『あなたは神に愛されている子供です』
エフェソ5:1-2
わたし達は神に愛されている子供であり、イエスのように愛によって歩むことを神様に期待されている。
ポイント1:あなたは神に愛されている子供です
聖書は、神様からわたし達へのラブレター
クリスチャンであるわたし達が、神様に愛されているのを信じていないとき、わたし達は何を信じているのでしょうか?
神様ではなく、サタンの言葉を聞いていることになる。
みにくいあひるの子の物語を知っていますか?
1羽だけ大きくてみにくい。
実は白鳥の子。
育っていじめられて、死んだ方がいいと思っていた。
しかし、白鳥に出会って、本当は自分が白鳥だと知る。
これは、神様に愛されていないと思い込んでいるクリスチャンのよう。
神様は愛してないから、自分はもっと頑張らないといけない。見捨てられる。それらは全て嘘。
神様は、わたし達の弱さで愛が変わる方ではない。
弱さや罪にかかわらず、真っ先に十字架にかかって愛してくださった方。これが真実。
イエスが宣教活動する前にも「これはわたしの愛する子」と言われた。
愛されたいから、行動する必要はない。神様の愛は変わらない。
思い通りにいかないことや苦難があるのは、あなたが本当の神様の子であるからであって、愛されていないのではない。
わたしはふつうにしていると、自分はダメだと思ってしまう。
聖句を読んで向き合って神様からの愛を確信する必要がある。
そうでないと、感情やサタンの声を聞いて偽善者になってしまう。
わたし達は、セルフディサイプルの面でまだ弱い。
スキーマを学び、心を知ることは成長した。
しかし、生ぬるくなって心を正直に出せない。
だから相手にも深く入れない。
なぜわたし達は深く心を見る必要があるか?
神様とつながるため、御言葉を信じるため。
服従ではなく、無理矢理ではなく。
日本人は、自信がない人が多い。
今日、聖句に深く心を向き合っていかなければ明日も明後日も同じ。
あなたは何と言っているか?
神様は何と言われているか?
これを知る必要は日々ある。
どのような状況でも神様に愛されていることを確信する必要がある。
ポイント2:イエスのように成長する
イエスがわたし達の罪のために十字架にかかってくださった。本来はわたし達の代償。
イエスが十字架にかかったように、イエスのように愛するようになる期待がある。
神様はありのままのわたしを愛するが、一方で救われた者として、イエスのように愛する者のように期待する。
イエスがあなたになっていたら?
想像してみてください。
家族構成、職場、住んでいる場所も変わらない。いつもの電車に乗って会社へ行く。
スケジュール、健康状態、全ての状況は一緒。
一つ変わっているのは、あなたがイエスになっているということ。
周りの人は違いを感じるでしょうか?
あなたの行動や発言はどのように変わりますか?
1分間、目を閉じて考えてみてください。
学び会毎にシェアしてみてください。
わたしがこれをやったときに、わたしはもっとイエスのように変わっていけるとわかった。
ありのままを愛する神様なのに、わたし達は変わらないといけない。
これは、混乱するポイントかもしれない。
わたし達は神様の子供。
子供の特徴は、成長すること。
これはわたしの甥っ子。
まだタンポポと言えない。タンポンポンと言ってしまう。可愛い。でも、親なら成長を願う。
成長は急に変わるものではない。
失敗しながらちょっとずつ変わっていく。
わたし達はすぐに30歳のイエスを思い浮かべる。
しかし、イエスも赤ちゃんとして生まれた。
肉体の成長は20歳で止まる。
しかし、筋肉をつけようと思うなら90歳でも筋肉をつけられる。
『マインドセット「やればできる!」の研究』の本(出版:草思社)
TJがおすすめしていた。
人は成長したら変われるというマインドセット。
聖書はマインドセット。
イエスのように100%出来なくても、今できる30%でやりましょう。
今が30%なら、将来はどうなるでしょう?
先日、学び会で海に行った。
アクティビティーやバイブルトーク。
ベストを尽くして、数名友達が来てくれた。
素晴らしい時間だった。
完璧さや成功よりも、結果よりもベストを尽くすこと、心、過程を大事にする文化を作っている。
来週26日に母の一周忌。
人はいつか死ぬ。これは運命。
思い通りに生きても生きなくてもいつか一生は終わる。
しかしわたし達の特権はイエスのように生きる選択が出来る事。
イエスのように成長していきましょう。