『イエスの船でミッションに行こう』
マルコ4:35-41
背景を説明します。
マルコ2章で、カファルナウムでイエスは福音を延べ伝え始めた。
3章でイエスの評判を聞いた群衆がやって来た。
イエスが群衆たちに話をした。
あまりの人の多さに、舟から説教した。大人気だった。
終わった後、イエスは弟子たちに「向こう岸へ行こう」と言われた。
聖書を初めて読む方にもわかりやすい場面。
プロの漁師が危ない、転覆する!と考えてしまう嵐が来ている。
上から風が六甲おろしみたいに吹いてくる危ない状況。
船が水でいっぱいになった。
今にも転覆しそう。
命の危険を感じるレベルの嵐。
そこでイエスがしていたことは?寝ていた。。。
これはどういうメッセージですか?
弟子たちは、イエスに「私たちはどうなっても良いのですか?」と言う。
海が完璧になぎになって、荒れ狂っていたのが、イエスがすぐ静ませられた。
弟子たちはイエスと一緒にいたのに、この方はどういう方なのだろう?と思った。
私は三年前にこの聖句で説教したが、別の観点で今日は話したい。
イエスは、嵐の中で寝ていた。
しかも舟の艫で寝ていた。船尾。
舟の中で船首が高く、船尾が低い。
イエスは低いところ、一番危ないところで寝ていた。
大揺れの船の中で寝るのは危ない。
この船は、向こう岸に行こうとしていた。ガリラヤ湖の向こう側。
イエスがいた時代、デカポリス地方というギリシャ文化の根強い土地があった。
デガポリスのデカは10、ポリスは町という意味。
イタリアのナポリ、新しい(ナ)町(ポリ)という意味。
ギリシャ文化の影響が強い場所。
イエスは、異教郷の地である外国に行こうとした。
福音を延べ伝えるため。
そのために、船で出発した。
そこで会ったゲラサ人が、イエスがしてくださった奇跡を言い広めた。
そこからまた、10の都市に福音を延べ伝えた。ミッションをした。
イエスは、一貫してミッションをしていた。
今年は教会全体でミッションフォーカス。
皆さん、一人一人この人に出会わなければクリスチャンになっていなかったという相手がいると思う。
イエスももちろんその一人。
イエスは、舟の中でも少し休んでゲラス人と出会う準備をしていた。
私はディズニーで働いていた時、朝と夜にリハーサルがあると寝られなかった。
昼休み、少しでも寝ようと努力していた。
音楽がガンガンになっていようと眠れるようになった。。。
イエスも寝る目的があった?
イエスはミッションのために寝ていた。
絶対に向こう岸にわたるという信仰からの行動だった。
イエスは嵐をコントロールする権能があった。
だから安心して寝ていた。
弟子たちのおぼれても構わないのですか。という質問はナンセンス。
イエスが弟子たちを溺れさせる訳がない。
イエスは群衆とではなく、弟子たちと船に乗った。
同じ、ミッションの思いを共有したかった。
イエスは真剣だった。
だから、嵐を静めた後に叱った。
あなた方は、ミッションの中に真剣さがありますか?
救われていない人がいることの悔しさはありますか?
なければ私たちはイエスのようではない。認めましょう。
弟子たち、なぜイエスと一緒にいたのですか?
自分たちの人生のため?
弟子たちが乗っていた船は、イエスが乗っていた船。
イエスの目的を成し遂げるために進んでいく。
弟子の人生は、車にたとえられる。
自分の運転席をイエスに預け、自分は助手席に座る。
これがイエスを主とする人生。
イエスを運転席に座らせた瞬間、車がバージョンアップしてイエスの車になる。
バットモービル、トランスフォーマーのようになる。
女性に分かりやすく言うと、普通の車がフェラーリ、馬車がかぼちゃの馬車になる。
イエスの目的地に行けるようにカスタイマイズされる。
私たちは今まで通りの船、車に乗っていませんか?
詩編46:11
これを読むと、不信仰な自分が見える。
今年も同じかもしれない。
望んだことができないかもしれない。
ダビデはとても大胆。
自分の中にイエスと同じ信仰がない。
人の救いに対して無責任、無関心。
いつか誰かがやってくれる。
神様がやってくれる。
それは、謙虚な態度ではない。
本当にそれを信じているなら大胆な行動ができるはず。
期待して行動できる。
でも、恐れに囚われ信仰が薄くなる。
人のせいにする、無責任。
今回、このポイントに気づかせてくださった神様に感謝。
気づき、大胆に行動するとリスクがある。
神様のためであれば、平安が心にある。
最終的な結果は神様が起こしてくださる。
来週、特別礼拝「#感謝サンデー」。
特別な人、感謝したい人を呼んで礼拝を持つ。
私の父を誘った。気難しい人。
祈ってLINEでメッセージを送った。
しかし、既読スルーだった。
たいていはすぐに返信ある。
デボの時間でも祈って送った。
それでも返信が来ない。
でも、実はインフルエンザにかかっていた。
食事を持ってきてほしい、と電話がきたので持って行った。
話の流れで、「誘って貰ったイベントは行けない」と言ってきた。
今までとは違って、恥ずかしそう。
嬉しさを隠していたのかもしれない。
次は仁美から誘ってもらおうと思った。
この件を前向きにとらえられた。
劇団四季時代の同期を誘った。母の葬儀でお世話になった。
いつも忙しいが、「行けるよ」と言ってくれた。
神様は御心を行ってくださる。
大切な人に声をかけて断られた兄弟姉妹がいる。誇りに思う。
チャンスを渡した、御言葉の種をまいた。
チャンスを信じて行動したら何かが起きる。
プロフェッショナルミニストリーで、先月男性の聖書勉強が3つ増えて4つになった。
増えたうちの2つは伝道した男性。
知らない人に声をかけるのは怖いが、伝道は古いものではない。
多くの魂と出会う手段。
プロフェッショナルミニストリーには8つの学び会がある。
平成になぞらえて、各学び会で年内に31人の男性に声をかけることを決めた。
先日、すごくいい接客をしてくれた焼き肉屋の店員がいた。
フットサル、テニスなどに誘ったら、「LINEを教えて欲しい」と言われた。
そして、テニスに行くと言ってくれた。
昨日の予定だったが、雪のためボーリングに仁美と共に行った。
大学生4年生、これからロースクールに行く。
こんな男性も繋がれる。
先週、SGLのあとに有志で伝道に行った。
50歳のナイスミドルと仲良くなった姉妹がいて、学び会のバレンタイン企画に誘った。
昨年末にある兄弟が、嵐の相葉君みたいな男性に声をかけたらクリスマス礼拝に来てくれた。
その兄弟の家でのホームパーティーも素晴らしかった。
グッドニュースが多い。
今年は編成によって、リーダー不在学び会が2つ出来た。
でも、その学び会は楽しそう。とても励まされる。
今晩フットサルがある。楽しくしている。
デボでも伝道を計画し、他の人が入りやすいグループについて話し合った。
夜中の10時まで社会人が熱心に話し合っていた。
神様はこのグループに働くと確信した。
もし耕して目が出なかったら、がっかりする。
でも必ず神様が育ててくださると信じている。
どこまでも勝ちにこだわれる。
神様が御心を行ってくださる。
怖くても、イエスの判断にゆだねる。
これはイエスのミッションだから。
プレッシャーはない。失敗はない。
去年、私はマルコ4章の弟子たちのように結果が出ない、神様は自分に関心がないと思ってしまった。
まさに不信仰な弟子たちのような信仰になってしまっていた。
弟子たちの問いかけはナンセンスな問いかけ。
イエスにとって、弟子たちがどうでもいいはずがない。
イエスが、嵐が波を鎮めることができるから大丈夫と言っていた。
決して船は沈まない。決して船は倒れない。
イエスが許した嵐は御心。
安心して乗っている信仰がある
イエスが波に「静まれ」、という。
英語聖書では「力を捨てよ」、と同じ意味。
イエスは私たちを恐れさせるものに対し、「力を捨てよ」という。
弟子たちが乗っている船、見方を変えると教会とも言える。
この船、教会はイエスの目的を達成するためにどこまで進んでいますか?
日本全国に船は進んでいる。
嵐も多いが、決して倒れない。
30年、50年たっても進み続ける。
惑わすものに「静まれ、力を捨てよ」と言いましょう。
プロフェッショナルミニストリーで、今愛している友人たちの救いをお祈りください。