マラキ書から学ぶ。
『溢れるばかりの祝福』
1000年 イスラエルの頂点:ダビデ王
586年 捕囚
イスラエルは神様を信じなくなり、堕落してしまった。
536年 ゼルバブル40,000人
534年 祭壇が完成、礼拝の復活、建設の中止
520年 ハガイ書、ゼカリヤ書
516年 神殿の完成
455年 エズラ 霊的再建
445年 ネヘミヤ 城壁の再建
430年 マラキ書
先週、竹本牧師が説教してくださった。
ハガイ書から、建て直すことの説教。
マラキ書は城壁が完成したのちに書かれた。
インフラが整ったが、心はまだだった。
ストレートな預言。間接的ではない。
この時期は意味深い。
私たちも、共感できる。
かつては多くの人が救われた。
でもそこで信じられないことが起きた。
多くの人が去った。
そこから多くの人が辛抱してここまで来た。
ただ、いまが神様の望まれている頂点ではない。完成してない。
マラキは、わたしのメッセンジャーの意味。
400年後のイエスキリストの到来に準備した。
マラキ3:10
英語の聖書ではflood。祝福が洪水のように来る。
あまりに祝福が多くて、置き場がないほど。
想像できますか?
これをわたし達は信じられますか?
今日は2つのポイントから話す。
ポイント1:神様はわたしたちを愛し、祝福したい
マラキ1:1-3
神様のメッセージは、「わたしはあなた達を愛して来た。」
民の反応:「え?どのように?」
エサウはエドム人の先祖。
旅すると思う。隣の芝生は青く見える。
エサウではなく、ヤコブ=イスラエルを選んだ神様。
ちゃんとやっている。礼拝に来ている。
でも、ときどき愛が感じられない、満たされないと思うことがある。
夫、妻、子供、教会のメンバー、会社の人から愛を感じないことがあると思う。
神様は、すごくあなたを愛している。
でも、神様の愛を感じないのというのは、自分のせいだと思う。
私は末っ子で愛されていない、認めていないと被害妄想的に考えていた。
去年母も亡くなり、自分が与えようと思うと、愛を感じるようになった。
-神様はあなたを愛していると感じているか?
-神様があなたを祝福したいことを確信しているか?
-あなたは神様を愛しているか?敬っているか?
マラキ1:6-7
マラキの時代の人々は正しいことをしている。献金をしている。
でも神様は尊敬や感謝を感じていない。
わたし達はどうですか?
神様に時間やお金を捧げていると思う。
宣べ伝えて、聖書勉強して、仕えている。
神様は尊敬や愛を感じたい。
この国の偉い方と食事をするなら、駅前のファーストフードにはいかない。
コンビニのチョコを持っていかない。
では神様には?
良くも悪くも、わたし達は高い期待をしなくなった。
やらなければではなく、やりたいからというのが神様の期待。
息子の聖餐式、「どうやってみる?」と聞いたら譲が「やりたい!」と言った。
やるならベストを尽くす。結果ではない。
中途半端はわたし達の罪。
特別礼拝のアッシャー、バンド、God and Scienceのレッスン西さん、袴田さん、準備をしてエクセレントにしてくれた。
心が大事。
両親のみなさん、子供達に何を見せていますか?
神様のために一番いいものを捧げていることを見せていますか?
世の中では、仕事などでエクセレントな人もいると思う。
でも教会は、出来ない。
多くの人がそう。
教会で何をやるのもベストが当たり前だった。
中途半端ではなかった。それにより祝福された。
ポイント2:神に立ち帰る者には義の太陽が立ち昇る
マラキ3:7-8
神様に立ち帰りなさい。シンプルなメッセージ。
キングダムキッズが、悔い改めがわからないという場合、親がなかなか悔い改めないことが、子供の救いの妨げになっている。
わたし達が立ち帰れば、神様も立ち帰ってくださる。
バプテスマを受けた時
-神様に何を約束しましたか?
-救われた時に何を諦めましたか?
-何を決心し、誓いましたか?
-神様への約束を守っていますか?
マラキ2:2
祝福が呪い?
神様から心が離れると祝福が呪いになってしまう。
皆さんはどのように祝福されましたか?
多くは学生やシングルだった。
2週間6円で暮らしたこともある。
食堂で水だけ飲んでいた。一人だった。
その後、結婚や子供、仕事、教会での人間関係など、たくさんの祝福が与えられた。
でも、あれほど嬉しかったのに祝福が呪いに変わる。
結婚や子供が偶像になってしまう。
ある時、このような事があった。
流産後に2人子供が生まれて嬉しかった。
そんな時、一人のリーダーが教会を離れるところだった。
子供をお風呂に入れていた。幸せだった。
ばったり、その人に会い、大雨の中で駅の改札に来て欲しいと言われた。
すごく疲れていた。
でも疲れていると言わず、具合が悪いと言って断ろうとする思いがあった。
すぐに気づいて悔い改めた。
「神様ごめんなさい」と謝り、駅の改札へ行った。
その兄弟は今も教会にいる。
マラキ3:14-15
神様を信じていない人が祝福されていると思ったことはないですか?
昔の同級生のほうがお金持ち。
わたしは、このように比べてしまった事が何度もある。神様に対し、恥ずかしい。
去っていく人も多い。結果は見えない。
会社のようにわかりやすくない。
神様に仕える動機が薄れていませんか?
これは心の問題。
もちろん仕事や、勉強をした。
でも教会のためなら、全てを捧げる。
先日のサンフランシスコの教会での同窓会、ロブ・スキナーやハワイのリーダーたちがいる一方、去っていく人も多い。
教会にまだいるけどなんとなくの人も多い。
お金儲けや家族を養うことが大事で心がどこかへ行っていませんか。
過去数年間、救われている人が少ない。
実を結ぶ時が来た。
-各小グループが教会のようになる
-全員が人の救いに関わる
-神様の家を最優先する
体調が悪いなら、祈ってください。これは心の問題。
マラキ4:2(3:20)
わたし達は世の光。
日本人は失われている。救いを待っている。
この教会に輝いている兄弟姉妹がいっぱいいる。
愛すれば、弟子として傷つく。
でも神様は癒してくださる。
誰かを愛しましょう。
救いについて必死で考えましょう。
救いのとき、神様に何を約束しましたか?
自分は1987年救われた。
自分を伝道した兄弟はマレーシアで活躍している。もう一人の兄弟もハワイで伝道者。
当時の写真で他に写っている兄弟達の中には離れてしまった人もいる。
わたしは、自分がときどき嘘つき、偽善者だと思う。
サンフランシスコで、自分が伝道された噴水に息子と行った。
「僕はまだまだ。」そのように感じた。
神様は、洪水のように祝福したい方。
自己満足ではなく、結果ではなく、神様もために栄光を表していく教会になり、神様の洪水の祝福を受ける教会になりましょう。