『さらに高く Take Us Higher』
武士さんと真奈美さん、東京の教会の皆さんに感謝しています。
昨日は、東京の教会の若い弟子たちと交わり、情熱や学びたい心に励まされました。
今朝は、これから神様がこの教会を通して、この教会の中で何をしてくださるかを話したい。
「さらに高く。」
最近、神様との関係で、何を期待し、夢見ていますか?
これは神様との関係においてどのような目的を持っているかが関わっている。
1960年代から人類は宇宙開発に向けて多くの力を注いだ。
当時、宇宙開発で他の国々に負けていたアメリカのケネディ大統領は、感動的なスピーチをした。
月面着地をすること。アメリカはもっと高くいけること。
わたし達は、弟子として、造られた目的は、天国へ行くこと。
それは月よりももっと美しい場所。
エフェソ3:20-21
神様だけが、人にできないことをさせてくださる。
願ったり、思ったりすることをはるかに超えてできる方。
神様にはその力がある。
あなたにも神様の特別な計画がある。
実施できる力は神様にある。
今日は3つのことを話したい。
「座る、歩く、立つ。」
娘が赤ちゃんだった時、最初に座ることができ、歩き、立つことができた時感動した。
クリスチャンとして、嵐が来た時に立つことは大事。
ポイント1:まず座る
エフェソ2:6-7
皆さんがどこに座っているかは重要なこと。
キリスト・イエスとともに復活し、共に天の王座に着いている。
これは神様の栄光のために他ならない。
神様がどれほど素晴らしいかを示す。
映画館へ行った時、座る場所は大事。
自分がクリスチャンと言いながら純粋に生きられないのを長年見てきた。
人生で神様が働いていない。
簡単にサタンに信仰を奪われてしまう。
問題は、神様の力強さと素晴らしさを見ていないことにある。
間違った席に座っている。
神様の目的: 先ほどの聖句のとおり
目的=計画+力
エフェソの信徒への手紙:
前半は、神様の計画の力強さ
後半は、もし神様の力強さを持っていたらこのようなことが出来ると書かれている。
若い弟子の時、後半部分ばかり読んでいた。
でも、うまくできずに失敗していた。
正しい場所に座っておらず、正しい神様を見られていないことが問題だった。
わたし達は正しい神様を見て理解し、正しい信仰を持つ必要がある。
そうしないとキリストのために生きることが出来ない。
エフェソ1:1-2
パウロは自分を使徒と言った。神様に呼ばれたから。
サウロという名を親にもらい、ベニヤミン族であることに誇りを持ち、クリスチャンを迫害していた。
ある日、弟子に会ってイエスにあって、人生が変わった。
名前もパウロになった。
自分の意思ではなく、神様が選んでくださった。
自分を聖なる人、聖徒と言ったら多くの普通の人は別の教会において、反対されるだろう。
でも、パウロが言っているのは一人一人が聖徒。
本当は、「聖武士さん」、「聖◯◯さん」と呼んでもいい。
わたし達は、罪人で死ぬはずだったのに、キリストによって救われた。
そして完全に清くされた。
エフェソ1:11-12
神様が宇宙を創り、あなたやわたし達を選んだのは、わたし達が持ち上げられる為ではない。
地上でいい仕事を持ち、有名人になって認められることでもない。
その理由は、神様の栄光が褒め称えられる為だけ。
レベル1: 自分のために生きる。
大学へ行ったり、働いたり、努力して、子供をいい学校へ行かせる。全て自分のため。
レベル2: 他者のために生きる。
例えばアフリカへ行き、貧しい人を専門知識で助けることは尊敬に値する。
結果、人に賞賛されるかもしれない。
レベル3:神様の栄光をたたえるための人生
これが神様の御心。
他者のために生きることをはるかに超えている。
近所の人、同僚までもあなたを見て神様をたたえるようになること。
この世は闇でいっぱい。
世の光になるのはそんなに難しくない。
近所の人をちょっと手伝っただけで感激された。近所で20人以上が弟子になった。
いい人だ、で終わるのではなく、そこから神様が見えるはず。
多くのわたし達は、神様のために素晴らしいことをしたいと思っている。
実際に多くの人を愛している。
質問: あなたの人生を見て、人はキリストに憧れを持ちますか?
神様の栄光をたたえる人生には、人間ではなく、神様にしか出来ないことが現れている。
エフェソ1:3-7
あなたがクリスチャンになった理由は、あなたが少しだけでなく、天のあらゆる霊的な祝福であなたを満たしたい神様の計画があったから。
霊的な祝福。
パウロが手紙を書いたのは牢獄だった。
誠実な心で純粋に神様を喜べる人しか、この聖句を喜べない。
物質的な祝福と、霊的な祝福、どちらを選びますか?
はっきり言いたいのは、物質的な祝福は、続かないということ。
死んだらどこにも持っていけない。
最近、裕福な方のお葬式に行った。
棺桶に紙製のiPadとロレックスが入っていた。
かわいそうに思った。彼は生前一生懸命働いた。
しかし、死んだ後は何も持っていけない。
わたし達は今見える結果がなくても、天国にデポジットを積んでいる。
わたし達は、霊的にものすごく豊か。
それが見えていますか?
見えているのなら、なぜそんなに不満を言うのですか?
もし、わたし達が霊的な祝福を全て見えていたなら?
イエスは山上の説教で、迫害を受ける人や、悲しむ人は幸いと言われた。
世の中が全てひっくり返っても、わたし達が神様のために生きられるなら、すでに祝福されている。
そして、既にわたし達は、聖なる者、汚れのない者にされている。
わたしは今52歳。でも80歳のように感じることがある。
体が痛い。歳を取ることで、辛くなることが多くなる。
もう長生きしたくないと思ってしまう身体的な衰えがある。
わたし達は、長生きするために造られたわけではない。
病気のまま苦しみ続け、長生きしたい人はいないと思う。
だから、神様は完璧な状態でずっと一緒にいられるようにしてくださった。
わたし達は、神様の元に生まれたのではなく、養子にされた。
既にイエスという本物の子供がいる。
養子にするというのは、養子にする親は、子供を選ぶ権利があるということ。
わたし達が神の養子ということは、神様が特別に選んでくださったということ。
なんという特権でしょうか。
神様は罪を全て赦し、養子にしてくださった。
神様の家族に加えてくださった。
これで充分ではないでしょうか?
人々に伝える時、エクストラマイルを行く時、憎む人を愛する時、退廃した世で純粋に生きる時、なぜわたし達がこれらを出来るかは、これが理由です。
100%生まれ変わった。
誰もができるわけではない。
エフェソ1:13-14
聞き、信じ、聖霊で証印を押される必要がある。
多くの人が聞くが信じない。
古代だと、大きいものを買い物して持ち帰られない時、蝋で封印して、印を押す。
認印を押されたものはあなたのものになったことを保証された。
わたし達は証印を押された。
まだイエスの元へ行ってないけど、イエスのものになったと約束された。
保証されている。
エフェソ1:17-19
知識ではなく、神様によって心の目が開かれる。
アハ!モーメント(ひらめき、気づき)。
いきなり見えるようになる。
「わたしは神様の子だ!永遠に生きるために既に整えられている。」
神様によって変えられる。
その心で、近くの人に伝道に行ったら拒絶される。でも変わらない。
いつか、近所の人は問題があったときに、あなたに頼る。
「なぜあなたに良くしなかったのに、ずっと良くしてくれるの?」
「わたしは神様に愛されて変わったから。」
今度は近所の人が変わって救われて、宣べ伝える側になる。
ある不良の学生がいた。
学校で問題ばかりを起こしていた。
ボタンを全部開けて悪い態度を取っていた。
校長先生のことを舌で舐めて、怖がらせた。
試験中、彼がわたしを蹴り続けるのでわたしは0点を取ってしまった。
最初で最後の0点。先生や校長でさえ、誰も彼の暴走を止められなかった。
わたしは弟子になったとき、彼のことを祈り、伝道した。
何度も諦めずに誘い続けた。
ある日、礼拝に来た。
「どうだった?」「お前は変態だ。」こんな反応だった。
最初に礼拝に来て10年後、バプテスマを受けた。
今は誰よりも宣べ伝えている兄弟。
イエスがわたしを変えた。彼を変えた。
わたしの元々の性格では、彼のような人に忍耐できない。
彼の救いは同級生たちを不思議がらせた。
同級生になぜかと聞かれたら、彼もわたしも神様が変えたと答えている。
神様とともに座ったとき、キリストとともに王座に座っている。王座には、足座がある。
征服された王がひれ伏す。
古代では、ひれ伏さなければ足蹴りされる。
エフェソ1:19b-23
神様の力。
人間がどんなに力があっても、死んだら無になる。
わたし達、クリスチャンは違う。
死んだ時から力を生み出す。
キリストの十字架があるから。
わたし達の霊的な感情はキリストの死から始まる。
罪に死んで悔い改める時、神様の力が働く。
神様は謙虚な心を祝福される。
ある弟子は、昔は多くを助け、実を結んだ。
今は経験もあるのに助けられない、実を結べない。
なぜだ? と言っている。
キリストのために死ぬこと、悔い改めることをやめたから。
わたし達は頭ではない。敵ではない。
体。キリストの頭につながって、足座を見下ろせる。
皆さんは弟子として素晴らしく働ける。
一人でなく、教会の体で。
わたし達は、一つになって一緒に信じて神様の栄光を現していきましょう。
ある3カップルがいる。まだ救われて間もない。
小グループで人が増えすぎたので、グループを分けた。
3カップルで18人の友達を連れてきた。
わたし達はある日、様子を見に行った。
ギターを引く兄弟、料理をするカップル、もてなすカップル。
彼らはなぜそうするか?
神様を愛しているから。
人生が変わったから。
実は、ここに来た方達はすごく成功している18人だった。
そのうちの一人は世の中的にすごい人だった。
わたしは兄弟にどうやって彼を伝道したか尋ねた。
「神様を愛しているから。人生が変わったから。」
18人全員が聖書を勉強したいと言った。
教会への歪んだ見方を捨てる必要がある。
ある人は教会をガソリンスタンド、ドラッグストアのように捉えている。
燃料を補給され、癒される。
ある人は、映画館やショッピングモールのように捉えている。
建物が綺麗。音楽がいい。
どのように教会を見るか?
正しい場所に座って神様と教会を見てください。
ポイント2:歩く
エフェソ5:2
愛によって歩みなさい。
皆さんに宿題を与えます。
エフェソ4、5、6章を読んで、どのように光の子として歩むのか、一つ選んで1週間そのように決心してやってみてください。
聖句に留まり、今までとは違うことをやってください。
まずは、自分ではなく、神様がその力を与えられたことを信じてください。
わたしは神様の子供だと思い出してください。
ポイント3:立つ
エフェソ6:11、13-14
つまずくので走らないで、歩いてください。
サタンはいろいろな方法で皆を落ち込ませようとします。
そういう時にしっかり立ちましょう。
受け身ではなく、神様の全ての武具を身につけましょう。
それをやれば悪魔が逃げます。
しっかり立ちましょう。
誰もあなたの信仰、希望、愛を奪えません。
まず座って、歩き、立ちましょう。
今週はいつもと違う歩みをしましょう。
そのときに、サタンは働くけど、今日学んだことを思い出してください。
神様があなたに完璧な汚れのない計画を持ってくださっています。
人の力に頼ることはやめてください。
いい考えでなく、現実の体験を持ったものになることを祈っています。
東京の教会を愛しています。