『救いと癒し』
今年の東京キリストの教会テーマ聖句は詩編46:11。
力を捨てて神様に集中する1年にしたい。
年末年始、いろいろ考えてその年のことを振り返り、新しい年の目標を立てると思う。
4月に入院して、死んでもおかしくないと思った。
生きてこのように教会に来られることは当たり前ではない。
昨年素晴らしいこともたくさんあった。
今年も楽しみにしたい。
感謝と喜びがある一方、人の救いが少ない。
今年は、神様をフォーカスし、救いにフォーカスしたい。
ルカによる福音書7:50
「あなたの信仰があなたを救った(saved)。 安心していきなさい。」
ルカによる福音書8:48
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。 安心していきなさい。」
救った(healed 癒した)
savedとhealed の元々のギリシャ語は同じ。「ソデゾ」
救う、守る、癒す、保つ、良くなる、自分を救う、完全になるといった意味がある。
救いと癒し: 2つのポイントから
1)救いは大きな喜びをもたらす
2)救いだけではなく癒しも必要である
バプテスマを受けて多くのことが癒されて喜びがあった。しかし、全てが癒されたわけではない。また多くの出来事が人生には起きる。
わたしの中では、救いのほうが大事だと思っている。しかし、癒しがないと、救いの妨げにもなる可能性がある。
ポイント1:救いは多くの喜びをもたらします
ルカ15:4-7
失われた羊の例え。
イエス・キリストは罪人と食事をしていた。
これは人々には不満だった。
しかし、イエス・キリストは人を救うために世に来た。
神様の心が学べる。
一人の失われた魂のために何があっても探し出し、救い出す。
99匹の羊を野原に残す。
狼が出るかもしれない。
リスクをかけてでも、1匹を探す。
そして、見つけたとき、大いに喜ぶ。
喜んでいるときは、どのようにする?
スキップや、鼻歌を歌っているかも。
ずっと喋っているかもしれない。
いっぱいLINEを送っているかもしれない。
教会にとって、結婚式や子供の誕生も素晴らしいが、一番素晴らしいのはバプテスマ。
皆が喜びで溢れる。
わたしはバプテスマの前、緊張していた。
覚える言葉や、鼻に水が入ったらどうしようなどと心配していた。
しかし、ある人に「自分の罪が赦される事だけを考えなさい。」と言われた。
なぜ神様は喜ぶ?
殺されたら、傷ついたらなど、それだけ心配していたから。
“When he finds the sheep”
Ifではない。時間がかかっても必ず連れ戻す。
とりあえずやった、という選択肢は神様にはない。
救いにはイエスキリストの十字架が関係している。
犠牲がある。
この羊飼いは大変。
軽い羊で70kg、重いと100kg。臭い。
それを肩に乗せて皆に見せたいと言っている。
わたし達は最近、喜んでいますか?
変わらない喜びがありますか?
いつもニコニコしてハッピー、ということではなく、人の救いに関わる喜び。
先週糸山さんが紹介した22人の証がある本。
わたしは先週、インフルエンザに罹ってしまい、閉じこもっていたので、この本を全部読んだ。
とても感動した。
今の社会にこのメッセージが必要。
人の救いは素晴らしい。感動的。
神様に救えない人はいないと改めて確信した。
人の救いをたくさん見て喜びましょう。
自分の人に対する心と、神様の心を比較してください。
自分には救いに対しての必死さがない。
時々諦める。
救いは、生きるか死ぬか。
皆で悔い改めていきましょう。
自分が救われてほしい人について、一日何回も祈りましょう。
思い通りにいかなくても信じる。
具体的に行動していきましょう。
スケジュール帳に、人の救いはありますか?
子供、学校、どのような関わりでも。
ポイント2:救いだけでなく、癒しも必要です
ルカ15:23-28
放蕩息子のたとえの怒る兄に注目したい。
感動的な救い。父と弟、僕は喜んでいた。
しかし、兄は癒されていなかった。怒って外へ出た。
癒されていないと、心が怒りとして現れる場合があります。
わたしはこのシーンが好きではなかった。
なぜ兄はハッピーエンドに水を差す?
弟は救われたが、兄の心には傷があった。
弟は父には謝罪したが、兄にはしていなかったかもしれない。
わたしは仕えてきた(元々の言葉はドロス=奴隷だった)。
それなのに、弟を甘やかしている。
あなたは急に怒ったりすることがありますか?
急に子供や夫や妻に対して。
リーダーシップに対して、職場で。
多くの場合、癒されていないのかもしれない。
人の救いに対しての妨げになっているかもしれない。
一番家族を傷つける。
わたしは家族に対して、優しくしようと結構努力している。
そこでわかったのは、神様に癒されてないと、ということ。
家族でディスカッション。
妻と子供にわたしがイライラしていてそれが破壊的と言われた。
自己認識がないと。
最近は気にして努めているので、あまり言われなくなった。
これは良くない。多くの保護者は、親からの恥かもしれない多くのフラストレーションを出してしまう。
神様に助けてもらい、癒されたい。
自分がこの弟だったら、兄にブチ切れると思う。
しかし、このお父さんは、兄のいうことを聞き入れる。
そして兄も恥を捨てて脆弱に話した。
わたし達も迷惑かけないように、恥ずかしくないようにと出さないと癒されない。
父親は言う「子よ(my son)。」
奴隷だと感じていた息子に、自分のものは全てあなたのもの。
でも、お兄ちゃん、1つわかってほしい。
死んでいた息子が生き返った。
喜ばないわけにはいかないでしょう?
癒される言葉を話した。
「あんたは大変だけど、お父さんはもっと大変。」のようではなくて。
人が謝ってくれる、癒しの言葉をかけてくれると、癒される。
しかし、そうでない場面もある。
自分の親がこうしてくれていたらと考えることもある。
しかし、もう亡くなっている親にして欲しかったと思っても、不可能なこと。
イエスキリストは癒してくださる。
明るみに出して、癒されて、神様と近くなる。
自己満足ではなくて、そして人の救いのためにも癒されましょう。
人の救いのための3つのキーワード:
Believe(信じる)
Belong(繋がる)
Become(生まれ変わる)
インドネシアの教会からこれを学んだ。
これを救いが必要な人に提供するには自分が癒され、この3つが満たされている必要がある。
繋がるのはごはん食べるだけでなく、恥ずかしい部分も出して共有する必要がある。
ルカによる福音書8:48
このようにイエスに言われる教会にしたい。
そのような2019年にしましょう。