10月に説教させてもらいました。
たくさんフィードバックやアドバイスをいただいた。
その中で、多かったのは、とっても体育会系だと言われた。
ずっと空手をしてきた。
全てが「押忍!」で済む。
イエス、ノーもない。
先輩に何か言われれば、「押忍!」そこに感情が入る余地はない。
空手に限らず、わたし達も心と行動が一致しないことはよくあるのではないかと思う。
2コリント1:18-22
パウロがコリントの信徒に向けて書いた手紙。
コリントの教会は沢山の罪と問題があった。
偶像礼拝、性的罪、妥協、競争。
パウロは励ましの手紙を書いた。彼らはパウロとも摩擦があった。
1コリントの手紙では、コリントに立ち寄る予定があると言っていたが、それは叶わず、摩擦はより増した。
そんな中で書かれた手紙。
パウロはそんな中、「神様は真実な方」と書いた。
ポイント1:神は然り
「然り」は現代の言葉ではあまり使われない。わたしにとっては理解が難しい聖句だった。
実は、英語の聖書では、然りはyes、 否はnoとわかりやすい。
パウロは行くことでYesと言っていたが、態度ではNoだった、とコリントの人々は不信感を持った。
パウロが伝えたのは、イエスはYesであり、Noではない方ということ。イエス・キリストにはyesだけが実現した。
わたし達は口ではYesと言いながらNoの行動や態度を取っている。
わたし達は、罪人なので矛盾や曖昧さがある。
行動と発言が違い、摩擦や不信感を生み出してしまう。
しかし、神様はそのような方ではない。
神様は然りだけの神様。矛盾や曖昧さはない。聖句と神様の言葉は一致している。
やる(Yes)と言っていてやらない(No)ということはない。
真実だけを必ず行ってくださる神様。やると言われたら必ず実現される方。
わたし達はこのことを信じられるでしょうか?
先月、20人くらいの20代の弟子たちがインドネシアから来た。
とても刺激を受け、励まされた。
何人かの弟子が、一度は聖書勉強を止めたことがあると教えてくれた。
バプテスマを受ける過程で、1年以上このグループの弟子たち、そして神様が自分を愛し続けてくれたことも聞いた。
神様がわかるまで教えてくれた。
諦めずに変われると信じてくれたと言っていた。
わたしは刺さる思いがした。
わたしは見える状況ですぐに不信仰になる。
神様の働きが目に見えないと、落ち込み、不信仰になる。
不信仰の時、聖書では与えたい神様なのに、現状何も与えてくれないと思ってしまう。
矛盾を感じてしまう。
でも、この聖句を読んで、このように感じることは間違っていると素直に思えた。
神様は真実の方であると思った。
そのことを本当に信じられたとき、
わたし達は勇気を持って誰かを愛することが出来る。
諦め、落ち込む必要はない。
わたし達は諦めずに行きましょう。
あなたのとって大切な人は誰でしょうか?
今日福音を知って欲しい人は?
諦めずに、神様を期待して行きましょう。
ポイント2:神様の約束
改めてこの聖句を読みましょう。
2コリント1:20-22
パウロは、神様の約束がわたし達を通して実現することを伝えている。神様の約束とは?
1.キリストに固く結びつけ、油を注いでくださる。
罪がいっぱいで頑なだったコリントの教会にパウロがこのように語ったように、わたし達がどのような状態でも油を注いでくださる神様。
旧約聖書ではダビデ王、1サムエル16:13が思い出される。
多くの信仰のヒーローが油を注がれている。
そして、イエス・キリスト。
キリストには救い主という意味と同時に油を注がれた人という意味がある。
油を注がれた:祭司、預言者、王…神様に特別に選ばれていること、使命が与えられていて、その使命を果たすということ。
わたし達も同じ。神様がわたし達に油を注がれた。神様は、わたし達を選ばれて特別に使命を与えられている。
2.証印を押して、保証として心に“霊”を与えてくださる。
認印: 自分が飼っている大切な家畜たちに印をつけて所有者を明らかにすること。
保証:大丈夫だと請け負うこと、責任を負うこと。
つまり、神様がわたし達を大切なご自分の者として、「わたしのものだから大丈夫だよ。」と言って必ず守ってくださっていること。
これには励まされる。
世の中は、自信のない人で溢れている。人の目を気にする。
そんな中、わたし達は大きな愛を神様から注がれている。
もちろん、わたし達には繰り返す罪があるかもしれない。
絶望して、苦しむかもしれない。
「こんなに苦しむために弟子になったのではない。」と感じる時があるかもしれない。
しかし、神様はこのように約束してくださっている。
このことを理解して実感したとき、どのようにわたし達の人生は、日常は変わるでしょう?
このように話すのは、自分の自己肯定感が低いから。
神様から健全に愛をもらうことが出来ないから。
私はティーンミニストリーに入り、仕事を辞めてミニストリースタッフになった。
激動の一年。これまでは、学び会や聖書勉強をリードしたこともなかった。
今はただ恵みに感じている。
しかし始めた当初、自分が足りていない、不十分という思いでいっぱいになった。
より苦しくなった。失敗が怖い。ディサイプルを受けるのが怖い。
より苦しい方向へ心が行って、神様に仕えるよりも人間的な恐れに支配された。
自分よりもふさわしい人がスタッフをやったほうがいい。
恐れから神様を見続けられない弱さはバプテスマの前から言われていたのに、変われない。
より、自己肯定感が失われていった。
頭ではわかっていたがなかなか変われなかった。
そんなときにこの聖句に出会った。
頭の中で何かが弾けた。
心は非常にエキサイトした。
神様が守ってくださり、愛してくださっていることがわかった。
自分は神様に認められている。
聖書のヒーローと同じように。
神様はどこまでも守ってくださっている。
180度変わった。失敗してもいい。わたしは神様に愛されている。
私は、今はうまくできない。それでいい。次はもっとうまくやれる。
驚くほど安心感、平安があった。
その平安があるときに、飛び込む勇気をもらった。
誰かを愛することができた。
神様の約束は真実。油を注ぎ、わたし達に保証として霊を与えられている。
今日、神様の愛を感じられるように祈りましょう。
変われるように期待して聖書を読み、祈りましょう。
変われることを信じていきましょう。
わたし達は選ばれた者、愛された者としてチャレンジがある。
わたし達は神様と同じ愛で愛することができているでしょうか?
神様の安心感、喜びを伝えたい人は誰でしょう?
あなただけが伝えられる人がいるはずです。
今日伝えていきましょう。
来週から特別な礼拝シリーズが始まる。
苦しくても、失敗しても、神様の愛は変わらない。
神様から選ばれて、愛されていることを覚えて胸を張っていきましょう。
神様は真実な方、そして神様はわたし達に油である霊を注ぎ、約束してくださっています。