『イエスは父に至る道』
昨年長男が運転免許を取得し、今は長女が教習所に通っている。
交通規則について、子供たちに注意されることがある。
初心者マークを付けたまま運転していると、心なしか譲ってくれる方が多い気がする。
今日は道について話したい。
ポイント1:イエスは道であり、命であり、真理である。
ヨハネ14:1
最近、自分のビジョンが小さくなっていると感じた。
それを神様は大きくしたいと思ってくださっているのを感じた。
14章読んでいくと、このあとでイエスの長い説教がある。
イエスは最初に弟子たちに「心を騒がせるな。」とチャレンジングなことを伝えられた。
しかし、弟子たちの立場になれば、動揺してしまうのもわかる。
なぜイエスは心を騒がせるなといったのか?
1.イエスが去っていくと伝えていた。
2.イエスは死のうとしている。
3.弟子の1人がイエスを裏切ると言った。
4.イエスはペテロが3度離反すると言われた。
5.イエスはサタンが弟子たちを試みることを許された。
6.イエスは弟子たち全員がイエスを捨てて逃げると言われた。
わたし達も心がざわざわしてしまうことがある。思ったようにいかない。
祈ったのに叶えられない。落ち込む。
それを脆弱に打ち明けたら、近い人に信仰が弱いと否定されてしまった。
まして3年間全てを捨ててついていった師匠が死ぬと言ったらどうでしょう?
イエスの解決法:
心の動揺を沈めるには神様を信じ、イエスを信じなさいと言われた。
それでも、弟子たちは1-6のことを言われたイエスを信じるのは難しかったのではないか。
そこで、イエスは次の聖句から信じられるように説教された。
ヨハネ14:2-4
イエスの父の家には、住むところがたくさんあると言われた。
ヘブライ語で「モナイ」。
ユダヤ人にとって、地上で善行に励めば、よりよい住まいに天国で住める。
モナイはギリシャ人にとっては、途中の足場。天国への途中。
天国は朽ちない住まい、永遠の住イエスのいるところにあなた方もいる。
天国はイエスのいるところ。
マラソンでもしゴールがなければどう思いますか?
ゴールがあるから頑張れる。
わたし達はどこに向かっているのでしょうか?
どの世代も、共通の終着点、天国に繋がる弟子の人生をわたし達は歩むことができている。
ヨハネ14:5-7
とても有名な聖句。
イエスは道、真理、命であることを大胆に宣言された。
ユダヤ教の3つの基本的な概念が全て成就されていると伝えられた。
申命記25:32-33,31:29
イザヤ30:21
詩編27:11
ユダヤ人は人が歩むべき道を知っていると思っていた。
イエスは、わたしは道であると語った。
イエス自身が道、イエスは唯一の道。
わたしは27歳で弟子になった。
それ以前は小さな目標はあったが満たされていなかった。
教会で神様に出会って道を教えてもらって、嬉しかった。感謝した。
・わたしは真理であると語った。
ユダヤ人は多くの真理を知っていると思っていた。
わたしは真理、と宣言すれば、真理を知っていると言っている多くのユダヤ人に批判される
リスクがあった。
・わたしは命である
箴言6:23、10:17 、詩編16:11
人間が常に求めているものが命。
金持ちの青年は永遠の命について、質問をした。
命について話す人はいる。
しかし、イエスは命自身!
イエスのみが神に至る道、唯一の道だとイエスははっきり語られた。
わたし達はその道を歩めていることに、感謝と確信を持ちましょう!
イエスの言い方は明確。 もしかしたらわたしは道かも、真理かも、命かもとは言われなかった。
今聖書勉強中の方、ご自身でぜひ確かめてみてください。
ポイント2:もっと大きな業を行うようになる
ヨハネ14:8-11
フィリポは疑って、質問し続けた。
他の弟子たちの思いの代弁とも言えるかもしれない。
信仰は根付いていなかった。
イエスは、「あなた方は既に神を見ている。」と言われた。ショッキング。
ギリシャ人もユダヤ人も神は見えない、見たことがないという概念。
神様とイエスは一心同体!
わからないなら業そのものを信じるようにと言われた→弟子たちに奇跡を思いださせた
ヨハネ14:12-14
弟子達はイエスよりももっと大きな業を行うと言われた。
イエスはパレスチナ地方のみしか宣教されていない。
その後、全世界へ宣教された。この言葉は真実だった。
この言葉は、いまもわたし達にも言われている。
あなたはもっと大きな業を行うようになります!
約束は実現されると聖書にある。
イエスがわたし達に大きなビジョンを持ってくれていること、どう思いますか?
わたしは嬉しい。27歳洗礼当時、夢があった。
テレビをつけるとクリスチャンだらけで、満員電車もクリスチャンだらけ。
交わりつつ通勤。 それを夢見ていた。
26年後、ビジョンがどんどん現実的になっている。
夢が小さくなった。仕事が忙しい。友が教会を離れた。父の死。
責任が増える、体を壊す、いろいろなことがある。
イエスの弟子の原点に立ち返りたいと思う祈りを数ヶ月している。
最近は、もう一度夢を持ちたい、イエスの夢を持ちたいという心に変えられている。
これは自分の夢でなく、神様の夢。
遁所お父さんと聖書を一緒に読んでいる。
わたしのほかに袴田さんが関わっている。
新潟と東京で離れているが、彼は楽しみにしている。
信仰が育っているのを感じる。
とんちゃんのお父さんも地元でとんちゃんと呼ばれている。
「とんちゃん、変わったね。」と友達に言われたそう。
お父さんは「息子を通じて、今聖書を読んでいる。」と伝えているそう。
既に伝道になっている。素晴らしい。
福岡でもカカさんという香港の方と聖書を勉強している。
木島夫妻、通訳のレインボーと日本語と広東語でやっている。
神様の業は凄いことが目に見えることのみでなく、心を変えること。
神様はわたし達を用いて、心の中の奇跡を起こすことが出来る。
イエスの御名によって願うことは、御心にかなって実現する。
祈りのバロメーター、神様と近い、自分はもう満たされていると感じてしまうと
自分のことはあまり祈らなくなる。
正直な祈り、罪の告白や悔い改めからから作り替えられる。
最後にこの人を紹介したい。
中森郁之進: 徳島の貧しい家庭で育ち苦学した。
たまたま関西学院の柳原牧師のもとで働いた。
部落問題や農村社会を助けた。
仕事と勉強をしていた。
弟が強盗。思想犯で警察に目をつけられた。
柳原牧師の辞任により 職を失い、学校も出席日数が足りず退学になった。
自暴自棄になり、山に篭った。
死のうと思い、水、聖書とペンだけを持っていった。
全て嘘だと思って、線を引こうと思っていた。
そこでイエスの十字架の箇所を読み砕かれた。
イエスの十字架の両側につけられた強盗、罵るほうも、赦してくださいというほうも自分だと思った。
その後、聖書は真実だとわかり意気揚々と山を下った。
そしたら、不思議なことに、学校を退学になるのは取り消しになっていた。
勉学に励み、生涯をかけて、貧しく差別のある山谷地区を助けた。
わたしは彼の人生や自分たちの人生を通しても、イエスは見捨てられない方だと確信している。
今日、福音が伝えられるように祈りましょう。
「イエスは父に至る道」
ポイント1:イエスは道であり、命であり、真理である。
ポイント2:わたし達はもっと大きな業を行うようになる。