使徒ペトロの最初の説教で語られた。
使徒言行録では、イエスの復活の証人となった弟子たちの生き生きとした姿が描かれている。
この1ヶ月半、共に学べることを楽しみにしている。
コロナウィルスにより様々な困難、先の見えない状況であったとしても使徒たちからインスパイアされる。
この状況も通して神様に近づけること、神様の栄光になること楽しみにしている。
使徒言行録を最初から読んでいくと、聖霊の働きが見える。
使徒言行録は聖霊の働きの書とも言われる。
ここで登場する弟子たちは常に祈っていた。
神様の働きがあるところには祈りがある。
使徒4章、初代教会の祈りが具体的に書かれた箇所。
今、私たちにも祈りが必要。祈りしかないと感じている。
教会以外の場所でこれほど祈りという言葉を聞いたことがない。
普段祈らない人も祈っている。
使徒4:23−31
皆さんこの箇所を読んでどのように感じますか?
物事が上手く行った時に必ず起きることは、難しいこと、困難。
ペテロたちがイエスのことを人々に伝えていると捕らえられた。
二度とイエスのことを宣べ伝えるな、これ以上伝えるともっと酷い事になると脅されて釈放された。
無事に帰ってこれたが、大変な状況。
イエスの弟子たちの初めての迫害。
教会が潰されてなくなってもおかしくない。
5章でも捕まる。
勢い良く教会をスタート出来たが、どうなるかわからない。
ポイント1:本当の神様を見る
ペトロとヨハネ、帰って来て全てを律儀に報告した。
社会の圧力がかかる中、わたしたちだったらどう過ごしますか?
使徒たちは祈りで反応した。
使徒4:23
彼らはまず、人の問題や人の言葉ではなく神様を見た。
最も大切なポイントは、彼らがどのような神様を見ていたか。
彼らは「主よ」という。
普段はギリシャ語で「Kurios(主人)」という言葉を使っている。
ここでは「Despota(王)」という言葉を使った。
彼らは神様を自分の王様と呼んでいた。
神様が王様で、自分たちは僕。
彼らは王様として神様を捉えていた。
使徒4:25−26
詩編2章からの引用。
暗示/ほめのかし(hinting)はユダヤ人がよく使う手法。
現代のユダヤ人も旧約聖書に詳しいので、引用することが多い。
1箇所だけ引用して、書かれている全部を話さない。
だからその前後を読まないと本当に言いたいことはわからない。
旧約聖書を知らないと言いたいことがわからない。
ここで詩編2章から引用することはどのような意味があるでしょうか?
詩編2章は神様が王様であるという詩編。
彼らは迫害の現実を見ながらも、神様が王様であることにこだわり続けた。
彼らは王である神様に従う。
基準になるのは神様。
本当の神様を見た上で、現実を見ていた。
今日、私たちはどのような神様を見ていますか?
私たちの判断基準になっているものが本当の神様になってしまう。
自分の行動を自分で決めている、と思うなら自分が神様になっている。
あなたの王様である神様は、自分の力が及ばない状況の中で働いてくれる。
難しい病気、家族の問題など、難しい状況でも神様は神様であり続けますか?
先週、イースター礼拝だった。
ここ数年、家族で取り組んでいることがある。
羊の肉をイースターの際に過越祭のディナーとして食べる。
イエスも十字架に架かる前、過越祭をお祝いした。
聖餐式の起源にもなっている。
2年前に過越祭について学んで励まされたので、毎年やることにした。
過越祭の際にユダヤ人の人たちは、父親が子供たちにイスラエルの民が神様によって奴隷から救われたことを説明している。
私もその説明と、どのようにして自分や妻が神様に救われたか子供たちに分かち合っている。
私は20年前初めて教会に来た。
正しいものを求めていた。
社会に対して反発、虚しさがあった。
しかし、自分の中に正しいことの基準がなかった。
神様が信頼に値する存在と理解出来て、クリスチャンになった。
子供に正直に自分の罪などを分かち合った。
神様凄い、と子供たちは反応してくれた。
この20年、人の力ではどうにもならないことに何度もぶつかった。
しかしどんな時も神様、イエスは基準であり、従うべき存在だった。
20年のうちに多くのものが与えられた。
ハッとした。
神様は私にとって素晴らしい王様のような存在。
とても感謝している。
王様という神様の側面を子供、他の人にも伝えていきたい。
使徒シリーズの始め、私たちも証人になりたいと思った。
聖書に見える神様像、どんな王様がいたとしても神様は王で、基準であり続けた。
祈りは王様である神様を見続けること。
ぜひ今日、あなたの神様、従っているものを吟味してください。
どんな時も変わらない神様を求めてください。
具体的実践1:
ユダヤ人は毎日祈りを「主に祝福あれ、万物の王(King Of Universe)」という言葉から始めている。
毎日この祈りを繰り返し、神様が王であることを思い起こしましょう。
そうするだけでも意識が変わります。
一緒に王であるイエスを見続けましょう
ポイント2:大胆に願って、大胆に立ち上がる
祈りの内容を改めてみましょう。
使徒4:29−30
祈りの最後に彼らはリクエストした。
迫害が止むようには祈らなかった。
自分たちが大胆になれるように祈った。
この祈りについてどう感じますか?
あなたは最近このような祈りが出来ていますか?
自分はこのように祈れていない。
彼らは大胆に、確信からいのっている。
神様に対して、あなたは王なんだから私たちを見てください、手を伸ばしてくださいと祈っている。
強い信頼、純粋さをかんじる。
この祈りは何か?
最近見たことがある。
4歳の娘が保育園も休みになり家にいる。
家のなかで私が王のような存在であると分かっている。
だが、リクエストしてくる。「お昼遊んで」「テレビ観たい」
お昼休みに遊んであげると約束している。
我が家では午前中はテレビを禁止しているので、観せられない。
それなのに何度も聞いてくる。。。
従うところは従わないといけないが、大胆に聞いてくる。
使徒たちの祈りと似ている。
純粋な信頼から来ているお願い。
与える王様だと確信しているから、大胆に祈って立ち上がれる。
私は改めて刺さった。空気を読んでいる祈りしかできない。
皆さんの祈りはどうですか?
教会の自粛が始まってから2ヶ月、忠実に仕えてくれている。
周りの兄弟姉妹を愛して助け合い、工夫して福音を伝え続けている。
でも、大胆な心で今出来ることをしているでしょうか?
私たちは神様に願い、大胆に祈りましょう。
最近作成されたビデオ、弟子としての心を伝えてくれているものがある。とても励まされる。
自分の態度を考えさせられる動画。
使徒言行録4章の初代教会の反応こそ、教会の反応。
神様の栄光にもっと目を注ぎましょう。
大胆なお願いを神様にしてください。
具体的実践2:
・今週大胆なお願いをする
・それが実現されるために具体的な行動をする