『愛は命を超える』
マタイ14:9-21
バプテスマのヨハネがヘロデ王によって首をはねられ殺された。
イエスは人里離れた場所にいたが、人々が癒してほしいとついて来た。
その場所は食べ物がない場所だった。
弟子は、解散させようとした。
イエスは、自分達で食べ物を用意するよう言った。
パン5つと魚2匹で5千人以上の男と一緒にいた女性子供達がいた。
イエスが祝福して満腹になるまで食べることが出来た。
これがこの箇所のあらすじ。
ポイント1:悲しみが憐れみに向かう
バプテスマのヨハネは、従兄弟でありイエスの近い存在だった。
まず神様が道を整えて世に現れた。
彼がイエスにバプテスマを授けた。
霊的にもとても近い存在だった。
親友や恩人でもある。
イエスにとって、バプテスマのヨハネの死は衝撃だった。
身近な友達の突然の死は、目の前が真っ暗になる。
イエスも一人になりたかったに違いない。
しかし群衆は追いかけて来た。
深い悲しみの中で、誰が人を愛せるか。
イエスは憐れんで、彼らを愛した。
先月、26日に母を亡くした。71歳だった。
最期に立ち会うことが出来た。
皆さんのお祈りに感謝している。
一ヶ月経つがまだ信じられない。
ぼーっとしてしまうことがある。
さみしいからだと思う。
母が亡くなって一週間は葬儀の様々なことに振り回された。
失礼があってはいけないとしっかりしないといけないとずっと思っていた。
神様との時間、交流があまり持てなかった。
悲しむ時間を持っていいことを、ある兄弟からマタイ14章を通して教えてもらった。
初めてイエスのこの状況をリアルに見た。
なぜ34歳で?早くないか?どこかで怒りのような感情があった。
わたしのために、神様は先にイエスを送ってくださった。
世界中の多くの方は既にこの悲しみを味わっている。
自分が悲しいから、人の痛みに共感出来る。
目の前の人に悲しみでつながれる。
イエスは一人で舟に乗った。
だからこそ、イエスは群衆の中で悲しみを持つ人と繋がれた。憐れみを持てた。
わたしは悲しい時に頑張ろうとしてしまう。
悲しみに暮れたら落ち込んでしまう。
人に失礼があってはいけない。
でもそうではないと学んだ。
ちゃんと悲しんだ方が神様と人と深くつながれる。憐れみを持てる。
哀れみではなく、同じ気持ちになれる。
わたしは、最近ずっと母を思い出して泣いている。
日本歌謡が大好きだった。
同じ曲を聴いて泣いている。
ちゃんと悲しみを感じて顔をあげたら、そこでつながれる友達、兄弟姉妹がいた。
自分の助けを必要としてくれる人がいた。
一緒に悲しんで癒されている。
ポイント2:わたし達が与える
マタイ14:15-17
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。
群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
イエスは自分たちで用意しなさいと言われた。
男だけで5千人。 女子供入れて推定1万人はいた。
両国国技館サイズ。
食べ物はパン5つと魚2匹しかない・・・。
弟子達もお腹空いていたかもしれない。
どうやって? 会社だったら?
最近ならパワハラのような難題。
最終的にパンと魚を増やしたのはイエス。
彼は自分がやるとは言われなかった。
イエスが奇跡を行われたが、配ったのは弟子達だった。
弟子達がイエスを必要とするとき、彼はそこにいた。
普通に考えたら不可能だった。
弟子達は神様と同じ権威のイエスとの関係を持っていた。
わたし達は絶望的で変えられない状況でも、イエスとの関係を持っているので、特別。
クリスチャンになるのは御利益主義ではない。
8年前にクリスチャンになった。
当時、母に反対された。
電話がかかって来て、お願いだからやめてと言われた。
母を悲しませるのは悲しかったが、あとで彼女のためにも、と思った。
母が入院を繰り返した時に、「神様は耐えられない試練は与えないと聖書にあるのよね。」と聖句から言ったことがあった。
「聖書には死について何が書いてあるの? 天国はあるの?」という会話があった。
「イエスは、住む家を用意してくださっているよ。お祈りの効果について袴田先生が祈られていると知らなくても効果があると言っていたよ。」と母に話した。
母は、教会中の人に祈られていることに感謝と希望を感じていた。
最期の方に一緒にお祈りした。
殆ど話すことは出来なくなっていたが、母はアーメンと言った。
わたしはクリスチャンになってよかったと心の底から思った。
苦しい時、一番辛い時にお母さんに希望を与えることが出来た。
聖書を伝えられること、イエスとの関係があることは、価値がある。
人生をかけるに値する。死を前にしても力と希望を与えることが出来る。
クリスチャンのみなさん、わたし達はイエスとの関係を持っているのですから、自分達から与えましょう。
訪問者の皆さん、ぜひ聖書を読んでみてください。
となりのクリスチャンから優しく教えてもらってください。
そこに希望があります。愛は命を超えます。