『力を捨てよ、知れわたしは神』
年末年始はいかがお過ごしだったでしょうか?
わたしは仙台で家族と過ごしました。
父と仙台教会のあり方について議論になりました。
後で、きつく言い過ぎたことを謝るメールを送りました。
新年から、、、と思いましたが、同じ教会の兄弟として、教会のことも話せる関係になっていることを嬉しく思います。
2019年の東京キリストの教会テーマ聖句:詩編46:11
「力を捨てよ、知れわたしは神 国々にあがめられ、この地であがめられる。」
有名な聖句。多くの人を励ましてきた。
神様の力強さを表している。
この聖句は新共同訳だけ11節。新改訳や英語では10節。
詩編46:1-12
ポイント1:神様が働かれる
・コラの子らの歌
コラの一族は一度神様に反撃した。
しかし、その後、ダビデからソングリーダーに任命された。
この聖句はいつ書かれたかは不明。
ダビデ?ヨシャファト?エゼキエルの時代?
・はっきりわかるのは、イスラエルの国(神の民)は攻撃にさらされていたこと。
非常に難しい状況にあった。4節。
『スタンド・バイ・ミー』の歌詞の元にもなっている。
「万軍の主はわたし達と共におられる。」
2回繰り返されている。避けどころ、砦、要塞。
戦いの最中、神様がそこで戦われるということ。
・神様への信頼
わたし達にその信頼と信仰はありますか?
わたし達は、「神様は動かない砦で自分たちが動いて戦わないと…。」と出て行く。
しかし、神様自らが戦ってくださること、そこへの信仰はありますか?
神様がわたし達のために戦ってくださること、信じているのでしょうか?
詩編の神様は、神様が戦い、圧倒する、戦争を終わらせること。
「力を捨てよ、知れわたしは神」
“Be still and know that I am God.”
神様が語られた言葉。
私はこの聖句にクリスチャン人生でいつも励まされてきた。
「やめよ。知れ。わたしこそ神。」
(新改訳2017)
もともとのヘブライ語は「やめなさい。」という言葉になっている。
Stop! Cease!
武器を放棄して戦うのをやめなさい!
「やめよ」という言葉、ピンと来なかった。
神様はなぜ戦うな、何もするなというのか?
これはイスラエルの民に言われているとずっと思っていた。
よく考えたら、敵に対して言われた言葉だった。
神様が完全に戦われる。イスラエルの民はそれをまあ見ていよう、と信じている。
神様は、消極的で何もされない方ではない。
むしろ、一つ一つの戦いに積極的に敵と戦ってくださる方。
この信仰を持つ必要がある。
職場で自分の確信を揺らがす誘惑に「やめよ」という必要がある。
この国で福音が伝わらないことに対して「やめよ」という必要がある。
なかなか変われない罪に対して「やめよ」という必要がある。
マルティン・ルターによってこの聖句は有名になった。
ルターは16-17世紀に宗教革命を起こし、プロテスタント派を作った。
「神はわがやぐら」
“A Mighty Fortress is Our God”
この讃美歌を作った。
難しい状況でルターはこの讃美歌を作った。
「もっとサタンが働けばいい、もっと難しくなればいい。なぜならわたし達の神はもっともっと力強いから。圧倒するから。」
今年わたし達の信仰を変えたい。
難しい状況、なかなか変われないことを神様が戦って変えてくださると信じる信仰を持ちましょう。
ポイント2:神様は共にいてくださる。
詩篇46:8,12節
「苦難のときかならずそこにいまして助けてくださる。」
“a very present help in trouble”
シオンの歌(Song of Zion)。
46章を含めた6つだけがシオンの歌。
詩編46、48、76、84、87、122がシオンの歌。
特別な歌。神殿に関する歌。
アラモト調: 高音
おそらく女性が歌った。
クリスマス礼拝で素晴らしい姉妹のみのコーラスがあった。
華やかさ、美しさ等が表される。
なぜ特別な歌か?
神殿には神様が臨在されると、民は特別に賛美したかった。
何百年も神様が共にいてくださったことを覚え続けて確信を持つ歌。
今日わたし達はどうでしょうか?
神様がともにいてくださることは最もベーシックであり、成長すべきポイント。でも、忘れやすい。
イスラエルの民は、意図的に神様が共におられることを覚えようとした。祭りや讃美歌によって。
彼らは何百年も毎日以下の聖句を祈った。
「全ては祝福
あなたの神、主をたたえなさい」
“Everything is Blessing
Praise the Lord your God”
申命記8:10
神様に祝福をお祈りする。
今日このパンを下さった神様に祝福あれ。
今日仕事を下さった神様に祝福あれ。
今日スポーツが出来た、神様に祝福あれ。
1日に100回以上この短いフレーズで祈った。
これによって
・全ては当たり前でなく感謝
・神様が共にいてくださることをリアルに覚える
ことができた。
Blessed is He who…
神に祝福あれ…
今日わたし達はその近さで神様がともに歩んでいてくださる方であることを覚えているでしょうか?
そのように泥くさい、小さなことも一つ一つ神様がともに歩まれていることを覚える今年にしたい。
教会、家族もそのように変わりたい。
クリスマス礼拝で多くの人が喜んだ。
ともに歩んでくださる存在を必要としていると確信した。
神様は力強いこと、共に戦われる方、共に歩まれる方であることを共に覚える2019年にしましょう。