『わたし達はキリストの使者』
607年 遣隋使:日本の代表として選ばれて中国へ遣わされた。名誉だった。
今日は「使者」という言葉に注目したいと思います。
2コリント5:17-21
聖書には、コリントの信徒への手紙が2通ある。
この前の手紙では、情欲や偶像礼拝を叱責。
多くの人々は柔らかい心で反応した。
しかし偽教師もいて悪影響していた。
そこでパウロはこの手紙のテーマにもなっている20節の言葉を残した。
ポイント:キリストの使者になる
使者の元々の意味はローマ皇帝の認定をもらって、代わりに選ばれた者。
法定を変える権限も与えられていた。相当名誉なこと。
パウロはわたし達をキリストの使者という。
これは尊く、畏れ多い。
キリストの和解の使者。
わたし達の任務は、キリストとの和解。
人であるものを越えている。
これはイエスの任務。
本当は繋がっていないもの、一生交わることがないものを繋げる。
和解の語源は「取り替える」。
神様はひとり子を十字架に差し出して、十字架につけた張本人であるわたし達に差し出した。
恵みによって愛される存在に戻る。
息子を殺した人が、無条件で愛される子供になる。
だから、キリストに結びつくのは新しい創造。
バプテスマは特別。
神様の特別な想いが詰まっている。
わたし達はキリストの使者。
和解と救いの任務が与えられていることは、どれほど特権でしょうか。
パウロはプライドフルでも高慢でもなかった。
罪に一切関わりのないイエスを十字架に、罪に定めた神様との和解によって、パウロの人生は大きく変わった。
迫害する者からキリストを宣べ伝える者になった。感謝して宣べ伝えた。
使者は、自分でなく遣わした人の想いを伝えるのが大事。 キリストを伝える。
先日、ある大学生と聖書を読んだ。
彼の発言にわたしは突っ込まなかった。
一人の兄弟が、なぜ突っ込まなかったのかを後で聞いてきた。
自分には深く入ることへの戸惑い、人の目を気にしてしまうことがあることに気づいた。
深く入ったら嫌な思いをさせて、信頼関係が壊れるのでは?
答えられない質問が来たら? 自分が話しても聞いてもらえないのでは、、、それをその兄弟に伝えた。
「あなたは躊躇している、自己中心だ。自分の状態で神様が変わってしまうのか。」
その通りだと心が刺さった。
大切なのは遣わしてくださった神様の想いだった。
わたしはキリストの使者、代表だった。
そんな中、自己中心なのは本当にもったいない。
今メタノイアをしている。
人が神様から聞くべき健全な言葉を語る。共感する。
必要なら叱責、子供であれば躾ける、自分に非があれば謝罪する。
そのようにしたい。
このような悔い改めを通してわかったのは、神様が信頼してくださっているということ。
19節
委ねる、comitt(niv)、entrust (nrsv)、任せる
神様はわたし達を愛しているから、愛されたいと思ってくださっている。
神様はお一人でなんでも出来る。なのになぜか弱いわたし達を遣わせてくださっている
あなたと一緒に労苦も喜びも味わいたい、あなたに任せたい。
このことが嬉しかった。責任、プレッシャーは喜びに変わる。
今日ともに深めましょう。
今日わたし達は、誰のためにキリストの使者になることが出来ますか?
一人一人が遣わされている。
実は待っている人がいる。
子供がいるなら無条件の愛を伝える使者。
パートナーがいるなら、愛と尊敬を伝える使者。
友人がいるなら、慰め、励ましを与える使者。
難しい関係があるなら、和解を伝える使者。
間違ったことをしている人がいるなら、正すことを伝える使者。
信仰を持ってチャレンジしましょう。
わたし達はキリストの使者になることにどこまで本気でしょうか?
神様は愛する息子を捧げられた。
わたし達はその想いに答える使者でしょうか?
神様はすべての人を使者にしたい。
一番祝福したい方。
先日、ユースのお泊まり会が教会であった。
子供40人、大人20人。素晴らしかった。
食事から寝るところまで大人も子供も例外なく一緒にやった。
教会は最高!
教会で育ったのはわたしの誇り!
子供達にそう思ってほしい。
本気で楽しみ全力でやる。
大人が模範を示す。
大人のお泊まり会でもあると思っている。
ワーカーへの期待は、弟子として本当に喜んでいるか、エキサイトしているか。
子供達に伝えるには、自分たちがまず楽しんでないといけない。
ワーカーは皆素晴らしい模範を見せてくれた。
しかし、ワーカー一人一人の人生を知れば問題だらけ、お泊まり会でも問題や課題が見えた。
自分たちは完璧ではない。
でも、自分たちは素晴らしいものを神様から与えられている。
喜び、平安、誇り、感謝、希望がある。
だから、わたし達はキリストの使者になる。
ゲーム、礼拝、タレントショー。
感謝タイムでは20人の子供が感謝を伝えてくれた。
笑いと涙。
「帰りたくない。もう1泊したい。お兄さん、お姉さんのようになりたい。」
ノンクリスチャンの家族の小中学生が参加してくれた。
「今までのお泊まり会で一番楽しかった。」
中学生のお姉ちゃんの方は翌週一人で礼拝に来た。
楽しかったから来たと言っていた。
わたし達が持っている本当の(心にある)ものがだけが自然に人に伝わる。
お泊まり会に今聖書を読んでいる大学生の女の子も参加して仕えてくれた。
最初、愛することや愛されることがわからなかった。
徐々にわかって来た。キャンパス姉妹からも伝わっている。
クリスチャンに憧れている。 誰よりも仕えてくれている彼女を誇りに思う。
わたし達は、キリストの使者。
大胆に人の人生に飛び込める人になる。
恵みと真理を伝えられる。
キリストの使者になりましょう。