『忠実な僕となろう』
夏の報告: インドネシアのバリでキャンパスのカンファレンスがあった。
その前にジャカルタの教会の礼拝にも参加した。
次の週に仙台に初めて行った。
次の週にブートキャンプ。
東京と大阪の男子で行われた。
どこにいても御国は素晴らしいと感じた。
弟子として神様に仕えるのは最高。
ルカ12:41-48
今日わたしはこの聖句にインスパイアされる。
神様の強い思いを感じる。
イエスが例え話をしている場面。
この聖句の前に、イエスは神の子が来ること、いつでも準備しておくことと話された。
ペテロは、ここで質問した。
このたとえはわたしたちのためか、みんなのためか?
しかしイエスは答えず、また違う例え話をされた。
皆さんはこの聖句をどのように感じますか?
わたしは、この悪い僕のようにはなりたくないと思う。嫌だな。ちゃんと生きなきゃと。
元々は忠実で賢かった管理人が、僕に暴力を振るうことになってしまう。
初めは良い心だったのに、悪い心になってしまう。
そのようなことはわたしたちにもあるのではないでしょうか?
ポイント1:神様は信頼して委ねる。
神様はわたしたちに信頼して委ねられる。
管理人は、主人から全財産を預けられるほど素晴らしく、信頼されていた。
しかし彼は、自分のために飲み食いし、酔っ払い、僕たちに暴力をふるってしまうように変わった。
主人の帰りが遅いと思うと、変わってしまった。
仕えるのでなく、自分のことばかりしてしまうようになった。
詳しくは書いていない。
もしかしたら、管理人は強い責任感があったかもしれない。
でも、主人が居なくなってことで、責任感から逃れてしまったかもしれない。
もしかしたら、管理人は孤独を感じていたかもしれない。
主人に不平不満があったかもしれない。
管理人は、主人の帰りが遅いことで、少しずつ心が変わってしまった。
今日皆さんの心はどうでしょうか?
仕える心はどうでしょうか?
もしかしたら不平不満があって、仕える事をしなくなったかもしれない。
わたしは、自分の心に変化があるのを感じた。
夢が小さくなっていた。
バプテスマを受けて5年。
最初のうちは、地方教会へのミッション、家族の救い、出会った人々のバプテスマ、47都道府県全てに教会を建てる、渋谷駅のスクランブル交差点で全てが弟子など思い描いていた。
しかし、離れた兄弟がいた。
聖書勉強をやめた友達がいた。
日々が忙しく過ぎてしまった。
どこまでも夢は夢なのでは?と信仰を失っていってしまった。
しかし、今日もう一度思い出したい。
選ばれた僕として神様の夢を思い出して生きていきたい。
ポイント2:忠実に仕えよう。
ルカ12:43
後半、忠実でない僕は苦しみにあう。
神様は罪に妥協されない方。
同時に希望を与えてくださる方。
「主人が帰ってきたときに、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。」
英語では祝福は「blessing」。
ルカ12:44
忠実な者には神様は役割を与えてくださる方。
今日わたしたちはどのような役割を与えられているでしょうか?
小グループ、教会、会社でどのような役割でも、それは神様から与えられたもの。
友達を愛する事、福音を示す事。
今日わたしたちが忠実に神様に仕えて行くのを妨げるものは何でしょうか?
罪や傾向の囚われるのをやめて神様に忠実に仕えるときに、わたしたちの人生は最高になっていく。
良い管理人は、神様への忠実な心があった。
神様から与えられた賜物を充分に生かした。
わたしたちもこれは経験しているはず。
その人生には喜びを感じる。
それは最高の人生。
今日、世の中には神様を必要な人々で溢れている。
今ある1人の男性と聖書をいっしょに読んでいる。
初めて聖書を読むので、いろいろ質問してくれる。
正直に受け入れられないことも話してくれる。
彼は人とつながるメッセージに反応する。
以前は「人とつながることは大事ではない。必要ない。1人のほうが幸せ。」と言っていた。
強く感じるのは、キリストの愛を知ってほしい。
誰かと繋がり、信頼関係があるのは最高の人生か知ってほしい。
聖書につながる人生は素晴らしいと知ってほしい。
最近学生時代の友達とよく電話する。
ある人は、仕事が忙しすぎて人間関係が気薄。
ある人は男女関係がボロボロ。
ある人は学生時代明るかったのに、声が暗い。
皆が、神様が必要だと感じる。
一人一人と会って伝えていきたいと思っている。
最後に例え話に戻りたい。
ペテロの質問。
わたしたちはどのように思いますか?
神の子が来る。
それはわたしたちのため、皆のため。
神の子が来るのを待ち望みながら、神様に忠実に従う人生を歩みたい。
まだ神様を知らない人にも、そのような人生が必要。
共に仕え、共に神様と隣人を愛していきましょう。